第1話 『これは運命だ』


「颯斗ー、早く起きないと学校遅刻するわよー? 初日から遅刻は印象悪いわよー? 友達一〇〇人作るっていう目標の達成が遠のくわよー?」


 そんな目標経てた覚えはない。

 心の中でツッコミを入れながら、俺、志波颯斗はゆっくりと体を起こす。


 寝室には布団が三つ並んでいる。

 奥から母、俺、そして父のものだ。リビングと繋がる場所にはドアはなく、ひらひらと揺れるカーテンがあるだけだった。


 そこから顔を覗かせた母さんは起きた俺を見て満足そうに笑い、リビングの方へと戻っていく。父さんの姿はない。既に起床し、朝食でも食べているのだろう。


 カーテンを揺らしながらリビングへと出る。予想通り、そこには父さんがいて、コーヒーを飲みながらニュースを眺めていた。


「おはよう」


 寝起きの俺が微睡みの中にいるような声で言うと、父さんは「おう、おはよう!」と爽やかな青年のような笑顔で挨拶を返してきた。


 大きなテーブルにはイスが並べられていて、テレビとは離れた位置に父さんが座っている。

 テレビを観る兼ね合いで、普段はその隣に俺、そしてその隣のお誕生日席に母さんが座る。


 母さんはリビングと繋がっているキッチンの方にいて、俺が起きたのを確認したところで朝食の準備を進めた。


 その間に、俺は顔を洗いに行く。

 リビングを出ると廊下があって、そこの左手に洗面所がある。洗面所に入ると右にはトイレ、左にはバスルームがある。つまりここは脱衣所でもあるということだ。


 バシャバシャと冷たい水で顔を洗い、目を覚ます。


「……ふう」


 タオルで拭いた顔を上げると鏡に自分が映る。歯ブラシに歯磨き粉をつけてシャコシャコと磨く。

 母さんがイチゴ味を買ってくるので仕方なく使っているけど、甘ったるくてしょうがない。どのタイミングで変えてもらうのがいいか、毎朝考えている。


 イケメンだなぁ、と思う。


 イケメンや美少女、つまるところ容姿に恵まれた人間は人生がイージーモードだと思う。


 けどそう言うと、人はそんなことないと否定してくる。加えて、大事なのは重ねた努力だとか中身だ云々と説教を垂れてくる。


 ブサイクにはイケメンの気持ちは分からないし、逆にイケメンにはブサイクの気持ちは分からない。

 だから、その論争にも答えはない。だってお互いがお互いの立場になって考えられないから。


 しかし。


 イケメンフェイスを得た今、イケメンサイドの境遇を理解した今、俺はその論争に結論を出すことができる。


 答えは決まっている。

 やはり俺の考えは間違っていなかった。


 歯磨きを終え、口の中をゆすいでから鏡に向かってニカッと笑う。


 うん、やっぱりイケメンだ。


「こりゃ将来有望だな」


 リビングに戻ると、テーブルの上には俺の朝食が準備されていた。

 皿の上に目玉焼きベーコンとサラダ、そしてこんがり焼けたトースト。それと一緒に牛乳が注がれたアンパンマンのコップ。


「いただきます」


 手を合わせてからトーストをかじる。毎度ながら絶妙な焼き加減である。

 母さんは料理が上手い。

 まるでホテルのモーニングブッフェに出てくるようなクオリティ。朝からパクパクと食べれてしまう。胃袋が小さくなっているのが非常に残念である。


「ねえ颯斗」


 イスに座り、同じようにトーストを食べる母さんが俺の名前を呼ぶ。「なに?」と俺は母さんの方を向いた。


「どきどきしてる?」


「べつに。してないよ」


「ええー本当に? だって入学式だよ? 今日から小学生なんだよ? ママはドキドキが止まらないのに!」


「なんでママがどきどきするのさ」


「颯斗にちゃんと友達ができるか、ママは心配なのっ」


 本当に過保護だ。

 呆れるほどだけど、このレベルの美人に甘やかされるのは悪くない。

 母という認識があるからか、性的興奮は微塵も抱かないんだけど。


「だいじょうぶだよ。きっと」


 俺は母さんを安心させるように笑いかけた。このイケメンフェイスの威力を持ってすれば、母さんとてイチコロさ。


 今日は小学校の入学式。

 志波颯斗、やり直し人生の第二幕が始まろうとしているのだ。



 *



 確か、この世に再び生を受けてから二日ほど経った頃だったと思う。


 いわゆる前世の記憶というものが俺の中におぼろげに蘇ってきた。


 不思議なことに全てがクリアに思い出せるわけではなく、様々なものが断片的に頭の中に浮かび上がってきたのだ。


 例えば、そのうちの一つが前世の自分の容姿について。どれほどのものだったのかまでは覚えていないけれど、そこそこに整っていなかった――言葉を選ばずに言うとブサイクだった。


 それを皮切りにいろんなものが蘇ってきた。今では前世の記憶を半分以上は思い出せている。このペースなら全てを思い出すのに時間はあまりかからないかもしれない。


 そんな中でも一番強く俺の心に訴えかけてきたのは、一つのだった。


「ほら、手を繋ぐわよ」


 家を出て、学校までの道のりを母さんと歩く。母さんは入学式だからか気合を入れている。化粧もそうだけど、服装もフォーマルだ。


 俺は俺でおぼっちゃんみたいな格好だ。コナン君みたい。見た目は子供、頭脳は大人だしもう実質コナン君だ。じゃあ俺死神じゃん。行く先々で殺人事件が起きるのはゴメンだな。


「はずかしいんだけど」


「そんなこと言わないの。ほら、他のみんなも繋いでるでしょ?」


「そとはそと、うちはうちなんでしょ?」


 俺がそう言うと、母さんは盛大な溜息をついた。

 

「んもう、いつからそんなこと言うようになったのかしら。まあ、そういうところも可愛いのが恐ろしいんだけどね」


 ぐへへ、と母さんは変態みたいに笑う。もう何を言っても受け入れてもらえるような気がする。恐ろしいのは母さんの方だ。


 まあ、ああだこうだと言いながら手は繋ぐんだけど。照れ隠しみたいなもんだ。仕方ないという体裁は保っていたいというくだらないプライドみたいなのがあるんだよ。


「ねえ、ママ」


「なに?」


「ぼく、がんばって友だち作るね」


 母さんのことをママと呼ぶのも、自分のことをぼくと言うのも、いつまで経っても慣れやしない。いつくらいからなら変更しても違和感ないんだろう。


「うん。颯斗なら心配ないわ」


 前世の入学式の記憶はない。高校生くらいになって小学生の入学式ことを覚えている人はほとんどいないだろうし無理もない。


 入場して、偉い人の話を聞くだけ。

 会ったこともない知らないおっさんの話に、小学生が興味を抱くわけないじゃないか。

 ついこの前まで園児だったんだからアンパンマンとかプリキュアについて語るくらいしないと聞いてくれないぞ。


 くあ、とあくびを漏らしながら周りを見渡す。当たり前だけど、全員子どもだ。しかもつい最近までは園児だった子どもオブ子ども。


 これくらいの子どもってどういう話するんだろう。チンコとウンコで盛り上がるのは多分中学年から高学年くらいにかけてだろうし。話題を合わせるところから始めなきゃいけないだろうし、友達作るの大変かもしれないなあ。


 入学式の間、俺はそんなことを考えていた。


 入学式が終わると並んで退場し、ぞろぞろと教室へと移動する。担任らしき先生が一番前を歩いて先導していた。若い女の先生でスタイルがいい。タイミングを見計らって抱きつけたらいいな。なんつって。


「あなた、お名前は?」


 道中、隣を歩いていた女の子が話しかけてきた。こてんと可愛らしく首を傾げたその女の子からはどこかおっとりとした雰囲気を感じた。


「志波颯斗。きみは?」


「保坂彼方よ。よろしくね」


 にこりと笑ったその女の子は唇の下にあるほくろが印象的だった。紫がかった長髪で、整った顔立ちをしており、この時点で将来可愛くなることが予想できる。


 悪くない。

 いや、むしろ良いまである。


 この子はだな。


「よろしく。えっと、彼方ちゃん……でいいのかな?」


 女の子を下の名前で呼んでしまった。いきなり過ぎたかな。

 いやでも小学一年生だし。これくらいの時期ってあんまりお互いに壁とか作ってなかったような気がするんだよな。

 この頃の常識が分からない。

 

「ええ。わたしは颯斗くんって呼ぶわね」


 大丈夫だった。

 良かった、と俺は心の中で安堵した。

 

 俺が前世でした最も大きな後悔。

 それは俺がこの二度目の人生で何としても成し遂げたい目標の一つでもあった。


 ――可愛い幼馴染と最高の恋愛がしたい。


 前世の俺は相当なオタクだった。

 友達と遊ぶ時間よりも、家で一人で趣味に費やした時間のほうが遥かに長かった。


 様々な作品を愛し、応援した。

 いろんなヒロインを好きになった。

 そんな中でも幼馴染のキャラクターが大好きで、そんなキャラクターたちを愛せば愛すほどに俺の心の中にある隙間が広がっていった。


 どうせ無理だと諦めていたへの憧れだ。


 誰かを好きになって、その人に好きになってもらう。そんな普通の恋がしたかったけど、そう思ったときにはもう手遅れで。

 手を伸ばす気にもならないほどに、目の前にある壁は高くそびえ立っていた。


 だから諦めた。

 どうせ無理なことを頑張っても意味ないから。


 でも。


 もしも。


 もう一度、人生をやり直して、そのチャンスが与えられたというのなら。

 

 主人公とヒロインの恋愛譚に目を通すたび、頭の中で思い浮かべていた理想の恋愛があった。


 それが、幼馴染との恋愛だ。


 小さいときからずっと一緒で、友達とも家族とも違う、近くもなく遠くもない距離感で過ごした二人が、ふとお互いの本当の気持ちに気づいてゴールインするような。


 そんな恋愛譚に憧れていた。

 

 仮に俺がこの人生でそれを実現させようとするならば、そのためにはまず幼馴染を作らなければならないわけで。

 

 つまり、その候補の一人が、彼女というわけだ。


 教室に到着すると順番に席に座っていく。このタイミングで彼方とは離れてしまうのだが、去り際に「またね」と言いながら手を振ってくれた。かわいい。


 朝のホームルームは程なくして始まった。その頃には親御さんも教室に集まっていて、授業参観のように教室の後ろに並んでいる。


 担任の教師がいろいろと話をしたあと、初日だからと自己紹介をする流れになった。

 この自己紹介の時間が俺はあまり好きじゃなかった。

 陽キャがウケを狙いにいったりするから。その流れに乗れば大事故を起こすし、逆らえば白い目で見られる。地獄以外のなんでもない。


 しかしさすが小学生。

 さすがに淡々と進んでいく。名前と好きなものを一つ二つ上げるだけ。俺もそれっぽいこと適当に言っておくか。


 などと考えていた、まさにそのとき。


「はじめまして。柊木結花です。好きなものは――」


 まるで雷でも落ちたような衝撃が頭に走った。咄嗟に声がした後ろを振り返る。


 そこにいたのは一人の少女。


 ボブくらいの長さの黒髪。

 前髪を星の髪留めでまとめている可愛らしい女の子だった。


『――くんっていうんだ。よろしくね』


 瞬間。


『ねえ、――くん。なにかオススメのアニメとかある? 最近家にいるとき暇なんだよね』


 刹那的に。


『――くんっていろいろ知ってて面白いね』


 前世の記憶が脳内を巡った。


「……」


 俺の目の前にいる少女と、記憶の中にいる初恋の女の子が重なった。


 他人の空似か?

 いや、名字が同じだし……親族?


 そこは一旦置いておくとしても、だ。


 これは運命だ。

 そうに違いない。


「柊木、結花……?」

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