竹下通りにピアノは鳴る

今際ヨモ

ご愛読? べ、別に嬉しくなんかないんだからっ////

「捕らぬ狸の皮算用って言葉あんじゃん」

「え? 急に何」

「あたしはあれを『とらかわ』て略す訳ね」

「はい」

「でも、とらかわって聞くと虎の皮みたいに聞こえるじゃん?」

「そうだね」

「だから虎の威を借る狸みたいだー、て気付いたんだよね」

「……まあ、狐も狸も害獣だからそんなに変わんないよね。ってこれ、なんの話?」

「クラスメイトとしたかった話!」

「だいぶくだらねえ話したかったんだね」


 快晴。遅咲きの桜が満開になって、少し散った頃。あたし達は比良坂高校に入学した。

 入学式も終了し、クラスでのホームルームを終え、まだ授業のない一年生たちは好きに下校したり、校内の探検をしたり、クラスメイトと親睦を深めたり。あたし達も例に漏れず、中学からの仲良し三人グループで学校探検と洒落込んでいた。

 中庭で風に煽られては散っていく桜を眺めて、きれいだねーと一年二組所属のさっちゃんが零す。マジエモいじゃんと同じく一年二組のよっしーが返す。

 一年三組のあたしはとらかわの話をする。


「竹下さあ、まーだゴネてんの?」


 よっしーはちょっと面倒くさそうにあたしを見た。やめて、そんな目で見ないで! と目を逸らす。

 さっちゃんも肩を竦めて「仲良しグループで一人だけクラスが離れたからってそんな、大げさだよ」とチクチク言葉。


「そう! あたし、一人だけクラスが離れたの!」


 喚く。二人が苦笑を浮かべて、ちょっと面倒くさいと思ってることくらいわかるのだが、そんなのどうでも良かった。


「二人とも知ってるよねえ! あたしが人見知りでコミュ障で陰キャで自分で友達作ったことないってことくらい! 小学校から九年の仲だもんねえ!」


 喚く。身振り手振りを加えて、声だけでなく身体でうるさく。そうでもしないとあたしのこの深い絶望と不安は伝わらないから。

 よっしーは髪を軽くかき上げて、溜息を吐く。


「いやー、竹下は言うほど人付き合い下手じゃないよ。あんた、面白い奴だし。竹下はね、会話のキャッチボールが壊滅的に下手で、突然脈絡のないことを話し出して場を唖然とさせたり、常人には思いつかないような独特の会話センスを持っていて、ちょーっと現代人には早すぎるだけ」

「それをコミュ障と呼ぶんじゃないっけ?? あたしの把握違いかなあ!」


 よっしーはあたしの反応を見て楽しそうだった。ムカつく。隣で他人事みたいに笑ってるさっちゃんも許せん。


「さっちゃんもなんとかしてよお! あたし、このままじゃクラスでひとりぼっちだよお!」

「えー大丈夫だよ。竹下ってさ、名前で既に面白いから直ぐに話しかけてもらえるでしょ。だって、竹下桃李(たけしたとうり)だよ。竹下通りって覚えて下さい〜て自己紹介すれば、友達できるよ」

「そんなおもしれー女として覚えられたくない!」


 さっちゃんは頭を抱えるあたしを見てニコニコしている。そろそろこの二人、困ってるあたしを見て楽しくなってないか?


「全く。竹下はおもしれー女だね」

「跡部景吾以外にそんなこと言われたくなーい!」


 仲良しグループとはいえ、所詮は他人。二人とも、ひとりぼっちになるのが自分じゃなかったから安心している。そもそも二人は、あたしのようなおもしれー女を受け入れてくれる懐の持ち主だ。友達なんて初日にワサワサできるに決まっているから、この苦しみなんか想像もつかないのだろう。友達は、一人作ったら三十匹は作れる。さっちゃんとよっしーにとって、ゴキブリとそう変わらないものに違いない。

 あたしはと言えば、小学一年生の頃から、この二人に支えてもらいっぱなしだった。あたしがどんなに変なことを言っても、よっしーがツッコんでくれるか、さっちゃんが一緒にボケ倒してくれる。この二人さえいれば、独りを実感した試しなんてなかったのだ。





 あーあ。もう最悪だ。

 帰路に着きながらも、あたしはずっとゴネていた。電車に乗り込んで、さっちゃんは途中の駅で友達の家へ、よっしーは彼氏ができたとかで別の駅で降りていった。入学初日に家にお邪魔できるほどの関係を作る女と彼氏を作る女、コミュニケーション能力どうこうというか、人心の掌握力が恐ろしい。メンタリスト?

 そうやって、独りで電車に揺られていると、孤独を色濃く実感して寂しくなった。


 同じ車両内には、セーラー服に学ランにブレザー。色んな制服の学生が乗り込んでいる。彼らは向かい合って談笑したり、隣同士並んで座って会話を楽しんでいる。一人でいるのは、あたしくらいなもの。同じ学校の制服に身を包んだ女の子達も見かけたが、顔も名前も知らない。当然だ、あたしはそもそも人の顔とか名前を覚えるのが苦手で、もしもクラスメイトだとしても記憶にないのだ。


 ふう、と一つ溜息。

 高校進学まで育ててくれたお父さんの顔。離婚しちゃって偶にしか会えないけれど、会えば笑顔で接してくれるお母さんの顔。両親を思い浮かべる。友達ができたとか、高校生活は楽しいよと報告すれば、二人とも自分の事のように喜んでくれるに違いない。でも、報告できるようなことは何もない。クラス分けでさっちゃんとよっしーと離れたとわかってから、私はほとんど口を開いていない。知らない顔の並ぶ教室で、借りてきた猫のように縮こまっていた。


 だって、知らない人と何を話せばいいのかわからない。どんな顔をしていいのかわからない。さっちゃんとよっしーはあたしをおもしれー女だと言う。おもしれーのは二人といられるときだけ。あたしは本当は、おもしれー女なんかじゃないから、跡部景吾だってがっかりする。


 ふう、ともう一つ溜息。

 電車を降りて、最寄り駅のホームへ。電車から吐き出された人の流れに合わせて、階段をのろのろ上がる。


 不意に、音楽が聞こえた。

 高く澄んだ、ピアノの音色。

 暗く澱のように胸に溜まっていた嫌な気分が、なんとなく晴れていく。そんな、きれいな演奏。

 なんだろう、と思いながらも改札に定期券を叩きつける。正体はすぐに見えてきた。駅に設置された、誰でも弾けるストリートピアノだった。

 軽やかな指の動きが鍵盤に触れるたび、穏やかなメロディーが木霊す。


 途端、記憶の中で情景と結びつく。

 お父さんとお母さんが離婚する前。

 お母さんはピアノを弾くのが好きだった。家にピアノがあって、お母さんと一緒に椅子に腰掛けたあたしは、お母さんが弾く曲を聞いていた。

 そんなに難しい曲じゃないから、桃李も弾いてみる? お母さんが楽譜を広げて言っていた。

 わたしが子供の頃、発表会で弾いたの。懐かしい。桃李にも弾いてほしいな。そんな話をしていると、部屋にお父さんも入ってきて。

 お母さんの発表会を、お父さんも聞いたことがあったのだと語っていた。この曲を弾いていたね、と。それがお母さんとの出会いだったんだよ。懐かしいなあ、なんて。お父さんとお母さんの子供の頃の記憶を語り合って、二人とも笑っていた。


 あの頃は楽しかった。いや、別に今の生活に不満はないが、やっぱり両親は仲良くしていてほしいものだ。仲良く微笑む両親の記憶は、かけがえがない。

 仄かな寂しさと懐かしさに胸が一杯になるこの曲。タイトルはなんだっけ。


 演奏者はよく見ると、同じ学校の制服に身を包んでいた。何年生だろう。長いストレートの頭髪が、演奏に合わせてサラサラと揺れる。曲の穏やかさと相まって、すごくきれいな子に見えた。

 彼女の容姿と曲に聞き惚れて、思わずあたしはぼーっと演奏が終わるのを待った。終わったタイミングで素敵な演奏でしたって、伝えたくなったのだ。それに、思い出せない曲名を教えてほしかったのだ。家族の思い出の曲だから。





 気がついたら、周りから拍手が巻き起こっていた。曲が終わったらしい。

 駅に居合わせた人達で、軽い人集りができていた。それだけ、人を惹き付ける演奏だったのだ。

 女の子が席を立つ。さらり。肩を滑る髪の毛に見惚れた。凛とした顔立ちの女の子で、彼女は辺りを見回すと、スクールバッグを引っ掴む。

 そして、走り去っていった。


「…………」


 え?

 注目を浴びるのが好ましくなかったのか?

 とにかく彼女は既に走って、駅の階段を駆け下りている所だった。

 呆気にとられて、でも直ぐに曲名! と自分の中で叫んだ。

 家族の思い出の曲なのだ。あたしは、知りたいのだ。お母さんが弾いていた曲を。お父さんが発表会で聞いたっていう曲名を。二人の出会いのきっかけを。


 咄嗟に、あたしはローファーで駅の床を蹴った。

 次の一歩を踏み出す。

 駆ける。追いかける。

 入学式当日の、プリント数枚と筆箱しか入ってない鞄が大きく揺れる。さっちゃんとよっしーとお揃いのキーホルダーがカチャカチャ鳴った。


 ピアノを演奏していた女の子は、駅の階段を降りきると、普通に歩いていた。別に急いでいたわけでなく、多くの視線から逃れたかったのかも知れない。


「ねえっ! 待って!」


 あたしは階段を降り切らないうちに声を張る。女の子は、呼ばれているのが自分だと思わなかったのか、振り返らない。


「待ってよ、ピアノの子!」


 ピアノ。その単語を出して、初めて彼女は振り向いた。その拍子に長髪がなびく。

 足を止めてくれた彼女の元へ、階段を駆け下りていく。そうしてその女の子の目の前までたどり着いた。

 急に走ったから疲れた。肩で息をして、呼吸を整える。女の子は目をぱちくりとさせて、あたしを見ていた。


「あの! 曲! 演奏、素敵でした! なんて曲だっけ……!」


 女の子はぽかんとした顔をしている。一瞬間があってから、


「ドビュッシーの、月の光」


 呆けたように、でも答えてくれた。

 忘れていた記憶の中、確かにリンクする。お母さんが弾いていた。お父さんが聞いた演奏会の曲。

 思わずあたしは、パチン、と両手を叩いた。


「そうだそれ! 思い出した〜スッキリ!」


 それ、と言いながら演奏していた女の子を指差したりするものだから、彼女は少し怪訝そうな顔をした。途端、気まずくなって視線が泳ぐ。


「あ、用事はそれだけ……デス。聞けてよかったッス……ンジャ……」


 踵を返そうとしたところ、女の子は「待って」と何故かあたしを呼び止めてくる。


「それ、比良坂高校の制服ですね。私、一年生です」


 うそ。同じ一年生だったんだ。あたしなんかよりずっと大人びていて、凛とした感じのきれいな子。だけど、一年生って聞くと、その中に僅かな子供らしさが含まれているような気もしてくる。

 彼女が話しかけてくれたことが嬉しくて、思わず声が上ずった。


「えっ、あたしも一年! あたし、三組の竹下桃季!」

「あっ、竹下通りさん!?」

「えぇ?」


 竹下通りって呼ばれた。初対面で? どういうことだ。中学の友達はあたしの名前を揶揄って竹下通りってよく呼んでいたけど、初対面の女の子にまで?

 彼女は口元に手を当てて、しまった、というような顔をする。それからクシャッと笑った。


「いえ、あの、違うんです。クラスの名簿に目を通したときに面白い名前の人がいるなと思って、覚えてたんです。うふふ、ごめんなさい、失礼でしたよね?」

「あ。ああ〜! そういうことね!」


 同じクラス! こんな偶然が、いやもはや奇跡が。あるものなんだ! しかも名前を覚えていてくれたなんて。

 竹下通り。おもしれー名前の女で良かった!


「嬉しい。あんな素敵な演奏できる子が同じクラスなんて!」

「私も嬉しいです。お家の方向どちらですか。よかったら一緒に帰りませんか」

「えっ、いいの?」

「せっかく同じクラスなんだから、仲良くしましょ?」


 踵を返した彼女の髪がふわりと揺れる。途端、シャンプーのいい香りがした。


「ね! あなた、名前はなんていうの?」

「あ、自己紹介がまだでしたね。私は歌方(うたかた)海月(みつく)です」

「ピャーッ、名前までかわいい!」

「そうですか? えへへ」

「ね、ピアノはよく弾いてるの? 月の光、好きな曲なの。よかったらまた、聞かせてくれないかな?」





 五月。放課後の音楽室にて、ピアノの音色が木霊している。先生にお願いしたら、あとでちゃんと音楽室の鍵を返すなら構わないと言ってくれたのだ。

 曲名は月の光。あたしの、思い出の曲だ。

 演奏が終わると、あたしは惜しみない拍手を送った。一緒に聞いていたさっちゃんとよっしーも感嘆の声を漏らす。

 ピアノの前に座る海月は、長い髪を耳にかけて、困ったようにはにかんだ。

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竹下通りにピアノは鳴る 今際ヨモ @imawa_yomo

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