第7話 『一石三鳥じゃん』


 モテる基準というのはおおよその年齢によって変わってくるものだ。

 ある程度のビジュアルや清潔感は大前提として、そこにプラスアルファされる要素はそれぞれで異なる。


 大人になれば安心感や財力がものを言うし、高校生はイケメンが大事だし、中学生は面白さが重視される中、じゃあ小学生は何なのかと言うとこれは声を大にして言うことができる。


 運動ができる奴だ。


 かけっこが速かったり、ドッジボールが上手かったり、跳び箱が飛べたり、ととにかく運動ができる男は女子から黄色い声援を送られる。


 かつて過ごした六年間で、俺はそれを実感した。実感したと同時に嫉妬の炎を燃やした。

 自分の怠惰を才能のせいにして、最初から挑戦することを諦めて、できる人間を羨み恨んだ。


 だから。


 この二度目の人生はとにかく頑張った。


 もしかしたら才能の差というのは少なからずあるのかもしれないけれど、それが浮き彫りになるのはきっともう少しあとのことだ。


 小学生のうちは、努力がその差を埋めてくれるに違いない。


 実際、別に運動が特別得意だったわけではないけれど、練習を重ねることでそれなりの運動能力を手に入れることに成功した。


 ランニングをして体力をつけ、同時に筋力もつける。ただやみくもに走るのではなく、フォームや足の使い方に意識を向けるとまた違う結果が現れた。


 そうして、俺はこつこつと力を蓄えてきた。


「今年こそ、絶対に勝ってやる」


 季節は秋。

 夏の暑さはようやく姿を消して、少しずつ涼しさが肌に触れるようになってきた。


 放課後。

 日課であるランニングを終えた俺はマンションの前で地面に座り込んで呟いた。


 もうすぐ運動会がある。

 中学や高校に比べたら迫力に欠けるけれど、小学生にとってはこれが全力のガチンコ勝負なのだ。


 運動会の種目の中でも言い訳なしの実力勝負といえば二十五メートル走、あるいは五十メートル走だ。

 誰かの助けはなく、誰かに足を引っ張られることもなく、別のルールもない、ただ走って速いほうが勝ちというシンプルなルール。


 そこで俺は毎年ある男に負けていた。

 今年こそはとリベンジを誓うものの、それでも俺は勝てないでいた。


 そんな運動会も今年で五度目。

 さすがにもう負けたくないぞ。


 ぽたぽたと垂れる汗を服の袖で拭っていると、視界に白のタオルがにゅっと入ってきた。


 顔を上げると、そこにはタオルをこちらに差し出す結花の姿があった。


「ありがと」


「うん。ていうか、タオルも持っとけっていつも言ってるじゃん。風邪引くよ」


 俺は結花からタオルを受け取り、顔をうずめる。洗剤のいいかおりに、不思議と体力が回復させられたような気がした。


「いや、そうなんだけど。でも、結花がこうして持ってきてくれるから」


「はぁ? あたしをなんだと思ってるの?」


 肩上までの黒髪ボブ。

 彼女と出会った小学一年生のときに比べると、幾分か大人びたように思う。

 もちろんまだまだ小学生であることに変わりはないけれど、本当に少しずつ大人になる準備を始めている感じ。


 前髪には星の髪留めがついていた。

 あれは結花の母――つまり、柊木愛花からプレゼントされた大切なものらしい。


 少し古びているように見えるけど、それでも大切にしているのを俺は知っている。


 薄手のパーカーにショートパンツと、今日の格好は少しボーイッシュだ。


「優しい居候?」


「居候じゃないですぅ」


「居候みたいなもんだろ」


 結花は、いーっと歯を見せながら訴えかけてくる。


 一年生のとき、柊木愛花から彼女のこれまでについてを聞かされた。それを知った俺の母さんが少しでも力になれればと結花を預かることを提案したのが始まりだ。


 もちろん毎日というほどではなくて、愛花が仕事で帰りが遅くなるときなんかはうちで晩ご飯を食べるようになった。

 それに始まり、休みの日なんかも一日うちにいることもあったし、なんなら泊まることもあった。


 つまり、どういうことかというと、この五年間で確実に俺と結花の距離は縮まったということだ。


 昔は一緒にお風呂に入ることもあったけど、さすがに欲情はしなかったな。あれにはマジで安堵した。


「毎年、よく諦めずに頑張るよね」


 結花も俺の隣に腰を下ろす。

 マンションの前で二人並んで座るという、よく分からない光景になってしまった。これならもう家に入れよみたいなツッコミはスルーさせてもらおう。


「勝ちたいからな」


 白鳥蓮。

 運動神経抜群の主人公みたいな男だ。誰もが彼に勝つことを諦めており、いつしか『相手が白鳥蓮なら仕方ない』という空気さえできあがってしまう始末。


 そんな中で、俺だけは未だに白鳥に抗っている。


「あとちょっとってところで毎年負けるんだよ」


 だから、実力差に絶望するみたいなこともない。逆に言うと、そう思ってしまうから諦められないわけなんだけど。


「そんなに勝つことって大事?」


「大事だろ。結花は負けても悔しくないのか?」


「……どうだろうね。負けたらっていうよりは、力がなくて何もできないことは悔しく思うかな」


「力がないから負けるんだろ?」


 俺が言うと、結花は少しだけ難しい顔をした。自分の中にある考えと俺の言っていることが重ならないのだろう。


「そうなの、かな。わかんないや」


 あはは、と笑う。

 そのタイミングで俺はくしゅんとくしゃみをしてしまう。

 それを見た結花がおもむろに立ち上がった。


「家の中もどろ? そのままいたら風邪引いちゃうよ」


「……そうだな」



 *



「最近よく食べるわね、颯斗」


 よく動けば、よく食べる。

 ランニングは日課だけど、運動会前のこの時期はそれに加えてさらに走るようにしている。


 前世の俺は努力が嫌いだった。

 なにをしても意味ないと思っていたから。

 しかし、いざ実際にやってみれば速くはなるし体力もつく。成果が目に見えるのでやる気に繋がると良い事づくしだ。


 努力をすれば、ちゃんと成果は現れる。俺はこの二度目の人生でそれを実感した。

 もしそうならないのだとしたら、それはきっと努力の方向性ややり方が間違っているのだ。


 そう思うようにしている。

 それくらいには、今は努力に意味を見出だせている。それだけで大きな進歩ではないだろうか。


「今年こそはリベンジしてやるからね。よく食べないと」


「ああ、なんだっけ、あの足の速い子。毎年一緒に走ってるわよね」


 母さんは去年までのことを思い出してか、視線を上の方に向けながらそんなことを言う。


 毎年のように親に敗北する姿を晒さなければならないのも辛い。そろそろ喜ばせてあげたいものだ、と思うけど二位でもめちゃくちゃ喜んでくれるんだよな、うちの親。ほんと親バカ。


「白鳥くんは他の子とレベルが違うんだよね。スポーツに関しては負けてるところ見たことないもん」


 そう言ったのは結花だ。

 うちの小学校は一年生、三年生、五年生でクラス替えがある。

 結花とは三年生の時点で一度クラスが離れているんだけど、そのときに白鳥と同じクラスだったそうだ。


 間近で何度も見ていたからこそ、勝てない相手だという認識も強いのかもしれない。


「颯斗も勝てなそう?」


 母さんに訊かれ、結花はううんと唸りながらこちらを見た。その瞳はどちらとも言い切れない曖昧な答えを訴えかけてきていた。


 そして。

 

「わかんない」


 結花はそう言った。

 俺はその言葉にほっとしていた。

 分からない、というのは勝てないかもしれないという意味ではあるけど、逆に言えば負けると言い切ることもない、とも取れる。

 勝てるはずがない、と言われなかったことに安心したのだ。


「よし、じゃあ颯斗。もし今年、その白鳥君に勝てたら何でも好きなもの買ってあげるよ」


「なんでも?」


 俺はぴくりと眉を動かす。

 母さんは「何でもだよ」と念を押すように強めに言ってきた。

 実は読みたい漫画が溜まってたんだよな。けどお小遣い的に買い揃えるのも難しくて、どうしたものかと思っていたところだ。


 勝てばリベンジができ、漫画が読め、さらに結花の評価を上げることができる。


 一石三鳥じゃん。


 今年の運動会。

 俄然燃えてきたぞ。

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