第10話 『パンツ、見られたよね』


 恥ずかしかったはずなのに。

 そんなことよりも先に出たのは『悔しい』という言葉だった。

 肩も声も震わせて。

 彼女はハッキリとそう言ったのだ。


「柴田に好きにされたことがか?」


「なにもできなかった自分が」


 正義感もここまで来ると大したもんだ、と俺は心の中で感心する。


「なにもできなかったことはないだろ。向こう見ずなところはあるけど、それでも結花に助けられている人はたくさんいるよ」


「……」


 今はなにを言っても届かないか。

 俺はゆっくりと立ち上がった。


「俺は戻るよ。先生には適当に言っとくから落ち着いたら戻ってくるんだぞ」


 それだけ言って、歩き出したんだけど。


「ま、まって」


 手を握られ、というか掴まれて、強制的に止められてしまった。勢いを削がれた俺はどうしたのかと振り返る。


「もうちょっとだけ、一緒にいて?」


 なんだこいつ可愛いな。

 こんなこと言われて、いや帰るからと自分の意志貫き通す奴はいないだろうな。


「……そう言うなら、あとちょっとだけな」


 結花は手を放さなかった。

 イスに戻るには手を放してもらう必要があるんだけど、なんかそんなこと言う感じでもないので、俺は彼女の隣に腰を下ろすことにした。


「ねえ」


 俺の存在を隣に感じてから、結花は小さな声を漏らす。


「ん?」


「あたし、間違ってるのかな?」


 顔は俯いたままだ。

 弱々しい声色こそそのままだけど、生気というか元気みたいなものは少しだけ戻っていた。


「やってることも言ってることも間違っているとは思わないよ。一つ、それを上げるとするなら、やり方じゃないか」


 あの柴田に対して、ならばどういうやり方が正解なのかと言われたら、それは俺にも分からない。


 もしかしたら何を言っても無駄なのかもしれない。


 でも、結花のやり方を続けた結果がこれだからな。


「結花はもうちょっと、自分が女の子だってことを自覚したほうがいいよ」


 すると、結花は顔を上げて俺を見た。

 悔しいと言っていた、だからその瞳に浮き出た涙はそのためだろうか。今にも流れ落ちそうなくらいに、瞳をうるうるさせている。


「女の子だから、誰かを助けちゃいけないの?」


「女の子だから、無茶をするなって言ってるだけだ。助けちゃいけないなんて、そんなことは言ってない」


「でも、他の誰も助けてくれない……」


 人っていうのは良くも悪くも空気に流される生き物だからな。あの張り詰めた空気感の中で動くには相当の勇気が必要になるだろう。


 しかも、そこにはあの柴田がいる。

 楯突こうものなら、明日のイジメの対象は我が身になり得る。そうでなくとも、男なら拳の一発くらいは飛んでくるのは覚悟しないといけないだろうな。


「俺は、結花が頼ってくれるんなら、なんだってするよ」


「……でも、颯斗は佐藤くんのこと見て見ぬふりする」


「佐藤くんは結花じゃないからな」


 俺が言うと、結花はどういうことだという険しい顔をこちらに向けてくる。


「俺はな、正義のヒーローになりたいわけじゃないんだよ。なれるとも思ってない。困っている人みんなに手を差し伸べようとは思ってないし、そんなことできない」


 人間っていうのは自己中な生き物だ。

 いつだって、第一に自分の利益を考える。その行動で自分にメリットはあるのかと常々意識している。


 だから、そもそも誰かを助けようとは思わないんだけど、中には結花のように異常なまでの正義感を持つ人もいた。


 そういう人を凄いとは思うけど、尊敬したことはなかった。

 その正義感は、いつだって自己犠牲の上で成り立っていたものだったから。


 だから。


 やれるとは思わなかったし。

 やろうとも思わなかった。


「何かを変えようと頑張る人がいたなら、俺はそういう人には手を貸したいと思うよ。でも、佐藤は現状を変えようとはしてない。あいつがしてるのはいつも現状維持だ。これ以上悪い方向に進んでほしくないっていう気持ちしかない」


 それを悪いことだとは思わない。

 だって、俺もそうだったから。

 変えようとして、その結果いまよりもっと悪い状況に陥るかもしれなくて、現にそうなったことだってあった。


 だから、変えることが怖かった。


 だから、変えようと頑張る人を凄いと思った。


「あたしは、変えようとしてるから助けてくれるの?」


「それもあるけど」


 まっすぐ見られると照れるな。

 俺はぽりぽりと頬をかきながら視線を逸らす。その宝石のようにきらきらと光る瞳に見つめられると、余計なことまで口にしてしまいそうだ。


「結花だから助けるんだよ。全員を助けようとは思ってないけど、自分の周りにいる人くらいは助けたいって思ってる」


 そう言うと、俺の手を握る結花の手に力がこめられた。まるでそこから何かを伝えようとしているようだった。


 ありがとう。

 もうだいじょうぶだよ。


 そう言われているような気がした。


「今度こそ、教室戻るわ。さすがに怒られるだろうし」


「あ、あたしも戻るよ」


 俺が立ち上がると、結花も同じように立ち上がった。結果、手を放すタイミングは逃してしまった。


「もういいのか?」


「うん。だいじょうぶ」


 にこりと笑った結花に、無理をしているような感じはなかった。


「あれ、お前髪留めは?」


 今、今日初めて結花の顔をまじまじと見たけれど、すぐにその違和感には気付いた。


 彼女がいつも前髪をまとめている髪留めが今日はなかった。


「あ、えと、机に置きっぱなしだったかな。つけ直してるときに、朝のことが起こったから」


「そうなんだ。髪留めないと印象変わるな」


 アクセサリー一つで相手に与える印象が変わるのだから、女の子というのは不思議なものだ。

 まあ、お風呂上がりとかに見ているのでその姿を初めて目にしたわけではないけれど、校内で見かけることはなかったので新鮮に感じた。


 感心していると、結花はもじもじと体をくねらせていた。


「ない方が可愛い?」


「いや、別に」


「はえ!?」


 俺が最後まで言い切る前に結花がガーンという効果音と共にショックを受けていた。


「あってもなくても可愛いって言おうとしたんだけど?」


「ならそう言ってよぉ」


 安堵したような声を漏らす結花を見て、俺はくすりと笑ってしまう。


「最後まで聞かなかったのはそっちだろ。まあ、でも、ある方が見慣れてはいるけどな」


 そんな話をしながら保健室を出る。

 一時間目が始まっているので、廊下はとても静かだった。まるで、校内には俺たちしかいないような錯覚を覚える。


「ねえ、颯斗」


「ん?」


「……みんなにパンツ、見られたよね」


「あー、どうだろうな。近くにいた奴らには見られたんじゃないかな」


 幸いだったのは、柴田グループと俺を除けばそのほとんどが女子だったということか。

 男子たちは柴田に怯えず後ろの方にいれば、柊木結花のサービスショットが拝めたというのに。今頃後悔してるだろうな。


 俺が言うと、結花は「だよねぇー」と言いながらがくりと肩を落とす。


 ここは何か一言かけておいた方がいいよな。なんて言うのがいいんだろうか。


 気の利いた一言……。


「でも、あれだ、可愛い下着だったし……」


 無言でビンタされた。

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