record02.カルペディエムとサル人形

 路地裏から出て、ユウイは再び大通りを歩きはじめる。

 下を向き、行き交う人々の間をすり抜けながら歩いていると、ただでさえ背の低い自分がさらに小さく感じた。

 小さくて、アリンコのようにいとも簡単に踏みつぶされてしまいそうだとユウイは思った。

 ふと立ち止まり、ユウイは小さな雑貨屋のショーウィンドウから中にあるハト時計を見た。時刻は10時半前。家を出てから、まだ一時間も経たない。このお店のハト時計は壊れているのではないかと、ユウイはハト時計をにらんだ。

 そんなユウイの気持ちなんてお構いなしに、ハト時計から白いハトが飛び出して、くるっぽー! と元気よく鳴いた。これでようやく10時半だ。

 ハト時計をにらんでいても、時間は一向に加速しない。ユウイはため息をついてまた歩道を歩き始めた。

 すると、ユウイの鼻先に甘い香りがふわりと漂った。

 なんだろう、この甘い香りは。ユウイはその香りを追いかけるように大通りを歩き始めた。朝食は済ませているので、特別おなかがすいているわけではない。けれどこの香りはとても惹かれる。

 甘い香りは、雑貨屋からさほど遠くないところから流れているようだった。ユウイは香りをたどり、一軒の店の前で立ち止まる。

 ショーウィンドウをのぞき込むと、店の中にはおいしそうなパンがずらりと並べられていた。そうだ、ここは母が自分におつかいをたのんだパン屋さんだ。名前はたしかカルペディエム。昔は喫茶店だったらしく、看板には今も喫茶カルペディエムと書かれている。

 ユウイは精一杯背伸びをして、さらに店の奥をのぞき込んだ。奥には、サンタクロースのような白ひげを生やした老人がいて、のんびりレジを打っている。たしか、コルトというこの店の主人だ。


(あのおじいさんは、こわくないのよ。前にママとおみせに来たときも、ニコニコしてたもん)


 それに……。ユウイはきょろきょろと店の中を覗き見る。


(あたまのくろいこ、いないわ)


 ユウイはほっと息をついた。この前来たときは、コルトのほかに黒い髪の少年がいた。その少年が、ひどく愛想が悪い。にらみつけるように人を見るし、目を合わせるとなんだか胸がざわざわしてくる。

 今日はその少年がいない。


「今日なら、ひとりでおかいもの、できるかしら……」


 ユウイはもう一度店の奥を確認した。うん、今日は人も少ない。

 そうして中を確認していると、店の中央テーブルに小さなシュークリームが塔のように積み重なっているのをみつけた。てっぺんには翼の形をした飴細工がのっている。


(きらきらしていて、とてもきれい)


 ユウイはつま先立ちになり、バランスをくずしてショーウィンドウにべしゃりとへばりついた。レジを打っていたコルトとぴたり、目が合ってしまった。

 コルトはレジを打つ手を止め、目をぱちくりさせてユウイを見ていた。店の客も、コルトにつられたのかユウイを見た。自分に注目が集まっているのを感じたユウイは、真っ赤な顔でその場から立ち去ろうとした。

 が、店の前を走り去ろうとしたところでドアが開き、ユウイは運悪くそれにぶつかってしまった。

 ぶつけたおでこが痛い。ドアの前に座り込んでいると、ドアを開けた少女が心配そうに声をかけてきた。

 だがユウイは顔を上げることができなかった。きっと、笑われる。いや、怒っているかも。そう考えたら、怖くて顔を上げることができない。


「ねえ、大丈夫? ごめんね、ドアの前に人がいるの気づかなかったんだ」


 優しい声がして、ユウイはおそるおそる顔を上げた。

 すると目の前に、ひょろっと背が高くぼさぼさの髪をした少女が心配そうな顔で立っていた。

 そしてその後ろには、大柄で短髪の少年が立っている。


「何やってるんだよカルテ! 早く公園行こうぜ……って、あれ? こいつ……」


「なに? ギガこの子知ってるの?」


「知ってる。あれだろ、先月引っ越してきたやつ。ワーナーさんちの」


「ああ、マーガレットさんの子? ねえ、本当に大丈夫?」


 大丈夫です、の一言が出てこない。ユウイの顔はみるみる真っ赤になって、心臓が口から飛び出しそうになっている。頭の中は、どうしよう? でいっぱいだ。


「こいつ、なんか変なんだよなぁ。あんまりしゃべらないし、しゃべったと思ったら、壊れかけのサル人形みたいだしさぁ。ほら、そこのおもちゃ屋にあるじゃん、タンバリンもって、キキ、キキキッ! って。今にも壊れそうなやつ」


 あはは、と少年が笑う。壊れかけのサル人形、という言葉が、ユウイの心にグサリと刺さった。


「ちょっと、やめなよね。そういう意地悪言うの」


「だって、こいつ本当に変なんだぜ。今だってしゃべらないじゃん。ほら、しゃべってみろよ! キキキッ! ってさあ!」


 真っ赤な顔のユウイの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。目の前に立つ少年と少女の訝しむ顔が、ぼやけた視界に入る。ユウイは急いで立ち上がり、その場から逃げ出した。


 大通りを走りながら、さっきの二人の表情を思い出してまた泣いた。今頃カルペディエムでは、コルトと客が自分を笑っているに違いない。


 どうして、どうしてうまくいかないのだろう。


 自分は何も、悪いことなんてしていないのに。


 再び雑貨屋の前に来たところでユウイはつまずき、ころんだ。ころんだ拍子に、それまで我慢していた感情が涙と一緒にあふれだした。

 怖い、怖い、おばけより悪魔より、人間が怖い。どう接したらいいのかわからない。どうして? いつから? どこで自分は変わってしまったのだろう。

 ユウイはのろのろ起き上がり、背負っていたクマリュックをおろし抱きしめた。


「おばあちゃん、たすけて」


 ポロポロ、ポロポロ。涙と一緒に、祖母との思い出がこぼれ落ちる。

 クマを抱きしめて泣いていると、一匹の野良犬がやってきてユウイの前に座った。それからユウイの頬を舐めると、野良犬はクマのにおいを嗅ぎ始めた。

 なぐさめてくれてるのかしら? ユウイは野良犬の頭を撫でようとした。


 と、その時。


 野良犬が何かに追われるように走り始めた。するり、とユウイの腕からクマが抜けていく。

 えっ? ユウイは走り去る野良犬の姿を呆然とみつめた。


「……クマさん!!」


 ユウイは慌てて野良犬を追いかける。野良犬は路地裏に入っていく。急がねば、見失ってしまう!

 けれどユウイは、路地裏の前で立ち止まってしまった。視界にまた悪魔の檻と書かれた壁が目に入ったからだ。

 白いペンキで書かれた、不気味な文字。

 そして目の前には、薄暗い路地が続いている。

 考えている暇なんてない! 確かに不気味な路地だけど、こんな明るい時間から悪魔なんて出るはずない。大丈夫!


 ユウイは野良犬を追いかけて、薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。

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