グッドラック商会リターンズー帰って来た五右衛門太郎神酒乃介
六散人
【01】
「失礼いたします。オキタ様でいらっしゃいますね。私、グッドラック商会の五右衛門太郎神酒乃介(ごえもんたろうみきのすけ)と申します。お初にお目にかかります」
そのスーツ姿の男は、名刺を差し出しながら、僕に向かって丁寧にお辞儀をした。
あまり特徴のない平凡な顔に、満面の笑みを浮かべている。
受け取った名刺には、確かに『グッドラック商会営業一課課長 五右衛門太郎神酒乃介』と書かれていた。
――これって本名なのだろうか。
僕は名刺を見ながら思った。
――本名だとしたら、なんて長いんだろう。きっと子供の頃、弄られただろうな。
僕がそんなことを考えていると、五右衛門太郎と名乗った男は言った。
「オキタ様。私共の会社では、幸運を販売しております」
「幸運、ですか?」
「はい、さようでございます。弊社でお届けしております商品は、お客様に確実に幸運をもたらす物ばかりでございます。間違いなくご満足いただける品を取り揃えていると、自信を持って申し上げる次第でございます」
――うーん、幸運ねえ。そんな物、目に見えないしなあ。
そんな僕の内心を見透かしたように、五右衛門太郎は言った。
「半信半疑でいらっしゃいますね。無理もございません。そこで」
「そこで?」
僕は彼の営業トークに、つい釣り込まれてしまう。
「最初は比較的お手頃な商品から、ご紹介させていただきます。<高校時代に憧れていた女性と、1時間密にお話しできる幸運>という商品がございますが、いかがでしょう?価格は1万円でございます」
――高校時代に憧れていた女性?もしかして、小松菜沙羅陀(こまつなさらだ)ちゃん?
「それって、本当なんですか?お金だけ払って、何も起こらないとか…」
「お疑いはご尤もです。ですので、私共の商品はすべて後払いとなっております」
――後払いかあ。
僕は思わず考えこんでしまった。
何しろ僕は、生まれて30年以上、祖母と母と叔母と、姉と従姉妹以外の女性と、まったく縁がなかったからだ。
幼稚園から大学、そして社会に出てからも、血縁者以外のあらゆる女性と、異性としての関りを持てたことがないのだ。
学生時代は先輩か同級生か後輩か先生、職場では上司か同僚という、社会の枠組みの中での関係は勿論あった。
そうでなければ寂しすぎて、とっくに引き籠りになっていただろう。
しかしそれは、異性としてではなく、あくまでも性別に依らない関係性なのだ。
平たく言えば、これまでの人生で、女性と付き合ったことも、異性として女性から好かれたこともないということだ。
もちろん今でも童貞である。
これはある意味、女性から嫌われるより辛い。
という訳で、五右衛門太郎の提案は、僕にとって非常に魅力的だった。
しかも後払い。
つまり額面通りの効果がなければ、支払わなくてもいいということだ。
「じゃあ、試しに買ってみようかな」
僕の返事を聞いた五右衛門太郎は、満面の営業スマイルを浮かべた。
「ありがとうございます。では、<高校時代に憧れていた女性と、1時間密にお話しできる幸運>をお買い上げということで、よろしくお願いいたします。商品の有効期限は3日間となっておりますので、お間違いのないよう」
そう言い残して、五右衛門太郎神酒乃介(ごえもんたろうみきのすけ)は去って行った。
その後姿を見送ると、僕は早速運試しに向かう。
小松菜沙羅陀(こまつなさらだ)ちゃんの家は、僕の実家から徒歩5分圏内にあった。
僕は高校生の頃、用もないのに何度も、沙羅陀ちゃんの家の前を通ったりしていたのだ。
その家の前まで行くと、『小松菜』という表札が掛かっていた。
――あ、まだ家はそのままだ。
僕がそう思って喜んだ時、後ろから声が掛かった。
「もしかして、オキタ君?」
振り向くと、そこには見覚えのある美女が笑顔で僕を見ている。
――さ、沙羅陀ちゃん!
「ふ、ふぁい。そ、そうであります」
僕は突然の出来事に、完全に舞い上がってしまい、意味不明の返事を口走っていた。
「オキタ君、今どうしてらっしゃるの?」
そんな僕に笑顔で話し掛ける沙羅陀ちゃんは、学生時代にも増して美しかった。
女性として成熟したその美しさは、高校生の頃の清楚さを保ちつつ、大人として完成された美へと昇華している。
――凄いぞグッドラック商会!
どこかのCMで聞いたようなセルフを心の中で叫びながら、僕は彼女に夢中で話し掛けていた。
幸福な時間はあっという間に過ぎ去り、沙羅陀ちゃんと再開して丁度1時間が過ぎた時。
「ママ」
背後から聞こえた子供の声に、僕は我に返った。
振り向くと、幼稚園児くらいの可愛い女の子が、こちらに手を振っている。
沙羅陀ちゃん似の可愛い子だ。
そして女の子の隣では、背の高い男前の男性がこちらに笑顔を向けていた。
――あれはもしかして…。
僕がそう思った瞬間、沙羅陀ちゃんも2人に向かって微笑んだ。
「比栗栖(ピクルス)ちゃん。あなた」
――やっぱりか。
僕の幸福の一時は、唐突に終わりを告げた。
僕は沙羅陀ちゃんに挨拶すると、そそくさとその場を離れる。
だって、居た堪れないよね。
美男美女プラス美少女の、絵に描いたような、究極の幸福ファミリー。
それに比べてこっちは、30過ぎても女性にまったく縁のない童貞男子。
僕はがっくりと肩を落として家路についた。
沙羅陀ちゃんと2人きりの時間が幸せ過ぎたせいで、その後の展開が、まるで崖から突き落とされた思いがしたからだ。
「オキタ様」
僕がとぼとぼと歩いていると、電柱の陰からいきなり人が現れた。
五右衛門太郎神酒乃介(ごえもんたろうみきのすけ)だった。
「いかがでございましたか?<高校時代に憧れていた女性と、1時間密にお話しできる幸運>は」
「ああ、ええ」
僕は曖昧な返事を返す。
すると五右衛門太郎は、怪訝な顔を僕に向けた。
「何か不具合がございましたでしょうか?」
「いえ、ちゃんと1時間、憧れの女性と話ができたんですけどね…」
僕が口籠ると、五右衛門太郎の表情は一瞬で営業スマイルに切り替わる。
「それはようございました。これで私共の商品を信頼いただけたかと思います。それでは恐縮ではございますが、お代の方を頂戴したいと存じます」
――ああ、1万円ね。まあ、一応沙羅陀ちゃんと1時間話せたし。仕方ないか。
そう思って、僕は財布から1万円を取り出し、彼に手渡した。
五右衛門太郎はそれを受け取ると、丁重にお辞儀をする。
「ありがとうございます。それではまたのご利用をお待ちしております」
歩き去る彼の後姿を見送りながら、僕は何となく釈然としない気分に包まれた。
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