record03.野良犬を追いかけて
野良犬を探し出すため路地裏に入ったユウイは、気が付けば路地裏に飲み込まれるように奥へ奥へと足を踏み入れていた。
今までも、人目を避けるため何度か路地裏に入ろうとしたことはあった。けれど薄暗く人気の全くない路地裏は不気味だったし、何より母に叱られるのが嫌だったので、いつも途中で引き返していた。
だからこんなに奥まで入りこんだのは初めてだった。
奥まで進んでいくと、古びた建物は今にも崩れ落ちそうだったし、外壁はすでに崩れていて、煉瓦がそこらじゅうに転がっている。つぶれた店のショーウィンドウは割れて、ガラスが散乱していた。
ユウイは怖くなり、引き返そうか考えた。けれど野良犬に持っていかれたクマがどうしても諦められない。
歩きながら、ユウイは父と母が一緒に暮らしていた時のことや、祖母のことを考えていた。みんな仲が良かったころ。あのクマのリュックも、いつも一緒だった。うれしいとき、かなしいとき。本当にいつも一緒だったのだ。
祖母はいつもクマが肩から下げている小さなポシェットに星形の飴を入れてくれていた。嫌なこと、困ったことがあったら食べなさい。きっとお星さまが、強く優しいあなたに知恵を貸してくれるでしょう。そう祖母はユウイに言っていた。
見つかるまで、泣かない。
またこぼれ落ちそうな涙を服の袖でぬぐって、ユウイは歩き続ける。途中何度も転んだのでスカートは泥だらけだったし、脚は傷だらけだった。おなかもすいていた。
いつの間にか街の大通りからずいぶん離れたところに来ていたようだが、頭の中はクマのことでいっぱいになっていたので、ユウイはどんどん路地裏の奥へ進んでいった。
このまま歩き続けていれば、ずっとひとり。誰かにいじわるなことなんて言われないし、母にも叱られない。
この街に来てから、母には叱られてばかりだ。泥だらけのスカートを見て、ユウイはため息をついた。
(きっとママはわたしのこときらいなのよ。きらいだから、きっとわたしがひとりでなんでもできるようになったら、またわたしをおいてどこかにいってしまうのよ。パパもきっとわたしがきらいになったから、いなくなってしまったんだし、おばあちゃんは……きっとあのままいっしょにくらしてたら、わたしのこと、きらいになっていたにちがいないんだわ)
どうして嫌われてしまったのだろう。それはきっと、わたしが良い子じゃなかったから。ユウイはスカートを握りしめて、泣くのをこらえた。
(でも、良い子ってむずかしいんだもの。良い子になろうとすると、どこかがまんしなくちゃいけないこと、できるんだもの。きっとほんとうの良い子じゃないから、そんなふうにがまんしなくちゃいけないことができるんだわ。わたし、ウソの良い子なんだ)
ひっく、とユウイの喉が鳴った。どこを探しても野良犬の姿はない。
その時だ。どこかでガシャリ、という音が聞こえてきた。
ユウイは身をこわばらせ、立ち止まる。
すると今度は、ユウイの真後ろでガシャリ、という音が聞こえた。誰かいるのだろうか? ユウイはおそるおそる後ろを振り返った。
けれど背後に人の気配なんてなかった。気のせい? そう考えて首をかしげると、ふと横にある白い壁に目が行った。
白い壁、と思ったが、それは元から白かったわけではなさそうだった。何やら隙間なくびっしりと白い文字が壁一面に書かれている。
何が書かれているのか。ほとんどの文字をユウイは読むことができなかった。見たことのない単語の羅列が混じっている。それに、いくつか目に入った言葉が怖くて、とっさに目をそらした。けれど怖いもの見たさなのか、もう一度おそるおそる白い壁に目を向けてしまう。
悪魔の檻から 逃げることはできない
悪魔の爪を剝いでしまおう 喚くなら その醜い口から煮えたぎった油を注げばいい
泣くならその目を骨の針でつぶしてしまえばいい 血の涙が流れたら 蜘蛛の糸で瞼を縫いつぶしてしまえ
悪魔の耳を切り落とせ 錆びた鉄の棒で鼓膜を突き破れ 悪魔を救う善意の声など ないのだから
悪魔の手足を引きちぎれ
引き裂かれた我らの心は それだけで癒えることはない
悪魔の首を捻りあげろ
引き裂かれた我らの心は それだけで癒えることはない
悪魔の心臓を踏みつぶせ
引き裂かれた我らの肉体は ようやく新たな肉体を求めることができるのだから
残った骸は焼いてしまえ
灰になったこの悪の肉塊を 次なる支配の糧とせよ
ユウイはその先を読まずにまた目をそらした。
なんだか胸がもやもやする。見なければよかったと、本気でそう思った。
悪魔は悪いもの。でも、この言葉は、何かおかしい気がする。
この言葉の通りにすれば、確かに悪魔を懲らしめることはできるだろう。でも、これは、こんな拷問のようなこと……そうだ、これではどちらが悪魔かわからない。
嫌なものを見たわ。ユウイは急いでその場から立ち去ろうとした。
そこにまた、かちゃり。かちゃり。と何かが近づいてくる音が聞こえてきた。ユウイはまた身をこわばらせ、けれど今度はゆっくり音のするほうへ足を進めた。もしかすると、追いかけていた野良犬がいるかもしれない。
ゆっくり、ゆっくり足を進め、曲がり角でユウイはそっとその先をのぞき込んだ。すると、目の前を白い鳥が横切った。白い鳥は旋回しながら、曲がり角の先へ飛んでいく。
あの白い鳥は、さっき見た首のない鳥だ。尾っぽが長く、鱗粉を散らしている。間違いない。ユウイは翼だけで飛ぶその不思議な白い鳥に興味を持ち、少し考えてから追いかけてみることにした。
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