第16話 『髪留め』
「あー、次の授業ダル〜」
ぐぐっと体を伸ばした金髪の女子高生が言葉通り気だるげにそんなことを口にする。
大きな胸がこれでもかと主張され、隣を歩いていた柊木結花はそれを恨めしそうに睨んでいた。
「……」
高校生にもなると、ここまでスタイルにも差が出るのかと心の中で落ち込んでしまう。
自分の母があまり大きくないので、そこまで期待はしていなかったけれど、それでも同年代のここまで大きな胸を見るとやはり凹んでしまう。
「そういえばさ」
金髪のギャルが思い出したようにつぶやく。結花はそれに「ん?」と反応した。
「前からずっと気になってたんだけど」
そう言った彼女の視線は結花の頭部、もっと言うと前髪の辺りに向いていた。
「その髪留め……」
「これ?」
言いながら、結花は自分の前髪を留めている花の髪留めに触れる。
「ちょっと子供っぽくない?」
「あー、まあ、ね」
金髪ギャルの言葉に結花は曖昧な返事をする。それを見て、違和感を抱いたのか、ギャルは眉をひそめた。
「なんかワケアリ?」
「んー、ワケアリっていうほどでもないんだけど」
あはは、と結花は誤魔化すように笑った。そして、その髪留めを外して手のひらに乗せる。
それを眺める結花の瞳は優しくて、懐かしむような温かいものだった。
「なになに、彼ピッピからのプレゼントだったり?」
「彼ピッピ……ではないんだけど、そうだね、大事な人からのプレゼントかな」
*
六人が一斉に駆け出す。
そこに差はない。ここからどう判断するかが勝敗を分けるだろう。
走り出して数秒。
三分の一程度を超えたところだけど、まだ六人は横並びで走っている。
スタミナのことを考えて、全力は出していないはずだ。こうなると、どこからスパートをかけるかというのが最大の駆け引きとなるだろう。
オーディエンスは拮抗した勝負展開に盛り上がっていた。誰の名前を読んでいるかまでは分からないけど、皆が思い思いの言葉を投げかけている。
半分を走り終えたところで、俺は自分の足にグッと力を込めた。
相手の様子を伺っていては後手に回ってしまう。こちらから仕掛けてやる。
六人の中から俺が一番最初に飛び出た。しかし、そのコンマ数秒後、もう一人が同じように列を抜ける。
俺の動きを見て動き出したというよりは同じタイミングで飛び出すことを考えていたっぽい。
ただそれが僅かにズレたというだけ。
そして。
俺とそいつの動きを見て、あとを追うように飛び出したのは白鳥だった。さらに白鳥のあとに残りの選手が続く。
この時点で白鳥とそれ以降に差ができる。数字にすれば大したものではないけれど、競技においては致命的な差がある。
つまりこの勝負、三人での一位争奪戦となった。
三分の二を走り終え、残り僅か。
依然としてトップは俺。
その後ろに一人いて、ついにそいつは白鳥に並ばれる。後ろに追いつかれるというのは精神的なダメージにも繋がり、抜いた白鳥と俺の一騎打ちとなった。
さっきから全力で走っているのに、差を詰めてくるってどういうことだよマジでバケモンじゃねえか。
息が切れる。
足が重たい。
肺がはち切れそうだ。
それでも足は緩めない。
ただ前だけ見て走る。
しかし、ついに白鳥が俺に並んだ。
隣にやってきた白鳥を一瞬横目で見ると、同じタイミングで彼もこちらを見ていた。
一瞬だけ目が合って、二人して再び前を向く。
ゴールは目前。
その瞬間、僅かに白鳥が前に出た。
ダメか?
いやまだ諦めるな。
最後まで気持ちを切らすな。
頭によぎる敗北の二文字を必死に振り払う。
残り僅か。
数秒での勝負。
まだ追いつける。
最後の力を振り絞りたいのに、どころかまるでタイヤがパンクしたように力が抜けていく。
このままじゃまずい。
そうは思っても、どうしようもない。
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。
どうしていいのかわからなかった。
勝てないのかな。
ついには脳がそんなことを考え始めた、まさにその瞬間だった。
「がんばれ颯斗! 勝ってーっ!」
耳に届いた彼女の言葉。
聞き紛うはずのない、ヒロインの声。
彼女にあそこまで言わせておいて、このままで終わるわけにはいかない。
このタイミングでそれは反則だろ。
ここで負けたらめちゃくちゃカッコ悪いじゃないか。
「ッ、う、おおおあああ」
歯を食いしばり、全てを出し切る。
あとで倒れてもいい。
だから、今ここで。
白鳥を抜く力を……。
そして。
パンッ! パンッ!
と。
決着を告げる二発の銃声が響いた。
*
その翌日は運動会の振替休日で授業は休みだった。
父さんは仕事に向かい、母さんは朝からせっせと家事を済ましている。
昨日の疲れが残っていたのかぐっすりたっぷりと睡眠を取った俺が十一時に起きると母さんは部屋の掃除を済ましているところだった。
「あら、起きたの? お昼は外で食べよっか?」
「……どうしたの急に」
寝起きの俺はむにゃむにゃといった声を漏らす。
運動会お疲れさまという名目の外食は昨日の夜に行われたはずだ。となるとわざわざ外食へ行く理由が思い当たらない。
「たまにはいいでしょ? 昨日はお疲れさまのご飯。今日はママからの頑張ったねとご飯よ」
「そういうことなら」
「ほら、顔洗って目覚ましてきて」
そんなわけで俺は母さんと二人で昼から出かけることになった。車で向かうらしく、俺は助手席に座りシートベルトを締める。
「さて、行くわよ」
「安全運転でね」
「分かってるわよ。ママを誰だと思ってるの?」
ドがつくほどのペーパーじゃん。
父さんならこんな不安は抱いてないよ。しかも毎回出発前に「アクセルってこっちよね」とか呟くから不安が倍増する。
案の定、本日もノルマのように呟いて志波カーは出発した。向かったのは車で十五分ほどのところにあるショッピングモールだ。
昼食のついでに買い物もできるから、という理由は尤もなものだった。母さんのドライブスキルだとあっちこっち回るのは大変だろうし。
「颯斗はなに食べたい?」
「なんでもいいけど」
「なんでもいいはダメよ。颯斗が頑張ったご褒美なんだから」
昨日の晩ご飯は焼き肉だった。
子どもの胃袋の小ささを恨んだね。全然食べることができなかった。
「……じゃあ、ハンバーグ?」
ううん、と唸って絞り出した。
結局ハンバーグが美味しいんですよ。子どもはみんなハンバーグが好きなのだからして。嫌いと言ってる人を俺は見たことがない。
「あ、それと」
思い出したように母さんが言う。
ちょうど赤信号で車が止まり、母さんがこっちをにやにやしながら見てくる。
「一位を取ったらなんでも好きなものを買ってあげる約束だったでしょ。決まってるなら今日、それも一緒に買っちゃう?」
「うん。買いたいものはもう決まってるんだ」
「へえー、そうなの。また漫画?」
俺がお手伝いポイントで漫画を買っていることはレシートを確認している母さんも把握している。
だからどうせ漫画だろうという安直な結論に辿り着くのも無理はないんだけど。
今回はそうではない。
「いや、違うやつ」
「そうなの? 珍しいわね。じゃあなに買うの?」
「……髪留め」
「はえ?」
これほどまでに間抜けな母さんの声を、俺は初めて聞いたかもしれない。
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