知り合いと再会して

 津野田と佐村が出会ったのは、午後二時のサンマルクだった。このとき東太は津野田のポケットにちゃんと入っていた。そして津野田は佐村と対面した際、まず最初にネックレスとなった東太を突き出した。


 佐村は困惑していた。

「急に、何ですか?」

「東太さんです。」

「東太君が私にコレを?」

「いえ、これが東太さんなんです。」


 津野田は麗石、つまりは遺骨人工宝石について内富に説明した。すると佐村は己の勘違いを急速に理解して、恥ずかしそうに火照ったような顔を扇いだ。


「ああ、宝石になったって、そういうことなんですね。本当に宝石になってるんだ。」

「はい、遺骨の炭素成分を抽出して石にできるみたいなんです。」

「でもこれ、どうして貴方が持っているんですか?」


 津野田は返答に困った。正直に盗んできたと言える訳がないのである。


「実は、東太さんのお母様がこの前亡くなられて、それでこのネックレスが残されていたんです。なんだかほっとけなくて。」

 嘘ではないが完全な事実でもない答えを津野田は捻りだしていた。

「へぇ、津野田さんってお人好しなんですね。」


 幸い、佐村はそれ以上追求しなかった。津野田は彼女に誤魔化したような笑いを披露した。そして目の前のコーヒーを少しだけ飲んだ。


 店内には、津野田と佐村の他にも客が大勢いる。待機列はなかったがテーブルはほとんど埋まっていて、聞き取れない話し声がそこらかしこから上がっていた。話し声を上げているのは津野田と佐村も同じであり、他の客も彼らと同じように他人の会話など気に留めていなかった。


 そんな中、佐村が言った。

「これ、津野田さんはどうしたいんですか?」

 津野田は少し口籠もったが、結局は昨日深夜のネットカフェで辿り着いた答えを話し出していた。

「僕は東太さんを、実家の方じゃ無くて、彼が選んだ居場所の方に置いてやりたいんです。」

 すると、急に佐村は難解な事態に直面したように顔を顰めた。その顔は、頑張っている部下が仕事を上手くこなせていない時の上司に似ている所があった。2人の間には重い緊迫感が流れている。津野田は何か不味いことを言ってしまったかと、内心で狼狽え始めた。


 それからしばらくした後、若干控えめな声で佐村は言った。

「私、東太君は別に、実家と仲が悪かったようには思えないんですよね。」

「え?」

「東太君、お酒に酔うとよく言ってたんですよね。実家には申し訳ないことをした~とか、弟には迷惑をかけているんだ~とか」

「あ、そうだったんです、か?」

「そう。勝手に実家を出てきたとは言ってたけど、別に実家のことは嫌いであった訳ではなかったんだと思うんですよ。多分、俳優になりたかったから東京に出てきたんだと思いますけど、でもその俳優はとっくに辞めていますし、何となく帰りずらかっただけかと思いますし、それならそのネックレス、実家に置いておくのでも良いんじゃないかって、私は思いますね。」


 考えてもいなかった展開に、津野田は冷水を浴びせられたような心地になっていた。東太が実家の銭湯を飛び出していたのは家族と不仲であったからではなく、むしろ彼は家族思いの人間であり、死後宝石となって実家に連れ戻されたのは感動的な帰還と変わらなかったのだと、佐村はそう言っているのである。これがもし本当なのであったら、津野田がしている事は迷惑極まりないただの身勝手な暴走に過ぎないのであった。


 津野田は目を泳がせていた。そして無意識に言い訳をつこうとしていたが、結局自分の行動を擁護できるような話題は見つからず、変なことを口走っていた。


「東太さんの実家、犬飼ってるんですよ。デカいポメラニアン。」

「へぇ、そうなんですか。」

「東太さんは会ったことないんですけどね、でも東太さんが亡くなられたって知らせが来たとき、ポメラニアンも一緒に東京に連れて行ったんですよ。」

「はぁ。」

「そのポメラニアンは基本的に僕が面倒を見ていたので僕に1番懐いていたんですけど、でもあの日ポメラニアンを東京に連れて行ったとき、僕めちゃくちゃに吠えられて、」

「そんなこともあるんですね。」

「環境が全然違ったからだと思います。都心の雰囲気って言うんですかね。とにかくそれが僕もあまり馴染めなくて、ポメラニアン抱えてすぐにでも帰りたかったんです。」


 ここまで話し終えてから、津野田は自分の言っている事が佐村の話を支持してしまっている事に気が付いた。この話はどう考えても、慣れない新天地に出てきてしまった心細さと帰省衝動を語っているのである。だが津野田はどうしてだか、東太が実家に帰りたがっていたという話にまだ納得出来ていなかった。


「違う、違うんです。」

「うん?何がですか?」

 佐村はカフェオレを啜りながらテキトーに首を傾げている。そもそも佐村はもうあまり津野田の話を真面目に聞いてはいなかった。無鉄砲な津野田という人間自体に興味が尽きていたのである。


 津野田は無意識に頭をもたげて前髪を握りしめていた。彼の目には縁にコーヒーの跡が残ったカップが映っている。特にそれに意味は無い。そして正面に座っている佐村は津野田を、なんとも例えられないない様な無表情で見つめていた。


 2人の居るテーブルだけが静けさを湛えている。しばらくして、といっても1分も経っていなかったが、とにかく一呼吸以上置いてから津野田はぽっつりと呟いた。

「行きたかったんです。」

「はい?」

「僕はただ、居心地の良い所に行きたかっただけなんです。結果、それが帰郷と同じになる人が多いのかもしれません。でも僕はそうではなかったから、自分自身で新しい場所を探さなければならなかったし、家を飛び出した人もきっと僕と同じなのだろうとそう決めつけていたんです。」

「はぁ、そうだったんですか。」


 佐村は、津野田の話を理解しているのかいないのか分らない微妙な返事をしていた。そして彼女は項垂れている津野田のつむじを見つめながら、「右だ」と思っていた。そして彼女は急に、そのつむじと同じつむじを持つ人の事を思い出した。東太であった。


 佐村は言った。

「津野田さんは、東太君と少し雰囲気が似ていますね。」

「そうなんですか?」

「津野田さんと東太君、友達になれたと思います。」

「でも結局、一度も会えませんでした。」

「そうですね。もし、津野田さんと東太君が出会っていたら……」


 そこで、佐村は口籠もった。しかしながら彼女はもう遅いと悟ったのか、津野田の圧に負けたのか、渋々といった様子でまた口を開いた。声が出る前に彼女の潤った唇が軽い音を鳴らした。


「東太君は死んでなかった、そう思ったんです。」

 津野田は黙った。

「タラレバの過ぎる話ですけどね。」

「……。」

「実は私、東太君がどうして死んでしまったのか、俳優を辞めちゃったのか知らないんですよ。彼、顔は広い方だったから訃報は結構広がってたと思うんですけどね。でも、この話題もすぐに消え去ったんです。よくあるゴシップに過ぎなかった。」

「……。」

「でも誰かが、彼の死をうんと嘆いて死後の事まで気にかけてくれるような誰かが、そんな誰かがこの世に沢山いて、いや、一人でもいい。そんな人が彼の傍に居たのなら、彼の人生はきっと大きく違っていたのだろうと思うんです。」

「……。」


 津野田は言葉に詰まっていた。だが、冷静でもなかった。津野田はせわしなく指を弄り目を泳がせ、揺さぶりそうになっている膝をぐっと堪えていたが、ついに口だけは閉ざせなくなっていた。


「誰も、誰も泣かなかったんですか。東太さんに寄り添ってやる人は居なかったんですか。」

「申し訳ありませんが、どうやら私達は彼の居場所ではなかったみたいなんです。彼、すっと居なくなってしまいましたから。」


 あっけからんとそう言い放った佐村に津野田は思わずカッとなって腰を浮かびかけた。だが、それを窘めるかのような佐村の冷ややかな視線が津野田を抑えつけた。そして次の瞬間にはもう、佐村の視線は温かなものに変わっていた。まるで津野田を諭すかのような目つきに変わっていったのだ。津野田は拍子抜けして、握りしめていた拳すら緩めていた。


 佐村は、どこか国語教師の様な雰囲気を持つ人間である。数学や理科みたいに論理的に思考するのではなく、感情に訴えかけるような態度と弁論で相手を捻じ伏せるタイプの人間であった。そんな佐村の話には証拠も根拠も参考文献もないのであったが、彼女が一度その気になって口を開けば、もう誰も彼女に反論できないのであった。


 佐村がその気になった。

「人は、唯一無二の居場所を求めて彷徨い歩くものです。東太君はきっとその途中だった。だから誰も彼を止めなかったし、追いかけなかった。私達は彼の居場所では、なかった。それだけの事です。多分、東太君には次の出会いがあったはずです。」

「でも……。」

「それは津野田さん、貴方かもしれませんよ。」

「え?」


 二人のコーヒーはとっくに冷めている。だがそれに反比例して、佐村の口調は熱いものになっていっていた。


「さっき、そのネックレスは東太君の実家に置くべきだと言いましたけど、やっぱり気が変わりました。死んだ後にも津野田さんのように運命的な人に出会えるのであれば、まだやはり旅を続けるべきだと思うんです。」

「旅ですか?」

「ええ、多くの人に会いに行き、自分の居場所を探す旅です。」


 佐村はテーブルの真ん中に置かれっぱなしであった東太を摘まみ上げると、半ば強引に津野田に握らせた。無機質な東太はひんやりとしている。だがそれに死体的な気味悪さは無く、むしろ夏の氷のような心地の良い冷たさであった。


 佐村は言った。

「今は、津野田さんが持ってて良いと思います。そして東太さんにまた別の出会いがあれば、その人に託しても良いと思います。そうしていけば、東太君はきっとまた旅を続けられます。」

「……。」

「長い旅になると思います。東太君、もう宝石ですからね。」

「そうだ、彼はもうほとんど永遠なんですよ。」

「彼にぴったりの居場所が見つかるかもしれないし、失うこともあるかもしれない。」


 津野田は手の平に乗せられた東太をじっと見つめた。よく観察しなければ分らないが、東太の角にはいくつか擦れた跡が付いている。それがいつ付いたものであるのかは不明瞭なのであったが、東太はもう既にまっさら新品の姿ではなかった。


 津野田は言った。

「僕はきっと、東太さんの事を最後まで見届けることが出来ないでしょう。でも彼をどこに置くにしても、僕の心は休まらなくなってしまいました。」

 佐村は静かに頷いて、津野田の決定を待った。

「東太さんは、もう少し僕が持っておこうと思います。東太さんを今後どうするかは死ぬまでに考えておきます。………その間にもきっと僕達の間には色んな事があるでしょうから、結論は急ぎません。」

「そうですか。分りました。私もそれでいいと思います。」


 佐村は、優しげな表情で津野田に微笑んでいた。まるで慈愛の女神でも気取っているかのような笑みであった。津野田はその微笑みを眺めながら、昔に駅前でよく見た西洋の彫刻を思い出していた。名前も作者も覚えていない、津野田にとっては無名の彫刻である。ただその彫刻は多くの人の待ち合わせスポットになっていて、長い間地元民に親しまれ続け、時にお供え物を貰い、徐々に劣化しつつも人間の記憶には留まり続けているのであった。津野田は東太にもそうなって欲しいと、少なくとも自分にとってはそうなるのであろうと、そう考えていた。

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