第11話 帰国直後ⅴ

 渡日したヴィルジールとシエラが、空港の駐車場でソフィア連れ去りの場面から、その陰謀を阻止し、マコトとソフィアを救ったばかりのとき。


 恋愛感情に疎いヴィルジールとの会話がややこじれかけるところで、意を決してシエラは直接気持ちを伝えようとするが、肝心の言葉が素直に出てこない。


 徐々にテンパりながらも気持ちは最高潮へ上り詰めようと、今その言葉を勢いに乗せて口から押し出そうと、シエラは背水の陣に身を置き、今喉元からその言葉が発せられようとするその瞬間……だった。


「あ、あなたが……」「うっ!」

 ……タタタタ……タタタタ。


 不意に訪れる誰かの駆け寄る足音に、発しかけた言葉を飲み込み、シエラは来訪者を見やる。


 肝心のときに邪魔をされたような、しかし今にも潰れそうなか細い心が救われたような、微妙な感情を顔の表情に入り混じらせながら、視線を向けた先には、男と幼い少女の二人組の姿があった。


―― え?

―― さっきのは気を失っているから顔はよく見てなかったけど……

―― とても可愛らしいからたぶん妖精ちゃんの声の主かと思っていたのに……


―― 今来たこの、なんて可愛らしいのかしら?

―― 確かこんな髪をストロベリーブロンドって言うのよね?

―― もしやこっちが妖精ちゃんなのかしら?


―― ううん、どっちでもいいけど、ふぅゎわわ……

―― この可愛らしさ、癒やされるわぁ……


 さっきまでの心の高揚はどこへやらで、シエラはイルの可愛らしさにすっかり見惚れていた。


 やってきたのはジンとイルだ。

 まだ遠目ながら周囲の異様な状態とともに、その中に肝心のマコトらしき姿を見つける。


「いた! 倒れてるの、マコトじゃないか? 無事なのか?」

「ホントだ。マコちゃんよ!」


 そして、そのひとかたならぬ状況に二人の警戒心は鼓動とともに跳ね上がる。


 ドクン……。


「一緒に誰かいるぞ? 敵か?」


 聞こえてくるジンたちの口ぶりから、ヴィルジールは眼の前にいるマコトの連れであることを確信する。


「お? 連れがいるのか。ちょっとこの状況は勘違いされそうだな」


 知らないものが見たら、自分がこの子を害しているように映るのは当然だろうと、ヴィルジールの心は少しだけ慌てる素振りだ。


「大丈夫ですって、ヴィルさま」


 やや狼狽えるヴィルジールとは正反対に、妙に落ち着いた表情を見せるシエラ。


「そうか?」


 その根拠はわからないまでも、『言葉を尽くせば誠意は伝わる』と言ったシエラの言葉が脳裏をよぎり、ヴィルジールの動揺はスカされるようにやや落ち着きを取り戻す。


 イルには周囲を見渡しながらゆっくり来るように伝える。そして、倒れているマコト、さらに横には知らない誰か、とくれば、最大級の警戒を持って全速力で駆け寄るジン。


 が、近付きながらも見据える相手に敵意は感じないことに気付く。そのため、ジンは少しずつ警戒を解きながら直ぐそばに到着する。走り通しだったため、息を切らしつつ、あゆみを緩め、近付いていく。


「ハァハァ。貴方は何者ですか? 娘に何を?」


 乱れた呼吸を整えつつ、この相手は見た目からも日本人には見えないため、まずは英語で問いかけるジン。


「あー、いや、何もしていない……じゃない、コホン! 我らがその娘を助けたつもりなんだが……そうは見えないか?」


 肉親から最愛の娘を按じ見据えれば、ヴィルジールたちは一見、その加害者的立ち位置に映る状況だ。


 重ならない思惑を解きほぐす誤解の解消は、言葉を誤ればそのベクトルは更に拗れるため、誰しも一瞬気後れしてしまうものだ。ヴィルジールはそんな面倒事が嫌なこともあり、普段は他者のいざこざには基本介入しない方針だ。


 しかし、意図せずそんな場面となる今、面倒くさそうに言葉を選びながら、いや助けた側なのだから堂々とすべき、と毅然とした言葉で言い直しながら、ひとまず返してみた状況だ。


「え? 助けていただいた?」


 すると、既に警戒は薄れていたこともあるが、助けた、の一言が耳に入ると、ジンは驚き、瞳を一瞬大きく見開く。気持ちが安堵したのか、その瞳は柔らかさを帯びながら、ジンはマコトの無事を尋ねる。


「娘は無事なのですね?」


 思いのほか、簡単に信用を得られたことに、少し驚くヴィルジール。脳裏にシエラの『大丈夫』の一言や、『言葉を尽くせば誠意は伝わる』の言葉が蘇り、あぁ、そうだな、っと心で呟く。俯きがちにひとまず手振りと併せて自己紹介の言葉を返す。


「あ、ああ。おそらく。我はヴィルジール。向こうはシエラ。旅行者だ」


 続けて顔を上げて、ジンに視線を向けると、ヴィルジールは、施した手当ての状況とアドバイスを簡潔に付け足す。


「ひどい怪我だったから簡単に応急手当はしたが、後で病院にでも連れて行ったほうがよいぞ」

「え? もしかしてお医者様? ありがとうございます」


 応急手当の言葉に、ジンはヴィルジールに医者なのかと尋ねながら、感謝の意を述べつつ、マコトの全身をくまなく見る。すると、やや奇異な状況を感じ取るジンはすぐにその目を見張らせる。


 確かに衣服や皮膚の表面は痛ましく血みどろの状態だが、傷口は塞がっているように見える。しかし、手当というなら傷口に何かをあてたり、貼ったり、巻いたりするものだが、そんなものは見当たらない。


 また左腕部分が骨折し、それを急遽整えたかのようなやや不自然な状況に見えた。


 普通の医者なら腕の向きなどを正しく捉え、ギブスか、添え木、包帯などで状態を固定し、後は自然治癒に任せる、外見上、そのようなゴテゴテした施術となるもので、今医療道具が足りない応急的な対処だったとしても固定する添え木などは欠かせない。


 しかし、眼の前の手当てを施した状況は、既に骨折は解消しているように見える。


 骨折していたと気付けたのは左腕部分の向きがやや不自然に曲がっていたためで、骨折でもしないとこうはならないと判断できる。そして、回復具合だけを見れば、例えばソフィアの癒やしの力なら、今のこのような回復状況となることも知っている。


 即ち誰かがそんな力を振るったことに他ならない。そんな考察をしながらジンは行き着いた思いを胸中に漏らす。


―― こ、これはこの男がやったのか? もしかして異能者なのか?


 これはジンたちの癒やしのようなことを行った処置の跡に見えるわけだ。これまで見てきたソフィアの対処よりは稚拙で雑然としているが、確かに応急的な対応を施してくれたように見える。それゆえに、医者のそれではないことも明らかだった。


―― ソフィアの記憶が戻っているなら、後で直ぐに癒やしを掛け直してもらえば、綺麗に治ると思うけど、今の状況ではダメか。

―― まぁ、オレでもこれよりは綺麗に治せるかもしれない。


―― ただマコトの感じる激痛は相当のものだったろう。

―― 直ぐに対応してくれたこの男には感謝だな。

―― 今スヤスヤと眠っている状態なのはそのお陰なのだろう。


―― それにしてもこの男。なぜこんなところで異能を持つ者に遭遇するんだ?

―― ハイジャック事件の機内といい、異能者とはソチコチにいるものなのか?

―― いやまだ油断は禁物なのかもしれない。

―― 少し警戒はしておくか。


 ジンはそんな思いを巡らせながら、マコトのそれらの部位と目の前の男、ヴィルジールを相互に見返す。


 そんなジンの振る舞いの中で、瞳が一瞬だけ、微妙に曇る様子に気付いたヴィルジールは、抱かれたかもしれない疑惑を少しでも打ち消せるように、その他の状況や思いを付け足す。いわゆるごまかし作戦だ。


「それと、詳細説明の前にあちらの車の連れ去り犯を先になんとかしたほうが良いぞ。仲間が他にいないとも限らないし、逃げられても困るだろう? 所持品からV国の諜報員? だと思うが、何か心当たりは?」


 最後の句なら、ごまかしの成果も高いと踏んだヴィルジールは、その反応を見るべくジンを見上げる。


「え? V国の諜報員ですか? あ! そういえば妻が以前狙われていたと聞いたことが……」

「ほぉ、やはり何か因縁ありか」


 ごまかしは思いのほか、功を奏していることに安堵しつつ、まだ詳細は不明でも、V国諜報員がソフィアを狙う理由があることを知り、自身の推測が一つ確度を高めることに喜びを得たヴィルジールはニヤリと惡顔を覗かせる。


 その一瞬の表情をジンは見逃さなかったが、違和感は感じつつも、そうであるなら状況から察せられる目の前の男の素性がV国諜報員ではないことの裏付けにもなる。


 このことからも今の敵ではない、というある種の確度の高い信用が得られるため、ジンは犯人拘束へと乗り出す決意とともに、今遅れて到着したイルにソフィアを委ねる意図を伝える。


「到着です。この周辺以外は問題なさそうです」

「ああ、イル? ありがとう。こちらはヴィルジールさんとシエラさん。旅行者でソフィアたちを助けてくれたそうだ。じゃあ、イルはマコトとソフィアの状況を見ててくれるか? オレは犯人の拘束に当たる」

「了解。マコちゃんは寝てるみたいね。え? こ、これは……」


 イルも眼の前のマコトの状況に何か気付いたようだ。そんなイルの様子にジンは尋ねる。


「どうした?」

「ひどい怪我を負って血みどろだったみたい……だけど癒やしを掛けてくれたのか、傷は塞がってて……でもたぶん他に骨折もしていて……回復に向かってるけどまだ弱々しい感じ……」


 イルもジンと同様の所感を持ったようで、さらに確度を高めたジンはヴィルジールの異能について触れ、イルにはソフィアの看護を依頼する。


「……そうか……ヴィルジールさん、あなたは異能が使えるのですね。イル? マコトはこの後で直ぐにオレが診るから大丈夫だ。ソフィアを頼む」

「はい。ソフィーは……気を失ってる……みたい?」


 ジンから異能の存在に触れられたことで話しやすくなったヴィルジールは、ちょうどよいタイミングだと、ソフィアへの癒やしを提案する。


「あ、あの娘の母君、そなたの奥方になるのか? どうやらクスリで眠らされているようなんだが、癒やしてクスリの効果を軽減させてもいいか?」


 ほんの一瞬のこと、ジンはマコトへの癒やしに対する力量懸念から心の奥に不安を覗かせ視線を外すが、クスリ効果の軽減のための癒やしなら問題は少ないだろうと即断して笑顔を向け、協力を受け入れる言葉を返す。


「お! それができるのなら是非。やはり何か異能が使えるのですね」


「承知した。それとその、我の見る限りでは、そちらの車で、おそらくV国諜報員らしきあやつらがこの娘の母君を連れ去ろうとしているところで、追いかけるこの娘が何かをしようとして失敗したのか、転げ回って大怪我をしたようだ。その瞬間は見ていないので推測なのだが」


 ヴィルジールは承知の旨を返すが、問われる異能については触れず、まずは状況説明をする。


「そんな状況を察して、代わりに我らがその車を強引に止め、逃げられないようにパンクさせ、2名のV国諜報員らしき奴らには足にダメージを与えたのだが、間違ってはいないよな?」


 さらに、行動の向きの是非を確認すると、「はい」と、ジンは笑顔で頷き、それを確認したヴィルジールはソフィア救出までの経緯と、アドバイスを返す。


「その時に母君の救出を依頼され、この娘は気を失ったという状況だ。奴らはまだ仲間がいるやもしれぬ。何かするなら急いだほうが良いな」


 いったん説明は尽くせたことで、ジンを見上げるヴィルジールは、ジンの表情が好意的であることを確認すると、安堵の表情を浮かべる。ジンも一折の理解ができたことから、この場は任せて犯人側への行動に映ることを告げる。


「わかりました。ありがとうございます。私は犯人拘束に向かうので、よろしくお願いします」

「承知した」


 ジンは犯人に向け駆けていく。


 ヴィルジールは、マコトから離れ、ソフィアに近付くと、両手をかざして癒やしを掛け始める。


 ソフィアと違い、ヴィルジールの癒やしは光が灯らない。ただ手をかざしたその空間に光の残滓のような、空気中の埃に光が反射するような、チラチラとした淡い煌めきが生まれ、ゆっくりと渦を巻くようにソフィアの身体を取り囲む。そしてそれは、次第にソフィアの身体の中心に向けて収束していくように霧散する。


「うわぁ、ソフィーとはまた違うけど、惹き込まれるような……綺麗……」


 その癒やしの状況を見たイルはソフィアとは異なる初めて見る種類の癒やしにうっとりしながらその感慨を漏らす。


 このヴィルジールの癒やしとは、ソフィアなどのそれとは少し異なり、身体に対する異物、この場合、嗅がされたクスリがそれに当たるが、その異物の効果を打ち消すようなそんな働きをするようだ。それと同時にソフィアほど強力ではないが、本来、身体に備わる自然治癒力を刺激することで発揮する治癒効果のようだった。


 ヴィルジールは、口振りからイルもまた同じ異能者である確信が得られたことで笑みを漏らしながらイルに問いかける。


「ふふ。そうか。君たちにもそんな力があるということだな?」

「はい。あ!」


 うっかり漏らしてしまったイルは慌てて両手を口に当てる。


「あ、これは普段は話さない秘密なのだな? まぁ、我も力を見せているのだから、今更な感じもするがな」

「そ、それもそうですね」


 ヴィルジールの言葉にイルが納得していると、そこへシエラが名乗り出る。


「あ、あなたはイルちゃんとおっしゃるのね? 私はシエラです。なんて可愛いのかしら。それにその髪色。素敵ですね」

「え、え、え! は、はい。イルです。初めまして」


 イルのあまりの可愛らしさにウズウズしながら、会話の区切りを待っていたシエラがようやく名乗りを上げられて、その可愛らしさと髪色を褒める。


 すると、突然褒められたイルは慌てながら照れながらも頬を染め挨拶を返す。また、イルからすれば乙女全開のシエラが綺麗で、イルの瞳にとても格好よく映ったその感想を付け足す。


「お、お姉さんもとても素敵です」

「え? 私? まぁ」


 自身を誉め返されたことへの照れが混じりながらも、返されたことで近付きやすい心境も生まれ、イルのそのリアルな驚き具合と恥ずかしがるその一挙一動に興奮が隠せないシエラは、瞳をキラキラさせながらイルに僅かずつにじり寄る。


 すると、ヴィルジールは自身の信用を高めたい意図もあるが、シエラが知りたがっていた、ソフィアの身体に起きていることを確認するために、シエラが行ったこと、その簡易な説明と、身体事情についてイルに尋ねる。


「あー、このシエラがこちらのソフィアさん? を車から救出したんだ」

「え? 助けてくださったんですね。ありがとうございます。いくら感謝しても足りないくらいです」


「あ、うん。どういたしまして」

「……それと、このシエラも特殊な力があるんだが、こちらの女性、ソフィアさん? の身体の中で、気の流れなのか、何かの滞りがあったようで、シエラがそれを整えたらしい。この女性はどこか悪いところでもあったのか?」


「いえ、身体に悪いところなんかはないみたいですね。あ! 身体というか、今、記憶喪失になってしまっていて。早く記憶が戻るといいんですけど……あれ? ……滞り? ……気の流れ? ……もしかしてそれが関係したりしますか? ……」


 イルは気の流れの滞りと聞いて、記憶喪失とは一見関係しないと思えるが、身体の不調は思わぬところで繋がっていることもあることを昔何かで知った記憶が蘇り、それを尋ねてみる。


「なんと、記憶喪失? それは厄介だね」

「え? 記憶喪失だったのですか? あー、あー、あー、なるほど〜。あの捻れはもしかして……うーん……ほーほー……ヴィルさま? もしかするともしかするかもですね」


 ヴィルジールは、直接的な関係性を思い描けないのか、あっさりウヤムヤに同調する意を返すのみだったが、どうやらシエラは違っていたようだ。


「な! なんと、シエラのその力は記憶領域にも及ぶのか?」

「いやいや。私の力で記憶領域なんて直接どうにかできるようなものではないですよ。ただ、あの捻じれ具合だと、身体のどこかの機能がうまく動けないような、それほどの滞りだったんじゃないかなーって思うのです」


 ヴィルジールはシエラの力に感嘆の言葉を漏らすが、シエラは否定する。しかし、間接的になら、陥っている状況に影響を与えている可能性があることをシエラは告げる。


 イルはそんな会話の成り行きを、両者を見返しながらただただ聞いているだけだった。


 そんな会話をしているうちにも、ソフィアへの癒やしは進み、ふと変化の兆しが訪れる。まぶたや指先。いままでピクリともしなかった部分に僅かな変化が表れたのだ。そしてついに首が僅かに動き、ソフィアの口元から息とともに声が漏れる。


「ん? ……んーん……」


「あ! ソフィー! 気付いたのね?」

「おぉ、気付いたようだな」


「あれ? ここは? 車が……え、駐車場? イルちゃ? 私は一体」

「え? ソフィー? イルがわかるの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る