3-6

 真宙と和花が戻ってきたあの状態のまま、秋那に学校見学をさせることは無理だった。

 なので秋那には悪いがそこで見学は切り上げ、御調と秋那は和花を家まで送り届けることにした。その道中、なんとか和花は泣き止んでくれたのだが、それでもなにかを話すという状態ではなく、御調たち三人と、数歩後ろを申し訳なさそうについてきた真宙は無言のまま和花の家に到着した。

 無事に和花を家まで送り届け歩いていると、彼女の家の近くにある小さな公園が目に入り、御調たちの足は自然とそこへと吸い込まれるように向かっていった。

 学生はどこも冬休みではあるが、この寒空の下で地域の普通の公園に出向く子供はほぼおらず、見渡す限りそこには御調たち三人の姿しかない。

 そんな公園の中程で足を止めると、御調と秋那は背後にいる真宙へと視線を向ける。

 その視線が意味することは、当然、真宙にもわかったのだろう。申し訳なさそうに一度俯いた真宙だが、それでもすぐに顔を上げて事の次第を話し始めた。

 学校では和花もいたため詳しい話を聞いていない。なにがあって和花が泣いたのか、その原因はなんなのか、それらをちゃんと知らない限り憶測と決めつけで真宙に詰め寄ることはできない。

 それに御調はこれでも信じているのだ。一番の友人である真宙が、和花のことを泣かせるなんてしないだろう、と。なにかどうしようもない理由があるのだろう、と。

 だが真宙の口から真実を聞くにつれ、その想いは裏切られていった。

 そして真宙の話が全て終わると、秋那からこれ見よがしな溜息が聞こえ、

「ちょっと……古賀先輩に連絡してきます」

 そう言って真宙から離れて行った。

 その場には御調と真宙が残され、その二人を冷たい風が撫でる。

 だが御調の内側はそれとは正反対に熱を持っていた。心の奥の、腹の底から湧き上がるなにかを必死に抑えつつ口を引く。

「真宙。お前の気持ちは、俺にも少しくらいわかる」

 桜良がいなくなって、秋那のような親族を除けば一番辛く悲しく、そして苦しいのは間違いなく真宙だ。その心にどれだけのダメージを負ったのかは、きっと御調の想像力では計れない。

 だが、それでも。和花に対してそんなことを口にしていいのかと言ったら、それは違うと断言できる。

「お前ほどじゃないにしろ、俺も……失ったんだ。そしてそれは、古賀も一緒だ」

「……御調?」

「俺も古賀も、お前ほどじゃなくても桜良とは一緒にいたんだ」

 自分と、和花と、真宙と、そして桜良と。

 この四人で行動することは、御調にとってとても楽しいもので、心地よくて、当たり前なことだ。四人でいることが自然だった。

 だからなんの前触れもなく桜良がいなくなって大きな穴が開いた。そこからこの冬の風のような冷たいなにかが吹き込んできて、自分たちの肌を切りつけて、それが痛くて痛くて、いつも涙を流して耐えていて。

 そんな日々を、御調も和花も、真宙も同じように送っていた。

「御調、なにを……?」

「俺たちの中で一番辛くて苦しいのはお前だよ。でも、でもさ。やっぱりお前だけってことはないんだよ」

 そうだ。真宙の苦痛は想像することしかできないし、きっとその想像も軽く超えるところに真宙はいる。だが、だからって苦痛を味わっているのは真宙だけじゃない。御調も和花もやっぱり苦しいのだ。

 それだけはわかってほしい。それだけでもわかってくれていれば、きっと今日、こんなことにはならなかった。

「――御調、さっきからなにを言ってるの?」

 でも、でも。

「ああ……そうだよな……。今のお前に、わかるわけないよな……」

 真宙の今の状態については周りにいる誰よりも御調と和花が一番知っている。だから普段の御調ならこんな言葉を発さない。だが今の御調は、自分の中から湧き上がる感情に突き動かされてしまっている。

 沸々と、御調の中に熱が発生する。

「わかってる。それはわかってるよ、御調。でも……」

「……わかる? ……だったらなんで、古賀に『構うな』とか『関わるな』なんて言ったんだ」

「あれは……本当に悪かったと思ってる。あのときは僕もどうかしてた。でも――」

(……っ)

 真宙のその一つ一つの言葉に、苛立ちだけが募っていく。

 言ってはいけない。わかっているはずなのに、それでも湧き上がる感情が心の堤防を破壊する。

「……あのときだけか?」

「……? どういうこと?」

(……っ)

 本当にイライラする。

 仕方がないことだとわかっているのに、間の抜けたように訊き返す真宙の態度が本当にイライラする。

 とてもじゃないが冷静でいられない。目の間の景色の色が、少しずつ少しずつ変化していくのを感じていた。

「……わかってない」

「わ、わかってるよ。頭に血が上ったとはいえ、あんなこと言っていいわけなかった。でも――」

(ああ……ああ……っ。そうだよな……っ!)

 違うのだと、頭を掻き毟りたくなるような衝動と共に、もう自分では抑えられそうもない激情が御調の全身を支配した。

 どうして、どうして、と。自問自答を繰り返す。そして答えはいつだって『今は仕方がない』だ。

 きっと学校での真宙の言葉を向けられたのが自分だったのなら、御調もここまで感情を揺さぶられることはなかっただろう。しかし真宙の言葉は和花へと向けられ、そして和花は傷つき、涙した。よりにもよって、真宙の言葉で。

 だからこそ許せない。仕方がなくても、これだけは認めることはできない。

「……わかってねぇ」

「え?」

「――お前はなにも、わかってねぇっ!」

「――っ!?」

 閑散とした公園に御調の怒声が響く。

 もう我慢することは出来ななかった。真宙に向けたことがない感情を乗せた言葉。それと同時に無意識に腕が伸び、御調は真宙の胸倉を掴んでいた。

 捻り上げ、自分のほうへと力ずくで引き寄せる。

「真宙……お前はなんにもわかってねぇよ……っ」

「み、御調……?」

「古賀が、どれだけ……っ」

 一番近くで見ていた。だから知っている。和花の気持ちも、和花の優しさも、和花の想いも。真宙に向けられるその全てを、知っている。

 きっと真宙には今のままじゃ伝わらない。だからいっそのこと全てを告げてしまおうかとすら思う。

 自分の感情も、桜良のことも、そして和花の秘めた想いも、全部。

 そうすれば少しは真宙もわかるのではないだろうか。状況だって変わるのではないだろうか。和花の想いだって、報われるのではないだろうか……――。

「――っ」

 口を開きかけたとき、和花の姿がチラついた。

 泣いている姿ではない。笑顔で楽しそうにしている、和花の姿だ。そしてそれを思い出したとき。御調の中の真っ赤な感情が急速に冷えて沈静化していく。

(……違うだろ。それは俺が言っていいことじゃねぇ)

 真宙への怒りはまだ燻っている。だがそれに呑まれて支配されてはいけない。どんな状況であれ、これは他人が告げていいことじゃない。

「御調、あの……」

 すぐ目の前で真宙の声がして御調は我に返る。そして掴んでいた胸倉から手を離し、

「……お前は、もっと色々考えろ」

 それだけ言って真宙から数歩離れた。

 気配で真宙がなにかを言おうとしているのが伝わってくる。もしかしたら口を開きかけていたかもしれない。だが真宙がなにか行動を起こすよりも早く、公園の砂を踏みしめる音が近づいてきた。

 二人してその音へと視線を向けると、通話を終えたらしい秋那が戻ってくるところだった。

 離れたところにいたとはいえ、こんな静かな公園であれだけ怒鳴り声をあげたのだ。状況はなんとなく秋那にも伝わっているだろう。

「……悪い。……どうだった?」

「落ち込んでいますね。まだ少し気持ちが不安定なので、もう少し後でまた連絡してみるつもりです」

「そうか。ありがとな」

 御調の言葉に秋那は少しだけ笑って答えた。そしてその表情を今度は険しくして、真宙へと向ける。

「粕谷先輩」

「え、あ……」

 名前を呼ぶ声は刃物のように尖っていた。それを真宙も肌で感じたのだろう。真宙からしたら秋那は桜良で、そして桜良からこんな声色で名前を呼ばれたことはなかったに違いない。

 そんな相手からの言葉に、真宙はわかりやすいくらいたじろく。

 そして秋那は真っ直ぐに真宙の瞳を見つめ、言った。

「先輩。最低です」

 それは、隣に立つ少女から漂う甘い香りとは対照的な、とてもビターな響きの言葉だった。

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