かわいい子

如月 椎名

はじめまして

転校生

「転校生が来ます」


 いつもとかわらない、朝の会の時間。樋口ひぐち先生の一言で、クラスが一気にざわついた。


“転校生”。それは魔法の言葉だと思う。

 その言葉を聞くだけで、ふわふわとした気持ちになる。ふだんと変わらない教室が、ちょっと特別に見えてくる。


 男の子か、女の子か。明るい子か、暗い子か。『転校生』のことを想像するのは、なんでこんなに楽しいのだろうか。


 クラスの中心にいる子たちはもちろん、いつもはあまりおしゃべりしない子たちも、目をキラキラさせている。


 教室のすみっこの席でひとりぼっちのわたしも、そんな魔法にかけられていた。


「せんせー!どんな子なんですかー?」


 耳がキーンとする、元気な声。私の一つ前の席のまいちゃんが、手をあげて立ちあがった。

 まいちゃんはたぶん、この学校でいちばん元気な子だ。背が高くて、運動もできる。美容師のおかあさんにセットしてもらっている髪は、いつでもきれいだ。

 まいちゃんのまわりは、いつもキラキラしている。


 このクラスのアイドルみたいな子。赤いリボンのついた髪ゴムと、ポニーテールがごきげんに揺れている。


 先生は、そんなまいちゃんのキラキラをうっとうしそうにした。おおきなため息の後、いつも通り、ぶ厚いメガネの下からぎろっとわたしたちを睨む。

『静かにしなさい』のあいずだった。


 ぶつぶつ文句を言いながら、まいちゃんは席に座る。近くの席の子が、「さすがにひどくない?」とか、「早くやめればいいのにねー」とか言ってるのが聞こえる。


 普段はあまり喋らない子にも、まいちゃんは「ひどいよねー?」って話しかけている。まいちゃんに話しかけられた子は、ちょっとびっくりしてからうんうん、とうなずく。わたしだってそうする。


『ねえ、ひなたちゃんはどう思う?』


 まいちゃんがこっちを向いて、わたしに聞いてきたら。「ほんとにひどいね!」ってうなずいて、先生の悪口をいっぱい言うんだ。 

 どんなことを言おうか、頭でぜんぶ考えているのに、まいちゃんはぜったい、わたしに話しかけない。

 どんなに話し足りなそうでも、後ろの席に座るわたしには、話しかけない。


 まるで、透明人間になったみたいだった。


 こうやって誰からも話しかけられないとき。わたしは、自分の「ひなた」って名前がすごく恥ずかしくなる。


“日向みたいに、明るくみんなを照らす子になりますように”って願いを込めて、お母さんはわたしにこの名前をつけた。


 でも、わたしはそんな子じゃない。

 いつも、まいちゃんみたいな明るい子たちをいいな、って見ているだけ。 話しかけてくれる子もいないし、一緒にいてくれるのは本だけだ。


 わたしは、“日向”なんかじゃない。明るいところのすみっこにできる“日陰”だ。


 まいちゃんたちに、影で「ひかげちゃん」と呼ばれていて、笑われてたらどうしよう。そんな心配をしていた時もあったけど、わたしは知ってる。


 まいちゃんたちは、わたしのことなんて見えてもいないこと。 わたしには、陰口を言う価値もないこと。


 まだふわふわ、ざわざわしている教室で、わたしはひとりだけ、体温がすーっと下がっていくのを感じた。

 転校生の魔法は、わたしには弱かったみたいだ。


 先生から、まいちゃんのごきげんなポニーテールから逃げるように、机から本を取り出し、文字の列を追いかけた。


 何度も何度も読んでいる、私の大好きな、天使の本。


 ひとりぼっちの女の子、ヒナの前に、ある日突然「天使」が現れる。

 真っ白な大きな翼を持った天使は「シロ」と名乗り、ヒナに言う。


『ねぇ、私たち、友達になりましょう!』


 読みなれた文字を眺めていると、心がしん、と静かになっていくのがわかる。

 この話を読んでいるときだけ、わたしは主人公になった気持ちになる。

 ひなたとヒナ。友達を上手に作れない、ひとりぼっちで内気な女の子。こんなにも似ているのに、わたしは一生、主人公にはなれない。


 だって、この世界に天使はいないから。


 ───が来るまで、わたしはそう思っていた。


 突然何人かが、おおおっ、って声をあげた。 少しびっくりして、本から顔を上げる。


 わたしは、夢を見ているんじゃないかと思った。


 教室を歩くの足取りは、飛ぶように軽やかだった。つやつやした、黒とも茶色とも違う長い髪が、歩くのに合わせてふわふわ揺れている。


 わたしならすぐに逃げ出したくなる、クラスのみんなの視線をぜんぜん気にしてないような顔で、はくるりと前を向き、黒板の真ん中に立った。


「新しくクラスにやってきた、四葉よつばさんです。ほら、自己紹介して」


 明らかにめんどくさそうな先生に、にっこり笑って「はい!」と返事をする。 その声は、聞いたことないくらい、透明な声だった。


「はじめまして!隣の星稜せいりょう小学校から来ました。四葉 真白よつば ましろです。


 初めての転校で不安だけど、みんなと友達になれるのが楽しみです!よろしくお願いします!」


 元気な、でも、まいちゃんのものとはぜんぜん違う。耳がキーンとなる声じゃない。夏のすごく暑いとき、プールに入ったみたいな声だ。


 真白ちゃんの目が、ぐるりと教室を見渡した。

 一人一人の顔を確かめるみたいに、目がきらきら光っている。


(ああいう色、なんて言うんだっけ)


 わたしはぼんやり、そんなことを考えていた。 べっこう飴見たいな、つやつやの目だ。


 そんな真白ちゃんの目が、不意にぴたっと止まった。大事な探しものを見つけたときみたいに、じーっと。まっすぐわたしを見つめている。


わたしの勘違いかな。そう思ったけど、すぐにそれが勘違いじゃないって気づいた。


 真白ちゃんは、わたしの目を見て、笑っていた。

不思議な光景だった。目の中に、ぐーっと吸い込まれていくみたいだ。万華鏡の中をのぞいているようで、わたしはただ、その目を見つめかえすことしかできない。


 そのとき、あっ、と思った。

 真白ちゃんの目の色は、「こはく色」だって。


 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*

 

 真白ちゃんの席は、わたしと反対側のすみっこだった。 先生が教室からいなくなった瞬間、真白ちゃんの周りには人だかりができた。


 みんなから色んな質問をされて、その一つ一つに、真白ちゃんはニコニコしながら答えている。


(しばらく、話しかけることもできないな)


 少しさみしかった。でも、慣れっこだ。 真白ちゃんの透明な笑い声を聞きながら、わたしはまた、文字を追いかけることにした。


 ─── 予想外のことが起きたのは、放課後だった。


 相変わらず、真白ちゃんの周りには人がいっぱいいた。 さっきまでなら、真白ちゃんは全員にニコニコして、楽しそうに話をしただろう。


 でも、違った。


「ちょっとごめんねー」と、人の間をすり抜けて。

 どんどんとこっちにやってくる。


 そして──────。


「こんにちは!」


 真白ちゃんは、わたしの目の前で、笑った。

 口のはしっこから、ちらっと八重歯が見える。


 突然の事で、言葉が出てこなかった。

 出てくるのは、「あ……」とか、「えっと、」とか、意味の無い言葉ばっかり。


 そんなわたしを見て、真白ちゃんはちょっと不思議そうな顔をした。

 でも、すぐに笑顔に戻って、こはく色の目でわたしの名札を見つめた。

 じーっと、何かを確かめるように。そして一瞬、きら、と目を光らせて。


「ひなたちゃん……。すてき!お日様の名前だ!」


 そんな真白ちゃんの言葉を聞いた瞬間、わたしの頭に、ある物語が浮かんできた。


 それはわたしのものじゃなくて、わたしによく似たヒナの物語。


 +++——————————————————+++


「ねえ、シロはどうして、たくさんの人の中から私を選んでくれたの?」


『そんなの、決まってる!』


 シロは、にっこり笑って言いました。


『あなたが、お日様みたいだったから!』


 +++——————————————————+++


 ああ、そうだったんだ。


 天使が、わたしを選んでくれたんだ。


「ひなたちゃん!私と友達になって!」


 そう言って笑う真白ちゃんに、わたしは笑い返す。上手く笑えていたかは分からない。


 それでも。


 ───ひなたと真白。ヒナとシロ。


 わたしはこの日、物語の主人公になったんだ。


 ふわふわ揺れる髪を見ながら、わたしはそう確信した。

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