第5話 『ほら、あーん』


「えっと」


 まさかこのタイミングで遭遇するとは思っていなくて、俺は言葉を詰まらせた。


 良好な関係であったならば、プライベートでの遭遇ほどテンションが上がるイベントはないだろうけど、俺と結花の間にはまだ埋めきれない溝がある。


 ここでアプローチを仕掛けたところでまた印象を悪くするだけだろうし、今俺がするべき最善はこの場を去ることだよな。


「こんなところで会うなんて奇遇だね。あはは。それじゃあ、ぼくはこれで」


 できるだけ愛想はよくして断りを入れながら俺はこの場を退散しようとした。


 が。


「あら、颯斗。お友達?」


 手遅れだった。

 ていうか、買い物揃えるの早すぎるだろ。

 いつもの流れとして、母さんが買い物のラインナップを揃えるとお菓子コーナーにいる俺を迎えに来る。だから今日もそうなるのは予想できた。


 一つ予想外だったのは、急いだのかっていうくらいに母さんの迎えが早かったことだ。


 母さんは入学式の日に俺が結花を見ていたことを知っている。あの場では誤魔化したけど、もし母さんが覚えているなら余計なことをしかねない。


 ぎこちない関係のまま、親の強制力により関わらざるを得ない状況に陥るのは俺としても辛いぞ。


「あ、えっと」


 母さんが俺を見てから結花の方に視線を移す。微々たる違いだったけど、表情が動いていた。なんか余計なことしそうな気がする。


「どうも。颯斗の母です」


 母さんがそう言いながら結花のところへ向かう。そんなことしたら、結花は逃げれないだろ。


 案の定、彼女は。


「はじめまして。柊木結花です。颯斗くんのクラスメイトです」


 礼儀正しく挨拶を返す。

 さすがに親の前で堂々と避けたりはしないらしい。


 とはいえ、このまま母さんを放っておくとどうなるか分からないので、ここはさっさと切り上げよう。


 そう思っていると。


「結花ー? ん?」


 向こうから結花の名前を呼ぶ女性の声がした。そちらを見ると亜麻色の長い髪の女性がこっちに歩いてきていた。


 おいおい、ちょっと待て。


 あれって。


「あら」


「どうも」


 結花の母――つまり、柊木愛花がやってきた。母さんと目が合い、あらあらうふふと微笑み合う。


「始めまして。志波颯斗の母です」


「こちらこそ。柊木結花の母です」


 ぺこりと挨拶をし合う。

 普通ならばそこで「それではまたどこかでー」なんて言葉で締め括られるんだろうけど、うちの母に限ってはそうは問屋が卸さない。


 適当に話を繋げていき、コミュニケーションを図る。

 これは別に結花の母だから、という行動ではなく、ただ単にお喋りが好きなだけだ。


 ふと知り合いと遭遇すれば立ち話が始まったりする。強いて一緒に買い物に来たくない理由を上げるとするならばそこなんだよなあ。


 案の定、二人の話は少しずつ盛り上がっていく。俺と結花だけが、気まずい空気を味わっていた。


「立ち話もなんですし、良かったらこのあと少しお茶でもどうですか?」


「あ、いいですね。ぜひ!」


「え゛」

「ちょっ」


 その展開に俺と結花が同時にリアクションをした。二人とも『それは勘弁してくれ』というニュアンスがこもっていたけど、母さんたちはお構い無しに話を進めていく。


 こうなると子供は無力だ。

 ただ親に振り回されるだけ。


「……なんかごめん」


 母さんたちはレジへと向かった。

 取り残された俺はとりあえず結花に謝っておく。


「ううん。こっちこそ」


 もにょもにょとそんなことを口にした結花は俺のところへ駆け寄ってくる。


 そして、耳元に顔を近づけてきて、ひそめた声でこんなことを言ってきた。


「いやな態度とってごめんね。あたし、颯斗くんのこときらいじゃないよ」


 つまりは、ずっと母の『イケメンを信用するな』という言葉を守り続けていた結花だったけど、自分の母のが俺の母さんとの交流を受け入れたのを見て、自分も俺と仲良くしても大丈夫という認識に変わったのだろう。


 最初から嫌われていたわけではなかった。そうだとは思っていたけど、こうして実感すると安心する。


「あはは、それは良かった」


 ただ。


 この変わり身は反則だと思う。



 *



 スーパーで買い物を済ませたあと、近くにあった喫茶店に入ることになった。

 中はシックな雰囲気が広がる落ち着いた雰囲気で、客層も大人しい人たちが多いのか店内は静かだった。

 流れるクラシックの音楽と、適度な音量の会話がそこらから聞こえてくる。


 四人がけの席に案内され、それぞれの親子が隣同士に座る。俺の前には結花が座った。


 母さんらはコーヒーを頼み、俺たちはパフェを食べることを許された。たまには喫茶店も悪くないね。


「私、まだお話できるような方がいなかったんで本当に助かりました」


 柊木愛花は心底安堵したようにそう言った。

 最後に見たのは高校生の彼女で、だからどうしても母親としての顔には違和感が働く。


「そうなの? いつでも頼ってくれていいからね?」


「頼もしいです!」


 手を合わせて瞳をきらきらさせる柊木を見て、結花は少し驚いたような顔をしていた。母親のそんな顔をあまり見ることがなかったからだろうか。


 母さんと柊木はここに来るまでにも言葉を交わしていて、随分と打ち解けていた。

 その証拠に、母さんの口調がフランクなものに変わっているのだ。歳下だから、と柊木の方から母さんにお願いしていた。


 母さんたちの会話が盛り上がってきたところで注文していたコーヒーとパフェが届いた。

 甘いものは好きだけれど、でもコーヒーも結構好きだったのであの苦みが恋しくも思う。ただやっぱり小学一年生がブラックコーヒーを飲むのは違うかなと思って避けているのだ。


 俺はバナナパフェ、結花はいちごパフェをそれぞれつつく。


 すると。


「ねえ、颯斗くん」


 結花が話しかけてきた。

 母さんたちはあっちの会話に夢中で、俺たちのことはあまり気にしていない。

 通路側に親が座っているので少しくらいは目を離しても大丈夫ということだろうか。まあ、普通に信頼されているという可能性もあるだろうけど。良い子だからな、俺は。


「うん?」


「バナナパフェ、少しちょーだい?」


「え゛」


 純粋無垢な瞳が俺に向く。

 さすがは小学生、間接キスとかそんなの全く気にしていないんだ。なのにこっちがそんな理由で断ったら笑われる。


「ん?」


「い、いいよ」


 俺はできるだけ平然を装い答える。

 結花は「やったぁ」と笑って、身を乗り出して口を開いた。


「はえ?」


「ははふ、ひょーはい?」


 俺はてっきりグラスを渡すのだと思っていたけど、結花はどうやら食べさせてもらうつもりらしい。

 いやいやそれはさすがに恥ずかしいよ。だって隣見てみな? さっきまでこっちの様子なんて無視していた母達があらあらうふふと微笑んでいるんだぜ。


「……」


 恥ずぅ。

 けどやらなければ終わらない。

 俺は覚悟を決めてパフェを結花の口に運んだ。口内にスプーンを感じた結花はぱくりと口を閉じる。


 そして、頬に手を当てながら笑い、「おいひぃ」と幸せそうな声を漏らした。


 こういうのにも慣れていかないとな。

 二周目の俺の人生は、この先こういうことが頻繁に起こっていくんだもんな。


「はい。颯斗くんもどうぞ。あーん」


「いやいいよ」


 それはまじで恥ずかしい。

 俺が遠慮すると、結花は捨てられた子犬みたいな顔を向けてくる。なんでこっちが悪いことしたみたいになってるんだよ。


「遠慮しないで、ほら、あーん」


「だいじょうぶだって」


 同じやり取りを繰り返す。

 泣きそうな顔をするものだから、なぜか俺が罪悪感を抱くことになってしまう。


「こら、颯斗。せっかく結花ちゃんが食べさせてくれてるんだから、もらわなきゃダメでしょ?」


「いや、でも」


「ごめんね、颯斗君。結花のワガママに付き合ってあげて?」


 母さんだけでなく、柊木にまでお願いされてしまう。

 この空気の中で断り続けるのは無理だ。諦めてさっさと食べてしまおう。


 意を決して、身を乗り出していちごパフェを食べる。バナナでは感じられない酸味と甘味のコラボレーションが口の中で広がった。うま。


「ありがとうね、颯斗君」


 柊木がにこりと笑ってくる。

 その笑顔は本物で、裏側に黒い何かがあるようには思えない。


 けれど。


 彼女が口にしたという『イケメンは信用するな』という言葉。何もない普通の女がそんなことを言うとは思えない。


 訊いても大丈夫か?


「ねえ、結花ちゃんのお母さん」


「ん? なに?」


 俺は一瞬だけ考える。

 どう言えばいいだろうか、と。


「イケメンの人になにかされたの?」


「へ?」


 俺の口から出たのが予想していたものではなかったからか、柊木の表情が固まる。


 奇をてらう必要はないんだ。

 俺は今、小学一年生なんだし答えたくなければ適当に誤魔化してくるだろうし。


「こら、颯斗。突然なにを言うの!」


 母さんが慌てて口を挟んでくる。


「えー、だって、この前結花ちゃんが言ってたんだもん。イケメンの人を信用するなってお母さんが言ってたって。それでぼく気になっちゃって」


「だからって、そんなこと訊くもんじゃないの! ごめんなさいね、柊木さん」


「ごめんなさぁい」


 俺はわざとらしく、しゅんとしてみせて謝っておく。これでダメならとりあえず今日のところは諦めるけど。


 そう思いながら、ちらと柊木の方を見た。


「……大丈夫です。気にしてませんから」


 そう口にした柊木は苦笑いをしていた。ふう、と小さく息を吐くときには暗い表情になって、そして母さんを向き直ったときには真面目な顔をしていた。


「楽しい話ではないんですけど、聞いてくれますか?」

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