隣の席のギャルが私を推してた#2【雨白】

第7話 目指せ登録者数十万人!(むり)

 校舎の一階にある理科室は、生物部の部室になっている。


 放課後になると、はしゃぐ生徒の叫び声や歌声が廊下から聞こえてきて、グラウンドからは、運動部のかけ声がまるで青春の一ページかのようにこだまする。


 そんな廊下とグラウンドに挟まれたこの理科室には、水槽に取り付けられたろ過装置から流れ出る、水の音しかない。青春の一ページとして切り取られなかったこの部室は、本に例えたらいったい、どの部分に該当するんだろうか。


 背表紙だろうか。それとも、カバーの裏側? 本編にはなんの関係もない、そんな場所にひっそりとあるような、そんな空間。


 けれど、私はこの場所を気に入っている。金魚は好きなように水槽を泳いで、 ザリガニはただひたすらに天を仰いでいる。誰も口出しなんてしない。


 この場所では、生き物も人間も等しく、自分という存在に正面から寄り添えるのだ。


「おまたせー!」


 そんな場所に、風穴を開けるような、痛烈なまでに明るい声。水槽の金魚もせわしなく泳いでいて、心なしか驚いていたように見える。


「ごめんなさい雨白あめしろさん! 日直が長引いちゃって、あたし、日誌先生に出すのすっかり忘れちゃってて! って、あれ、ドアが閉まらない」


 理科室のドアは普通の教室よりも、立て付けが悪い。


「も、持ち上げると、閉まるよ」

「あ、本当ですね! よっこいしょっと。本当にごめんなさい雨白さん! あたしが一度作戦会議をしましょうって言い出したのに」

「う、ううん……いいよ、どうせ、ここには誰も来ないから」


 顧問の舘中たてなか先生は、私に鍵を渡すとそれきり準備室にこもってしまう。なので鍵を受け取るときと、鍵を返すときにしか舘中先生を顔を合わせることはない。


 稀に、他に飼いたい生き物や、催し物での展示の希望について聞かれることもあるけれど、私が「特にないです」と言うと舘中先生は何も言わずに去って行く。きっと、寡黙な人なんだと思う。


「なんか理科室っていいですね! 特別な感じがして。この木の椅子もワクワクしちゃいますよねーずっと座ってるとお尻痛くなっちゃいますけど!」

「あの、みかんさん」

「はい! なんでしょう! 雨白さん!」


 元気よく返事をするみかんさん。ぺかーっと後光が差していて、何の曇りもない笑顔が、ま、眩しい……!


「が、学校では……その、雨白っていうのは内緒にしておいてもらえると」

「あ……」


 そこまで聞いて、私の意図が理解できたのか、みかんさんは明らかにしょんぼりした顔で俯いてしまった。


「そうですよね、あたし、調子載っちゃってたみたいです。ごめんなさい……」


 なんだか、犬みたいな人だな……。


「あ、あと、敬語じゃなくても、いいし」

「わかった。切り替えが大事だね……学校では気をつける! それで、生物部って、何をする部なの?」


 みかんさんは、興味深そうに理科室をキョロキョロと見渡す。ザリガニの入った水槽を見つけると「わあー」と声を漏らして近づいていく。渋い顔をして鼻をつまむみかんさんと視線がぶつかった。


「ザリガニは、独特のにおい、かも」

「でも可愛いね。あはは、ハサミこっちに向けて立ってる。ごめんごめん、怒らないでってば」

「さっき水替えしたばかりだから、まだちょっと警戒してるんだと思う……」


 ザリガニの真似をして、手をチョキチョキしているみかんさんは、水槽を覗き込んで楽しそうに笑っている。生物部の私でも、ザリガニとそんな風に接したことなんかないのに。


 みかんさんはきっと、楽しいことを見つけるのが上手なんだろうな。


「せ、生物部は、水替えと餌やりが主な活動なんだ。あとは、観察とか、展示会とかだけど、うちはやってなくて」

「そうなんだー。でも、なんだか楽しそうだね。こうして生き物に囲まれてると心が和むっていうか」


 理科室をぐるっと回ってから、みかんさんが私の隣に座る。


 きょ、距離が近い……。


 てっきり向かいに座るものだと思ってたから、油断してた。


「それで、あ、雨白さん……じゃなくて、佐凪さなぎさん!」

「は、はい!」


 みかんさんが身体を乗り出してくる。肩に肩が押される形で、私は思わず背筋を伸ばした。


「チャンネル登録者数、十万人目指すって話」


 う、やっぱり来た。この話。


「あれ……どうする!? やっぱり今のうちから計画練った方がいいよね! あたしね、こう見えてライバーさんを追い始めて五年の古参なの! だからチャンネル登録者数が多いライバーさんの特徴も分かるし、伸びる動画の仕組みなんかも、いろいろと分かると思う!」


 そう言うみかんさんは、それはもう、幸せそうで。私の、雨白の役に立てるのが嬉しいんだっていうのを微塵も隠さないで目をキラキラさせている。やっぱりこの人、犬だ。


 私が身バレしたあの後、みかんさんと話合って、学校では雨白とは呼ばないで欲しいということ。それから、チャンネル登録者数百万人目指すというのは、なんていうか見栄を張っただけで、本気で目指すつもりはないということ。でも、できるのなら、もっと、いろんな人に見てもらえるようにはなりたいということは伝えた。


 するとみかんさんは「じゃあまずは目標十万人でいきましょう!」と全然低くないボーダーラインを提示した。


 私は私を許してもらうためにしか配信というものをしてこなかったので、誰かに観てもらう、楽しんでもらうということを意識したことがない。


 しかも、チャンネルを立ち上げてから今までの一年間、ギアテニの配信しかしてこなかった。雑談枠というのも前回、生まれて初めてやったのだ。


 私が登録者数百万人……あ、いや今はとりあえず十万人……それでも多い! ……を目指すには、それなりの知識を持った人が必要となる。


 当然、私には配信者仲間なんて人もいないし、胡桃くるみは機材周りに詳しいだけで、配信自体にはそこまで詳しくない。


 そう話すと、みかんさんは尻尾と耳をぴょこんと立たせてこう言ったのだ。


「あたしに任せて!」


 あのとき言った言葉がそのまま、理科室に反響した。

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