第31話 後宮へ
馬車の中では、さらに2人の侍女が待機しており、馬車の前後に1人ずつ、護衛の兵士が立ち、ザハラの帰りを待っていた。
兵士が馬車の扉を開き、ザハラが乗り込むのを待って、再び扉を閉めた。
寺院に付き添った侍女2人は、もう1台の小型馬車に乗り込むのだ。
侍女は皆、揃いの紺のベールで全身を覆っている。
ザハラが座席に腰を下ろした瞬間、1人の侍女にザハラの口は塞がれ、もう1人の侍女がザハラの喉元に剣を突きつけて言った。
「音を立てるな。声を立てたら、殺す」
男の声だ。
「ベールを取れ。ゆっくりとだ」
ザハラはため息をついた。
うなづいて、抵抗しない意思を示すと、ゆっくりと右手を出し、自分のベールを頭から落とした。
その間、突きつけられている剣は微動だにしない。
「そなたらの要求を聞こう」
ザハラは落ち着いて言った。
しかし、次の瞬間、ザハラは今度こそ本気で、悲鳴を上げそうになった声を、押し殺すことになる。
ザハラと同じようにベールを落としたのは、男2人。1人は黒髪黒眼だったが、もう1人は、ザハラと同じく銀色の髪に、紫の瞳だったのだ。
まるで鏡を見ているかのように、ザハラとその男の容貌は似通っていた。
ザハラは衝撃を受けて、銀髪の男の顔から、目を外せない。
一方、銀髪の男の表情は、一切動くことがなかった。
「国1番の寵姫の外出にしては、警備が薄いな」
黒髪の男が、自分のことは棚上げにして、不満そうに言っている。
お前が襲っておいて、偉そうに何を言っているのか。
ザハラは片眉を上げた。
「……わたくしの存在を快く思わない方も多いのですわ。何かが起これば幸い、と。このように」
ザハラはそう言ってうっすらと笑う。
銀髪の男が、何の感情もない手つきで、ザハラの体を触り、あっさりと彼女が身に付けていた
一瞬、ザハラは動揺した。
この剣は、大事な物なのだ。失うわけにはいかない物。
無意識に、すがるような目で黒髪の男を見てしまったらしい。
「後で返す」
黒髪の男がザハラを安心させるように、言い添えた。律儀な悪人らしい。
「あなたには頼みがある。俺達を後宮に入れてほしい」
「何ですって?」
ザハラは目を見開いた。
今度こそザハラが吐いたため息は本物だった。
どうやって、この大男と、顔だけは綺麗だが、女には決して見えない銀髪の男を後宮に連れ込めると言うのか。
「…………まずは馬車を出させましょう。合図をしていいかしら。このままだと怪しまれるわ」
銀髪が黒髪を見ると、黒髪がうなづいた。
黒髪の方が立場が上らしい。
黒髪の男がうなづくのを見て、ザハラが馬車の壁をコツコツと叩くと、馬車は動き出した。
ザハラは会話を再開する。
「……本気なの?」
「私達がオークランドから来た、と言えば、あなたも納得するのでは?」
「おい!」
そう簡単にバラすな、と言うように、黒髪の男……ドレイクが、銀髪の男…ユリウスを叩くが、ユリウスの方はあっけらかんとしている。
「オークランド」
ザハラは小さく繰り返した。
「……オークランドには、あなたのような、銀髪に紫の瞳の人間は多いの?」
ザハラの質問に、ドレイクは目を瞬いた。
しかし、ユリウスの方は、一切、表情を変えずに言った。
「いいえ。滅多にいませんね」
ユリウスの答えに、今度はザハラの方が動揺したように、瞳を揺らしたのだった。
* * *
馬車に併走していた兵士は、馬車の窓が開く気配に、馬車を止めるように御者に指示した。
馬車の窓に回ると、寵姫ザハラが衣装店に寄るように命じた。
今日の予定にはない指示に、兵士が難色を示すと、ザハラはベール越しにもわかる強いまなざしで、言った。
「気が変わってはいけないか? アルワーン1の寵姫に、新しいカフタンの1着も仕立てられぬと? 国王陛下に恥をかかせる気か?」
「し、失礼いたしました……!」
兵士は慌てて御者台に向かい、御者に指示すると、馬車は再び動き出した。
衣装店に着くと、ザハラはベールでしっかりと全身を覆い、同じく、揃いの紺のベール姿の侍女を2人連れて店内に入った。
寵姫様は、わざわざ兵士に近寄って、「そなたの働き、覚えておこう」とささやいた。
顔から体を覆っているベールが風ではらりと揺れ、一瞬、寵姫様の白く豊かな胸が見えたのは、役得として秘密にしておこう、と兵士は思った。
ザハラが侍女を従えて、店に入っていく、上機嫌な様子に、兵士はようやくほっと息をついたのだった。
飛ぶ鳥を落とす勢いの寵姫様に睨まれてはかなわない。
わがままな寵姫に、大汗をかいた兵士だった。
ザハラの様子ばかりを気にして、背後に控えている妙に大柄な侍女2人にはほとんど注意を向けることはなかった。
* * *
店内に入れば、そこは女だけの世界だった。
店の主人は女。店員達も全て女。客ももちろん、女ばかりだ。
出迎えた女主人に案内され、個室のサロンに入ったザハラはベールを脱ぐ。
続いてベールを取ったドレイクとユリウスに、女主人は目を見開いた。
「これは大切なお願いですのよ」
ザハラが言った。
「他言無用に。今日はこの2人の女を侍女らしく仕立てていただきたいの。何しろ、これから後宮に入るのですからね」
ザハラは艶やかに微笑んだ。
* * *
ドレイクの支度は、それほど時間がかからずに出来上がった。
何せ強面の大柄な男だ。
女に仕立てるのには限度がある。
衣装店の女主人の知恵で、太った中年の未亡人に化けることになった。
体型を隠す、黒のたっぷりとした、飾りのないカフタンを用意し、ベールを深く被り、位置がずれないように、頭にはぐるりとヘアバンドをはめた。
次に、ドレイクは体の周りに綿を巻き付けられた上、背が高くなりすぎないように、中腰で歩くことになった。
仕草だけは女に見えるように、急ごしらえの特訓を受ける。
おかげで何とか見れないことはない、という程度には仕上がったのだった。
しかし、ザハラはため息をついた。
「この女、怪しく見えるわね。後宮に入ったら、あちこち歩き回らないでちょうだい。行動を起こす時までは、わたくしの部屋でじっとしていて」
一方、ユリウスの方は、その美貌を生かして、すっかり女性に見えるように女装させることになった。
化粧を施し、銀色の髪は目立つために、粉をはたいて色を変えた上で、まるで女のように結い上げた。
侍女という設定のため、派手な衣装こそ着ていないが、落ち着いた紫色のカフタンを着たユリウスは女そのもので、ドレイクは口を開けたまま唖然としてユリウスを凝視した。
「……そろそろ口を閉じてくださいませんか」
ユリウスの冷たい一言に、ドレイクは決まり悪げに頬を掻いた。
一方、新しいカフタンが欲しい、とわがままを言った設定になっているため、ザハラも女主人の勧める新作のカフタンと、揃いのベールを購入する。
大荷物を抱えて、ようやく女3人が馬車に納まると、護衛の兵士は安堵のため息をついたのだった。
「宮殿にはもうすぐ着くわ」
ザハラが言った。
「上手くやってちょうだい。ともかく余計なことは喋らないこと。わたくしが協力するのは、あの子をこの国から追い出したいからよ。ライバルは少ない方がいいもの。でもタイミングが悪いわね、明日、アルファイド様はあの子を寵姫にして、お披露目する予定なの。……時間はあまりないわ」
そう言い終わると、ザハラは無言で馬車の窓から外を見つめる。
ドレイクは、そんなザハラの横顔を、ユリウスが食い入るように見つめているのに、気が付いた。
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