第13話 vtuber、やめてください

 画面越しに話しかけられたような錯覚。


 ほたるは長い後ろ髪を手で流すと、椅子に座って、足を組んだ。


柚木ゆずき先輩が推してるvtuber『雨白あめしろ』。活動開始時期は去年の四月。基本ゲーム配信で、八年前に発売したゲーム、通称ギアテニをひたすらプレイするという異例の活動方針でチャンネル登録者数はわずか十人程度。なんの気まぐれか、突然路線を変更し、他ゲームもやるように。おかげで現在はチャンネル登録者数が五百人に上る」


 まるで原稿でも読み上げるように淡々と、私の活動状況を説明する蛍。


「配信、全部見たわ」

「え、えっ、ほ、ほんと?」

「ええ、どれもこれも低品質で、見るに堪えないものだった」


 見てくれてる、が、見られた、に変換される。こうも正面から、否定された経験は今までない。受け止め方も、返し方も分からなかった。


「普通vtuberって、キャラを作るものでしょう? 最低でも、よそ行きの声だったり、喋る方だったり。けど、あなたにはそれがない」


 キャラって、言われても、雨白って蚕の成虫を模したキャラがいるわけだし、それで十分なんじゃないの?


「こうして話してみて分かったわ。あなた、配信と何も変わらないのね」

「いやぁ、そんな褒められても」

「は?」


 この人の「は?」は有無も言わさないような迫力がある。


「柚木先輩、なんでこんなやつのことなんか……」


 落胆のため息を吐くと、蛍は水槽に指を近づけた。中の金魚が、蛍の指に集まってくる。


「あ、あの、みかんさんとお知り合い、だったり」

「あなたごときが柚木先輩の名前を呼ばないでちょうだい」

「えぇ……」


 水槽を指で弾く蛍。びっくりして、集まっていた金魚が逃げていった。少しだけ寂しそうな表情をしていた蛍だったけど、私と目が合うとすぐに冷たい表情になる。


「今日は一つだけ、忠告しにきたの」


 もうすっかり、最初の面影はない。蛍は敵意を剥き出しにして、私を睨んだ。


「vtuber、今すぐやめてくれない?」

「え、な、なんで」

「柚木先輩が、あなたを推してるってこと、もちろん、あなたは知ってるのよね?」

「それは、うん」


 あれだけ、直接伝えられたら嫌でも分かってしまう。みかんさんは私のことを推していて、応援してくれている。協力は惜しまないとまで言ってくれたし、私の発言一つ一つで一喜一憂してくれる。


「それに応えられるように、頑張ってる、つもり……」

「なら尚更よ」

「で、でも、最近、ようやく軌道に乗ったところで」


 ゲームをすること自体が楽しいと思えるようになって、私が楽しい、好きって思えることを誰かと共有できる配信という場が生活の中での癒しになっているのもまた事実だった。なにより、私を見てくれる人がちょっとずつだけと増えてきた。


 それなのに、このタイミングで活動をやめるだなんて。


「あなたはいずれ必ず、柚木先輩を悲しませる」

「そんなこと……」

「悲しませるくらいなら、今のうちにvtuberをやめてちょうだい」

「言ってる意味がわかんないよ。それに、やめた方がみかんさんは悲しむよ、多分……だけど」

「あなたが柚木先輩の何を知ってるの?」


 これまでで一番の圧を感じる。その刺すような視線から、軽蔑と、それから一種の闘争心のようなものまでがめらついて見える。


「今なら傷口は浅い。柚木先輩も、納得できるはずよ」

「傷口って、なに?」


 聞いておきながら、私は後ずさる。


 蛍の言う通りだ。私、みかんさんのこと何も知らない。


「別に友達やめろとか、柚木先輩に話しかけるなって言ってるわけじゃないのよ。ただ、私は配信活動の停止と、vtuber『雨白』としての卒業をお願いしてるの。私の言ってること、分かるわよね」


 蛍は立ち上がって、椅子を戻す。


「あなたがもし、柚木先輩のことを大事に思っているのなら、よく考えてちょうだい。それに、チャンネル登録者数たかが五百のvtuberが一人消えたところで、誰も気付きはしないわよ」

「そ、そんなこと言わないでよ。九百人って、この高校の生徒数よりも多いんだよ。そんなたくさんの人達が私の配信を見てくれてる。気付かないだなんて……」

「分からないの? なら、やっぱりあなた、vtuberの才能がないのね」


 蛍は窓の外を眺めて、憂いを帯びた表情を浮かべている。


「……そういうわけなので、よろしくお願いしますね。村崎むらさき先輩」


 語尾にハートでも付いていそうな甘い声。口調や声色は会ったときのものに戻ったが、ひしひしと伝わる敵対心は変わらぬ迫力だ。指の先がピリピリする。


「あなたはいつか、必ずあの人を傷つけるので」


 吐き捨てるように言って、蛍は理科室の出入り口に向かっていく。羽が舞うような、優雅な所作で。


「あ、ま、待って!」


 そんな蛍を、私は呼び止める。


 蛍は面倒くさそうにため息を吐いて、陽だまりのような笑顔を浮かべる。


「なんですか? 村崎先輩」

「生物部、入るの?」


 蛍の眉毛がピクッと動く。


「入りませんよ? 今日は、村崎先輩に忠告しにきただけですので。おきになさらず」

「でも、さっき、金魚見てるとき、蛍、楽しそうだったよ、あっ」


 前につんのめって、思わず椅子を蹴ってしまった。転ぶまでにはいかなかったが、机に突っ伏して、ゴチン! と額を打ってしまう。バカ痛い。


「生き物、好きなの?」


 さっき、蛍から投げかけられた問いと同じだった。


 蛍は水槽の中で泳ぐ金魚をどこか羨ましそうな眼差しで見ていて、愛おしそうに手を伸ばしていた。金魚が離れていっちゃったときは悲しそうにしていたし、もしかしたら、って思ったのだ。


「村崎先輩には関係ありません」


 それでも、蛍は答えてくれない。


 蛍は、二つの面を巧みに使い分けている。優雅で上品な面と、敵意を剥き出しにする面。後者は感情に素直になったもので、そっちが、本当の蛍なんじゃないかと私は思っている。なぜなら前者は、敬語だし、佇まいも整然としているけど、代わりに、すべてを諦めているようにも見えるから。


 生き物が好きなら、また、いつでも来ていいんだよ。


 その言葉が出かかって、喉の奥でつっかえる。もう少し、もう少しで外に出せるのに。


 蛍は私を一瞥すると、理科室を出て行ってしまった。


 時間切れだ。ここは配信じゃない、現実だ。タイミングを逃せばその言葉は泡となり、消える。言うべき言葉と言うべきじゃない言葉を、取捨選択している時間なんてどこにもない。 


「vtuberをやめろだなんて、そんなの……」


 蛍に言われたことを反芻しながら、帰る準備をする。


 私としては、まだやめたくない。やっと見てくれる人も増えてきたんだし、このまま続けてみたい。


 でも、蛍は、私が配信を続けることによってみかんさんが傷つくって言ってた。このままいけば、いつか必ず傷つけるって。


 あれは、どういう意味なんだろう。


 ザリガニがハサミをチョキチョキしていたので、私も真似をして指をチョキチョキする。 


 いつか見たみかんさんの姿を思い出しながら、その日は帰路に就いた。  

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