第10話 不意打ち



 飲み会は盛り上がりを見せ、陽気になったフィリップが店にあったギターを片手にオリジナルの歌を披露する頃には私は半ば夢の中だった。


 机に置いた右手を枕がわりにうつらうつらと頭を傾けていたら、空いたグラスにクレアがまた並々と酒を注ぐのが見えた。



「んへっへっへ……まだ寝かせないわよ~」

「おいクレア、一人で酔ってろ」


 後ろから伸びて来た手が私のグラスを掴む。

 そのまま飲み干すと、手の持ち主は私を担ぎ上げた。


「ぬっ……!?」

「明日はゴア団長からの表彰があるから、俺はもう帰って寝ることにする。コイツは連れて帰るぞ」

「はぁ?フラン、あんたローズに手出す気ね!?」

「バカ言え。コブ付きに興味あるかよ」


 まだ意識は残っていたのでその失礼な発言に腹が立ったけれど、今更下ろしてくれと足掻く元気もなく、ちょうど良いので私は狸寝入りを続けることにした。


 飲み屋から停泊する船までの道のりは決して近くはなかったのだけれど、意外にも慎重に歩みを進めてくれたフランのお陰で、私の狸寝入りは本格的な深い眠りへと変わった。


 きっと安心していたのだと思う。

 広い背中に身を預けて、心は穏やかだった。


 彼の発言からしても私をどうこうする気はないようだし、下手に自意識を働かせる必要もなさそうだ。ただでさえフランは女たらしで有名だから、そこまで若くもなければグラマラスでもない私を前にわざわざ貴重な睡眠時間を削るとも思えない。


(………あぁ……気持ち良い)


 温かな体温がとろりと思考を鈍らせる。


 明日には家へ帰ることが出来る。

 メリルの家にプラムを迎えに行ったら、たくさん抱き締めてあげよう。移動だけで半日掛かるから、もしかするともう眠っているかもしれない。そうしたら次の日起きたとき一番に「ただいま」と伝えるつもりだ。プラムの大好きなハチミツの載ったトーストも焼いて。




「………プラム?」


 ぼんやりとした視界に浮かぶ黄色い双眼。

 思わず呼んだ名前は間違いだと気付く。


「フラン?なに…部屋に着いたの?」


 周囲を見回すと、そこはクレアと私の二人部屋で、私は自分のベッドの上で大の字になって伸びていた。縁に腰掛けたフランがわずかに身を屈めると、二人の大人の体重を受けて不服そうにベッドが軋んだ。


「約束通りに連れて帰った」

「……ありがとう。助かったわ、実はもともと弱くて」

「ああいう場では流されない方が良い」

「でもたまには良いでしょう。クレアも楽しそうだったし、みんなが笑ってて私も楽しかったもの」

「…………」


 フランは何も言葉を返さずにただ目を細めた。

 シーツの上に置かれていた手が私の髪をひと束掬う。


「あんたのこと見てたら苛々する」

「え?」

「優しいってそんなに良いことか?それが命取りになって不幸のどん底に堕ちるかもしれない。現に一人で、娘を育てる苦痛を味わってるじゃないか」

「苦痛なんかじゃないわ!プラムは私の、」

「なぁ、ローズ。お前の笑顔が嫌いだ」


 息を吸う暇もなく、唇が重なった。


「………ん…っ」


 荒々しいキスに抵抗する力が弱いのは、私が酔い潰れてしまったせい。必死の思いで突き飛ばしたときには、息が上がってしばらく声が出なかった。


「何するの……!?冗談も大概にしてよ!」


 フランは下を向いたまま何も言わない。


「貴女が女好きだって聞いたわ。今まで何回もこうやってちょっかい出してたんだと思うけど、私はやめて!」

「…………」

「言ったでしょう?娘が居るの。何も求めていないわ、十分満ち足りているの。私の幸せを邪魔しないで」

「……悪い、魔が差した」


 憤る私の前でふらりと立ち上がってフランは部屋を出て行った。


 少しの間、私は目を閉じて膝を抱えていた。

 窓の外から聞こえる波の音だけを拾って、その奥底に沈む魚たちのことを考える。そうすることで段々と心臓の速さを元に戻すことが出来たから。



 命を助けてもらったお礼を言い忘れた。そう気付いたのは熱いシャワーを浴びている最中で、その時にはもういくらか私の脳は落ち着きを取り戻していた。


 少なくとも明日フランに会う分には、いつも通りの顔でやり過ごせるだろうと思えたのだ。

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