【05】
翌日は葛野さんとのデートの日だった。
僕があまりにしょんぼりとしているので、騙さんは心配そうに尋ねる。
「オキタさん。どうかなさいましたの?とても辛そうな顔をしていらっしゃいますけど」
その優しい言葉に、僕は昨日の出来事を、洗いざらい彼女に話した。
「まあ、なんて酷い方なのでしょう。オキタさんを、そんなに傷つけるなんて」
騙さんは、優しげな顔に憤慨の表情を浮かべる。
「でも、こう言っては何ですが、私にとっては幸いでしたわ」
「さ、幸いと言いますと?」
僕は思わず訊き返す。
「ええ。実は私、本日覚悟を決めていますの」
どこかで聞いた科白だ。
「女の私が、このようなことを申し上げるのは、とても恥ずかしいと思うのですが。オキタさん。私を、生涯の伴侶に選んでいただけませんか?」
「し、生涯の伴侶といいますと。ぼ、僕と、け、結婚」
「はい、その通りです」
そう言って騙さんは、恥ずかしそうに俯いた。
これもどこかで見た光景だった。
「は、はい。勿論です。ぼ、ぼ、僕なんかでよければ、是非お願いします」
最後の科白は、前にどこかで言ったような記憶が…。
しかしその時、僕の理性は、アンドロメダ星雲の彼方までぶっ飛んでいた。
「まあ、嬉しいわ。両親にも会っていただきたいですし。これから忙しくなりますわね」
「は、はいー」
――僕の両親にも紹介しないと。驚くだろうな。こんな美人を連れて行ったら。
僕が妄想を膨らませていると、騙さんが僕の顔をテーブル越しに覗き込んだ。
「実はオキタさん。私の方から、ご提案がありますの」
「何でしょう?」
「これから私たちは、共に生きていくことになるのですから。財産も共有すべきかと」
「と言いますと」
「2人で共有する銀行口座を開設して、そこに共通の財産を預けてはいかがでしょう?勿論、オキタさんの口座に私の貯金を移してもよろしいのですけれど」
「と、とんでもありません。是非新しい口座を開設しましょう。2人の門出を祝うために」
僕たちは早速近くの銀行に行き、口座を開設した。
その日僕は印鑑を持ってきていなかったので、取り敢えず名義人は騙さんに設定する。
彼女は、後から名義人を僕に変更しましょうと言ってくれた。
そして翌日、僕は貯金の全額を、2人の口座に振り込んだ。
***
数日後、会社に出社すると大騒ぎになっていた。
僕は出社した途端に、部長に会議室に呼び出された。
何故かITの担当者も同席している。
「オキタ。お前、会社のパソコンどうした?」
「どうしたって?ちゃんとありますよ。仕事に使ってますし」
「今すぐ持ってこい」
部長の剣幕に、僕は慌ててパソコンを取りに行く。
僕のパソコンを受け取ったIT担当者は、急いで色々と操作した後、部長の耳に何事かを囁いた。
それを聞いた部長は、鬼の形相で僕を睨みつける。
「お前、1週間前の夜、どこにいた?」
「1週間前ですか?」
思い出そうと頭を巡らせた僕は、はっとした。
それは陳黄砂(チェンファンシャ)さんと、ホテルに行った日だったからだ。
僕が口籠っていると、部長がイライラし始めた。
その顔が、あまりに怖かったので、僕は思わず嘘をついてしまった。
「僕は会社が終わったら、寄り道せずにまっすぐ家に帰ります。途中で晩御飯を食べることもありますけど、外でお酒を飲んだりすることはありません」
それは事実だった。
1週間前を除いては。
僕の答えを聞いた部長は、難しい顔で黙り込んだ。
「何があったんでしょうか?」
恐る恐る僕が訊くと、部長の代わりにIT担当者が応える。
「どうも、オキタさんのパソコンにアクセスして、会社の機密情報を盗んだ奴がいるんですよ」
「き、機密情報ですか…」
それを聞いて、僕は絶句してしまった。
「まあ、リモートでということもあり得ますけど」
「そんなこと可能なのか?」
IT担当者に部長が問い質す。
「結構高度なテクが必要ですが、出来ないこともありません」
「会社のセキュリティーを根本から見直さにゃならんということか」
そう言って部長は頭を抱え込んだ。
結局僕は無罪放免となったが、陳さんの正体が何か不気味な者に思えてきて、思わず背筋に冷たいものが走るのを感じた。
その日の夜、僕は騙さんに電話を入れた。
今日の出来事を聞いて欲しかったからだ。
しかし、何故か着信拒否になっていて、騙さんから応答がない。
嫌な予感がした僕は、翌日在宅勤務の合間に、銀行に駆け込んだ。
そこには最悪の事態が待ち受けていた。
僕たちが開設した口座が昨日解約されていて、預金が全額引き出されていたのだ。
引き出したのは騙さんだった。
僕は10年以上かけて貯めた貯金を一気に失い、呆然としてしまった。
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