第39話 穏やかな日々

「フィオナ様! どうぞこちらのお席へお座りください。試合がよく見えますよ」

「フィオナ様! 日差しが強いですから、日傘をご用意いたしましょう」


 今日は、王城内にある鍛錬場にて、騎士による模擬試合が開催される。

 主催者であるドレイクと共に、フィオナも見学に訪れていた。


 会場に入るや否や、名誉騎士団長であるドレイクは放っておかれて、案内係の騎士達がわらわらとフィオナの周りに集まってきた。


「お飲み物をご用意しましょう」

「軽食はミニキャロットがよろしいですか!?」


 フィオナを囲んでちやほやする騎士達を、ドレイクは一喝する。


「お前ら、いいかげんにしろ!! だらけたことを言っていると、俺もトーナメントに参加するぞ? たまには試合もいいよな? 暴れさせてくれよ。それでもいいのか!?」


 ひー!! と悲鳴が上がり、騎士達はあっという間に散開した。

 ドレイクはようやくフィオナを取り戻した。


 フィオナがドレイクと共に無事オークランドに帰国して、数週間後。


 フィオナが精霊国の王女であることが公表された。

 同時に、今まで伝説の存在とされていた精霊と精霊国についても、より理解し、学ぼうという機運が生まれていった。


 ドレイクの翼竜とともに、フィオナの竜もお披露目され、人々がむやみに竜を恐れないように、情報が共有されるようになった。


 とりわけ、王城で働く人々や、ドレイクが名誉騎士団長を務める、オークランド王国騎士団はフィオナを熱狂を込めて受け入れた。


 元々、多少はフィオナを見かけたりしていた人々である。

 彼らはこの愛らしい少女が、国王のお気に入りであることを知っており、紆余曲折ののちに、こうして2人で一緒にいる様子を、心温まる思いで眺めているのだった。


 フィオナの侍女になりたい、という侍女希望者や、フィオナの護衛希望の騎士が殺到したり、という一幕もあったが、どれもユリウスがあっさりとうまくさばいていくのだった。


 そして有能な女官長であるナイア夫人が采配を振るい、王城内は極めて統率が取れていた。


 王都の街に出れば、街の人々が噂に聞く精霊王女を一目見ようと、フィオナの周りには人垣ができた。

 ドレイクの意向で、ドレイクの視察にフィオナも同行し、あちこちの農地に祝福を授けていくため、とりわけ農家の人々は熱狂的にフィオナを迎えるのだった。


 環境は大きく変わったが、フィオナ自身は、今でも明るく、朗らかな少女のままだった。

 フィオナが変身することも周知され、今ではドレイクが白ウサギを抱えて城内を歩いていても、不思議そうに見る者は1人もいなかった。


 * * *


 そうして、フィオナがすっかりとオークランド王城での暮らしに慣れた頃。


 王城にいる時のフィオナに、新しい『お役目』ができた。

 前王妃サリアが作った家庭菜園の復活と、2頭に増えた竜が暮らす竜舎の運営だ。


 荒れていた菜園は一旦、柵も取り払い、造り直すことになった。

 畑は掘り起こされ、新しい土も運び込まれた。

 王城のガーデナーを中心に、菜園で働きたい者が募集され、任命された3人がフィオナに従って、土壌作りから、新たに菜園造りに取り掛かった。


 フィオナは、この日、畑を祝福するから、ドレイクにも来てほしいと頼み、ドレイクはユリウスを連れて、菜園を訪れた。

 荒れ果てていた菜園の姿が、見違えるようになっている。


 ドレイクは驚いて、目を見開いた。


「この菜園では、実験的な栽培も試してみるつもりです」


 フィオナが笑顔でドレイクを菜園に案内した。


「オークランドの土地は元々、豊かだと言ったのを覚えていますか? この小さな菜園で実験して、効果があったものはゆくゆくは全土に普及させていくのです」


 より広くなった菜園は、いくつかの区画に分けられ、もちろん動物避けの柵も新しく造られた。

 そして、入り口には看板も取り付けられていた。


「サリア菜園?」


 ドレイクが看板を見上げる。


「王妃様のお名前を使ったのですが、大丈夫でしょうか……?」


 恐る恐るドレイクを見上げるフィオナの頭を、ぽん、と叩いて、ドレイクはうなづいた。


「ありがとう。いいアイデアだな。俺に何かできることはないか? そうだ、あの道具小屋と休憩所も建て直そうか?」

「ありがとうございます! とても嬉しいです。皆も喜ぶと思います!」


 フィオナは心から嬉しそうに笑った。


「では、ドレイク様もいらしたので、今日はこの菜園を祝福します」


 そう言うと、フィオナはまだ何も植えられていない菜園の中央に向かい、大地に膝を着くと、両手を新鮮な土の上に置いて、祈った。


「おお……!」


 菜園で様子を見守っていた人々から歓声が上がる。

 フィオナの手からは金色の光が溢れ出し、キラキラと輝きながら、菜園全体を包んでいった。

 やがて、金色の光は細かな鱗粉のようになり、空に上っていく。


「何度見ても、美しい眺めだな」

 ドレイクは呟いた。



 フィオナがニコニコしながら戻ってくる。

 さっきまで、菜園のガーデナーと真面目な顔をして話しているから、何かと思えば、「もしウサギを見つけても、蹴飛ばさないでください」なんて言っていたのだ。


「わたしが長老と話しますので、教えてくださいね。絶対、ウサギ鍋にはしないでください」


 ガーデナー達は吹き出しそうになるのをこらえ、必死で真面目な顔を作ってうなづいている。


「ユリウス、お前が蹴飛ばそうとしたのを、フィオナは根に持っているようだな?」


 ドレイクがそう言ってやれば、ユリウスはほのかに顔を赤くしながらも反撃する。


「それはどうも。とはいえ、ウサギ鍋を言い出したのは、陛下ですからね。お忘れなく」


 それにはドレイクもぐうの音も出なかった。


「それにしても、フィオナ様は忙しくされていますね。竜舎の方にも人を入れて、竜との接し方を教えられていますし。将来は竜を街の人々が見ても過度に怖れることのないように、と色々考えておられるようです」


 最近、竜舎のある区域を広げたので、このサリア菜園からでも竜の姿が見えるようになった。

 菜園で働くのが好きなフィオナは、それをことのほか喜んでいた。

 黒竜も仲間の竜が増えて、喜んでいるように、ドレイクには見えた。


 ドレイクは空を見上げる。

 抜けるような青空が広がっていた。

 掘り起こした新鮮な土の匂い。

 温かな太陽の光。

 新しい柵の上をリスが駆け抜けていく。


「ああ、リスは植えた種を掘り起こすこともあるな。フィオナに言っておくか」


 ドレイクは笑顔で菜園を歩き回っている、愛しい少女の姿を追った。

 ……愛しい?

 いつの間にか、すっぽりと、自分の胴衣の中に入り込んでくるように、フィオナは自分の心の中に入ってしまった。


 そうだ。

 『愛しい』で合っている。

 ドレイクは自分の心にGOサインを出した。


「……こんなに穏やかな日を送れるようになるとは、思わなかった」


 そう言ってフィオナの元に歩いていくドレイクの姿を、ユリウスもまた、穏やかな表情で見守ったのだった。


 * * *


 そんなある日のこと。


 いつものように、執務室のソファに落ち着いていたフィオナに、書類から顔を上げたドレイクが言った。


「フィオナ、ピクニックに行かないか?」


 フィオナが驚いてドレイクを見る。


「竜達も一緒に連れて行こう。というか、俺達と竜だけで行こう。たまには竜も思いきり体を動かさないとな」


 フィオナは目を丸くする。

 フィオナは竜の背中に乗って飛ぶのが大好きなのだ。

 

「いいのですか!?」

「ああ。おそらくユリウスは護衛の騎士を馬で走らせるだろうが。行き先は湖にしよう。綺麗なところで、お前も気に入ると思う」


 フィオナがぴょんぴょんと飛び上がった。


「嬉しい!! お弁当はどうしましょうか!?」


 ドレイクは苦笑した。

 一応、デートのつもりで声をかけているのだが、フィオナの一番の関心事は、食べ物らしい。


「エマに手配してもらえ」

「はいっ! ドレイク様は、何がいいですか?」


 ドレイクはぽん、とフィオナの頭を軽く叩いた。

 甘えん坊かと思えば、こうして、相手の希望をすぐ気にしてくるのが、フィオナなのだった。


「俺は何でも食べれる。お前の好きなものをたくさん包んでもらうといい」

「はいっ!」


 フィオナはあっという間に執務室を飛び出して、廊下の先に消えた。

 新たに任命した、フィオナ付きの騎士2人が、慌ててフィオナの後を追って走っていった。


 ドレス姿で、あのすばしっこさ。

 さすが、自分はウサギだと思っていただけのことはある。

 騎士達には申し訳ないが、これも訓練だと思って、精進してもらおう、とドレイクは思った。


 書類を整理していたユリウスが、ドレイクを振り返った。


「まあ、陛下と2人きりで、というのは無理かと思いますが。護衛も必要ですし、エマもお食事のお世話などで同行するでしょうし」

「うん、まあ、それはわかる。現地で少々プライバシーを尊重してくれれば……」


 最後の方は、もごもごとドレイクの口の中に消えていく。


「陛下、ということは、そろそろですか? フィオナ様にプロポーズなさるので?」


 そう言われて、ドレイクは顔を赤くした。


「アルワーンとの和平準備もだいぶ整ってきた。まあ、そろそろ、ということでいいだろう」


 ドレイクの言葉を聞いて、ユリウスは柔らかく微笑んだ。


「……それでは、指輪を用意しないといけませんね?」

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