記憶喪失の悲劇
森本 晃次
第1話 拾われた女
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年4月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。このお話は、真実っぽい過去の話はあっても、あくまでも、登場する国家、政府、関係者、組織は架空のお話になります。国家や省庁で、どこかで聞いたようなところも出てきますが、あくまでもフィクションです。
その日は雨が降っていた。降り出したのは、夜のとばりが下りてからだったので、結構振っているようだが、その振り方のひどさがどれほどのものなのか、音に寄らないと分からないというところであった。
車のヘッドライトの先にだけ光って見える雨粒が、その雨のひどさを表しているようだった。
本当であれば、傘に降りかかる雨音で感じるものなのだろうが、雨傘を指しているわけではないので、その音は聞こえない。
しかし、雨を前進に浴びて、濡れている状態なので、
「これ以上ない」
というくらいに濡れた肌が、その雨の強さを証明してくれるというべきなのだろうが、雨の強さと、その肌寒さによって、雨を感じるということができないほどに、身体が冷え切っていて、感覚を味わうことにマヒしていたといってもいいのではないだろうか?
雨の強さも、マヒした感覚には勝てなかった。耳の向こうで、
「ザーザー」
という音がかすかに聞こえていた。
その音が耳鳴りになればなるほど、自分は起き上がることができなかった。
「起き上がる必要などない。そのまま、そこに横になっていればいい」
と、誰かが囁いているのを感じた。
その向こうを見詰めていると、たくさんの車のヘッドライトが眩しく当たっているのが分かるくせに、こちらに向かってくる気はしなかった。
ちょうど、カーブになっているのだろうか、ある程度のところで、皆ライトが、自分の身体を避けるように、左側にカーブしていっているようだった。
この時間、自分が知っている中で、よくくる場所の中で、
「こんな場所、そんなに何か所もあるわけではない」
と思うことで、これがどこだから、分かってくるのだった。
だから、車に轢かれるという心配は最初からなく、もしあったとすれば、必死になってそこから逃げようとするはずだった。
どちらかというと、
「この場所に危険と思われる様子は、これっぽちもない」
ということだったのだ。
ただ、
「身体を動かせない理由が何によるものなのか?」
いや、そもそも、
「なぜ、自分が、感覚がマヒするようになるまで、そんなところで、雨に濡れて、佇んでいなければならないのか?」
ということも分からない。
だから、自分がそこにいるのが、
「いいことなのか、悪いことなのか、分かるはずなどない」
というものであった。
男は、それでも、一刻も早くそこから離れたかった。
どこにいるか分からない。なぜいなければいけないのか? その信憑性がまったく分からない。
そんな状態で、
「何をどうしていいのか分からない?」
と感じていることで、
「とりあえず、その場にいるしかない」
ということにしかならなかったのだ。
ただ、雨に濡れることも、本来であれば、
「望むところだ」
と思っていた。
確かその日は、夕方までは、
「雲一つない」
と言われるほど、キレイな天気だったはずだ。
それが、なぜ、こんな嵐のような天候に一変したのか分からない。実際に、急に降り出した雨に、皆右往左往するかのように、コンビニに、傘を求めていく人がいっぱいいることに気付いていた。
男も本来なら、急いで、コンビニに入って、傘を買うというような行為に及んでもいいはずだった。
だが、その日は、
「雨も心地いいかな?」
と思ったのだ。
何となく上気した感覚。それは、熱があるということではない。寝起きのいくつかあるパターンで感じたことがあると思えるようなのだったのだ。
もちろん、雨にぬれてもいいと思うくらいなのだから、
「上気している」
というのは、熱があったり、体調が悪かったりするわけではなく、逆に、
「頭を冷やしたい」
と感じられるほどであった。
だから、男は、雨が降っているにも関わらず、
「まずは、傘を買おう」
という気持ちもなく、目的もなしに、雨が降り出した夜のとばりの中を踏み出した。すでに水たまりもできているほどで、踏み出したとき、
「バシャバシャ」
という音が聞こえたところで、慣れてくるにしたがって、その声も聞こえなくなるほどであった。
雨が降り続けるのは、誰もが嫌だと思うことだろう。特に女性の中には、
「気圧の違いで、体調がまったく違う」
という人もいる。
男にはあ分からないそんな気持ちを男は知っているのか分からないが、男でも、気持ちが上がらない状態になってしまうだろう。
「私にとって、雨は活力だ」」
などという人を、まず聞いたことがない。
もちろん、同じ雨でも季節によって、その気分の悪さは違うことだろう。
夏の雨だと、そこまで気にしないが、冬の雨などでは、ただでさえ寒いのに、肌寒さがこみあげてきたりして、きつかったりする。
寒い時には、傘を差す手に手袋をしていたりして、お金の用意をしたり、財布から用意するものがあれば、大変だったりする。
ただ、最近は、定期券にしても、
「交通系カード」
によって、切符を買わずに済んだり、定期なら、なおさら、面倒なことはない。
財布から出す必要もなく。自動改札機に、財布ごと当てればいいのだ。だから、財布を取り出すことさえできれば、そこから提起を取り出す必要も、小銭を出す必要もない。
そういう意味でいけば、最近のコンビニも、
「カード決済」
ができたりするので、こちらも、財布から小銭を取り出したりという必要もなかったりする。
ただ、まだまだ現金のみという店も多いので、全部が全部、賄えるというわけではないが、それに慣れている人は、相当な面倒を負わなければいけないだろう。
そういう意味で、今はかなり楽になっているが、昔はいちいち、
「手袋を外して、財布から小銭を出して」
などとしていたが、今ではそこまではない。
それを考えると、
「便利な世の中になったものだ」
ということになるのであろう。
また、同じ季節であっても、
「昼と夜」
という分け方でも、まったく違った考えができるのではないだろうか?
「昼と夜とで、どっちがいい」
というのは、一見、
「昼がいいだろう」
と思われがちだが、こちらも、一長一短あるのではないだろうか?
普通に考えれば、
「季節による雨」
の考え方と同じで、
「昼の方がいいだろう」
と、温度であったり、明るさから感じる体感などから、そう思うのだろうが、だが、実際に昼間の雨の時と、夜の雨の時とで、同じ道を歩いてみると分かるかも知れない。
これは、もっと言えば、ピンポイントに時間を設定した方が分かりやすいかも知れない。ヒントとしては、
「朝の8時前後であったり、夜の18時前後」
ということを言えば、ピンとくる人も多いのではないだろうか?
そう、この時間というと、人が密集する時間帯で、いわゆる、
「通勤、通学ラッシュ」
と言われる時間である。
通勤路では、どんどん人が集まってくるように、増えていき、駅までくると、
「どこから、こんなに人が集まってきたのだろう?」
と思えるほどに、人が密集している。
それを思うと、その人たちが、一斉に、駅の改札を抜けて、ホームになだれ込んでくるのだ。まさしく、
「通勤ラッシュ」
というものである。
そんなラッシュでは、普段道を歩いている時は、それほど、人を、
「鬱陶しい」
とまで感じることはなかったが、歩いていると、どうしても、傘が邪魔になったり、傘を差しながらでも、まわりに一切の気を遣わず、群れを成して歩いている連中もいる。中には、ただでさえ歩きにくいにも関わらず、スマホを見ながら歩いているので、ぶつかりかねない。
「相手が悪い」
と言ってしまえば、それまでなのだが、そんなやつに限って、
「あいつがぶつかってきた」
と、理不尽な正当性を振りかざしてくるのだ。
そんなことになってはたまらないので、こっちも、なるべくそんなやつに近づきたくないと思い、少しでもよけようとすると、今度は他の人に当たって、迷惑を掛けてしまう。
「実に本末転倒なことだ」
と言えるのだが、それだけでは済まされない。
何しろ、
「本当に気を遣いたい相手に迷惑を掛けて、どうでもいいやつのために気を遣ってしまい、結果、悪いことをしてしまったのだ」
と思うと、何とも、
「まわりのことを考えず、自分のことばかりを優先し、結果すべての人を不幸にしかねない、そんなやつが、この世にいると思うと、歯がゆい思いになるのは、実に当たり前のことである」
ということを考えていると、
「実に世の中、面倒くさいやつが、蔓延っているものだ」
と言えるのではないだろうか?
実際に、街を歩いていると、そんな
「面倒くさいやつが、結構多い」
と言えるのではないだろうか?
こんなことをいうと、
「何をそんな細かいことを」
と鼻で笑われるかも知れないが、たとえば、自転車の走行について、結構大きな問題があったりする。
結構、勘違いしている人も多いかも知れないが、
「自転車に乗って走る場合、その壮行区分というのは、車道になる」
というのである。
自転車というのは、分類上、
「軽車両」
という扱いで、
「歩行者専用道路」
と呼ばれる、
「歩道を、基本的には走ってはいけない」
ということを書いてある。
「車道を走らなければいけない」
ということは、
「歩道を走ってはいけない」
ということになるのだ。
もちろん、例外規定もある。
「自転車通行可」
という標識がある場所での、走行。
あるいは、
「13歳未満の児童」
あるいは、
「高齢者」
と言われる人たち、
あるいは、
「車道を自転車が走るのに困難だと思われる場合」
は、歩道を走ってもいいということになるのだ。
ただ、この際も、基本的には、
「歩行者優先」
ということで、極端な話としては、
「歩道を横一列で歩行者が邪魔をしていたとしても、自転車に乗って走っている以上、もうくは言えない」
ということだ。
どうしても行きたい場合の方法としては。
「自転車から降りる」
という方法が一番適切であろう。
というのも、自転車から降りてしまうと、その時点で、歩行者だから、同じ立場の人が嫌がらせのごとくしていれば、注意喚起を促すことは悪いことではない。
だが、そもそも、
「道路交通法の基礎」
すら分かっていない連中に、そんな機転が利くはずもない。
そんなやつらにとっては、文句を言われても仕方がないと言ってもいいだろう。
道路交通法を知らないと、どういうことになるかというと、
「自転車で、歩道を走る」
という行為は、
「バイクが、歩道を走るのと、同じことだ」
と言ってもいいだろう。
要するに、
「走ってはいけないところを走る」
というわけなので、当たり前のことだ。
これを、
「通行区分違反」
といい、結構重い罪になるのであった。
「警察から言われたことはない」
と言うかも知れないが、
「それは、あまりにも勘違い連中が多いから、いちいち対応ができない」
という事情からである。
「だったら、別に歩道を走るくらいいいじゃないか?」
という、モラルという言葉の意味を分からない連中がいうだろうが、
「じゃあ、もし、それで誰かが、自転車に惹かれて、打ちどころが悪かったりして、死亡事故につながったりしたらどうなると思う?」
と聞かれて、相手は黙り込むかも知れない。
「たぶん、警察は、今まで見逃していたことへの非難を浴びて、政治的にも黙っておけなくなると、行政だけではなく、それらの罪も重くなり、過失が、殺人くらいに重い者になったりすれば、やっかいなことになるだろうね? 今までは、大したことがなかったので許されてきたけど、今度は、知りませんでしたでは通用しないからね。そうなると、歩道を走っている自転車の一斉検挙とかも出てくるかも知れない」
と、少し大げさかも知れないが、間違ったことを言っているわけではない。
それを聴いた人はたいてい、
「そんな大げさなことないよ」
というだろうが、理論で話すと、心の中では、
「それはヤバイ」
と思いながらでも、聴いていることだろう。
だから、
「じゃあ、車道を走らなければいけないとなると、車が危なかったりするじゃないか?」
ということになるだろうが、歩行者としては関係ない。
「それは車との問題ということになる。とにかく、道路交通法での立場というのは、明確に分かり切っているもので、何があっても、優先順位は、歩行者ということになるのさ。だから、信号無視で歩行者が飛び出して、車が出会いがしらで轢いたとしても、悪いのは、車ということになるんですよ」
ということになる。
相手は、正直ぐうの音も出ないだろう。
つまりは、
「何を言っても言い訳にしかならない」
ということだからだ。
つまり、
「言い訳というのは、どんなに正当性を唱えても、絶対的な優先順位の前では、ひとたまりもない」
ということの証明でもあるということだろう。
基本的に、
「歩行者の次に車両が」
ということになるのだろうが、この車両に種類が多い。
「自動車、バイク」
などがあり、
その使用用途において、大きさがあり、その種類がある。
そして、その大きさゆえに、
「通行不可」
というところもあり、
「交差点のように、それぞれの優先順位に気を付けて行動しないと、大惨事になる」
ということだ。
そのために信号機があったり、信号機がなくとも、道幅や、車両の種類によって、その優先順位が、決まっているものなのだ。
だから、一人でも、ルールを守らないと、すべてにおいて、大惨事となる可能性を秘めているということだ。
つまりは、
「道路交通法」
というものを、全員が熟知し、守りさえすれば、交通事故は、革命的に減るのではないか?
と思うのがどうなのだろう?
確かに今は、
「免許が必要なものには、講習があるが、歩行者であったり、自転車には、講習の義務はない」
ということだ。
車の運転手からすれば。
「歩行者が、ルールを知らないから、事故が起こった」
というのが、誰が見ても、
「火を見るよりも明らかだ」
と言えることであっても、結果として、
「悪いのは車の方だ」
ということで、車が責任を取らされることになる。
本来であれば、いくら歩行者の立場が絶対だとはいえ、実際に事故が起こってしまったのだから、
「事故を引き起こした」
ということで、その歩行者は、ケガが治ってから、
「自分の無知が、事故を引き起こした」
という自覚を持たせることで、せめて、
「講習を受けさせる」
ということを義務化しなければ、
「永遠に事故など、なくなるはずがない」
と言えるのではないだろうか?
もちろん、講習を受けても、事故は無くならないかも知れない。
あくまでも、
「事故を起こした、本人の自覚」
というものだからである。
もっといえば、
「事故を未然に防ぐ」
ということで、歩行者にも、年に一度の、
「講習」
を起こさせてもいいのかも知れない。
しかし、それは、物理的に難しいだろう。
なぜなら、
「誰が歩行者で、車を持っていないか?」
ということを割り出すのも難しいだろうし、もっと言えば、
「それだけの大量の人に研修をさせるとして、年齢制限であったり、条件などの洗い出しも必要になる」
ということで、物理的に不可能というのは、そういうことである。
ただ、統計的に、
「どういう人が事故を引き起こしやすいか?」
ということを実際に検証すれば、誰に対して研修をしなければいけないかというターゲットを絞ることくらいできるだろう。
当然、交通事故と言っても、人身事故であれば、調書くらいは残しているだろうから、
「歩行者ということで検索すれば、その人の年齢、職業、それらの情報は分かるだろうから、たとえば、いくつの人が多いのか? 職業は?」
ということになるだろう。
「子供や老人が多い」
ということであれば、
「もっと、学校での交通安全教室を開いたり、高齢者には、公民館などで行うようにすればいいのではないか?」
ということになるだろう。
しかし、警察署とすれば、
「今だって、それくらいのことは、できるだけやっているんだ」
ということだろう。
なるほど、確かに、学校などで、交通安全教室を、警察が行っているというのは、よく聞く。
ただ。しいていえば、年に数回の。
「交通安全期間」
という時に集中してやっているだろうから、その時だけということになったとしても、無理もないことなのかも知れない。
「では、それ以外の期間は何をしているのか?」
といえば、
「交通違反の取り締まりなどを行っている」
というだろうが、それも、一般市民からすれば、
「あんなもの、警察の資金調達のための予算として、勝手に決めたノルマのようなものじゃないか?」
というだろう。
確かに言われてみれば、その通りであり、警察も、
「何を言っても、言い訳にしかならない」
ということであろう。
それでも、警察というものが、どういうものなのかということを考えると、
「しょせんは、公務員。何かなければ、市民のために動いてくれないところだ」
ということであろう。
いや、それは言い過ぎだった。
「何かあれば、動くのは、警察のメンツのためだけであって、決して、市民のため、あるいは、正義のためなどという言葉で動いたりはしない」
と言ってもいいだろう。
言い訳はするくせに、きれいごとすらできない組織が警察で、何かといえば、
「縄張り争い」
さらに、
「手柄の争い」
であり、
「自分たちのメンツというか、自分のことしか考えていないというのが、警察という組織だろう」
と言えるに違いない。
ただ、それは、何も警察だけに言えることではなく、同じく官僚のような、同じような組織であったり、もっといえば、
「国を実際に動かしている」
という政府自体が、もっとひどい考え方を持っているのだ。
「国民を盾にして、自分の保身を図る」
というのが、政府であり、何かの事件や事故が起これば、国民皆が、そのことを思い知らされるのだ。
しかし。それでも、1年もすれば、そんなことをすっかり忘れているというのも、国民というものであり、
選挙になると、忘れてしまったかのように、結局は、政府に票を入れるのだ。
票を入れないとしても、
「選挙に行かない」
ということで、投票放棄を行うのだから、政府に票を入れたのと同じことだ。
というのも、
「政府は、組織票が一定数あるから、投票率が落ちれば落ちるほど、自分たちに有利なのだ」
ということである。
なぜなら、組織票を保持している人は、絶対に、選挙にいくからだ。そこに、金が絡んでいるかどうか、分からないが、
「必ず選挙に行く」
ということは、そういうことになるのだろう。
政府や警察などが、ほぼあてにならないという世の中になってくれば、世の中自体がおかしくなっても無理もない。
「元々、放っておいたこと」
あるいは、
「分からないのをいいことに、放置していた」
いや、
「実際には分かっていたくせに、分かっていないふりをして、後に託した連中に、責任を押し付けて、引退していった連中」
そんなものは、山ほど、思い当たるものがあるのではないか。
「バブルの崩壊」
だって、実際に崩壊すれば、誰もが冷静になって、
「こんなこと、当たり前のことじゃないか?」
とばかりに、
「今からであれば、何とでもいえる」
とばかりに、
それこそ皆して、
「どうして、誰も分からなかったんだ?」
と思うことだろう。
「分かっているくせに、誰も何も言わなかっただけじゃないか?」
と誰だって思うことだろう。
確かに、
「分からなかった」
といえば、
「政治家や、経済学者のくせに、バカなんじゃないか?」
と言われるのだろうが、それよりも、
「分かっていて、何も言わない」
という方が、何倍も悪質だ。
完全に、
「確信犯」
ということになれば、それは、とんでもないことだ。
「いうだけでもいっていれば、誰かが、対策を考えてくれるかも知れない」
しかし、政治家や学者はプライドが高い。
つまりは、
「言い出したはいいが、何もできないということになれば、俺の政治家としての地位は、ボロボロだ」
ということになるだろう。
「しかし、黙っておいて、本当にどうすることもできないというところまで来てしまうと、それこそ、確信犯を疑われる」
ということを考えなかったというのか?
それよりも、確信犯ということが、
「さらにどれほど、まわりに与える影響が大きいかということが分かっていない」
ということで、何倍も結果が悪くなるということに、なぜ、誰も気付かないということであろうか?
実際に、バブルが弾けたことで、それまで、
「神話」
と言われていたものが、ことごとく壊れてしまった。
特に、
「銀行は絶対に潰れない」
という、
「銀行不敗神話」
があったではないか。
普通に考えれば、最初に潰れるのが分かりそうなものだが、それが分かっていないからこそ、
「銀行が潰れさえしなければ、何とでもなる」
とばかりに、
「銀行不敗神話」
というのは、
「最後の切り札」
だったといっても過言ではない。
だからこそ、確信犯になることはないと感じたに違いない。
そんな時代において、
「バブルが弾けたことで、世の中の理不尽さを知った」
と言っていたのが、自分たちの親世代だったのだ。
今年、33歳になる、
「山本三十郎」
という男がいた。
「三十郎なんて名前恰好悪い」
と子供の頃にごねていたが、話を聴いてみれば、
「新選組の、七番対組長の谷三十郎をリスペクトしたんだよ」
と言っていたことで、
「新選組」
という格好いい集団がいるということだけは、マンガやアニメなどで診ていたりした。
しかも、学校で習う歴史の中で、
「新選組」
という孫座は、それほど有名ではない。
なぜかというと、
「徳川幕府側で、歴史から消えていった」
ということだったからだった。
どうしても、当時は、明治政府を立ち上げた。薩長などの、いわゆる、
「維新の志士」
と呼ばれる連中が評価が高かった。
特に新選組というと、
「新しい時代に対して、古い体制に戻そうとする連中」
ということで、あまりよくは言われない。
しかし、日本人には、
「判官びいき」
というものがある。
兄の頼朝に疎まがれて、
「平家を倒した英雄」
であるはずなのに、
「朝廷から勝手に官位を貰った」
ということで、頼朝に疎まれた、弟の義経。彼が、
「判官」
だったことで、
「判官びいき」
と言われるのだ。
だから、その後、
「弱いもの、活躍したにも関わらず、理不尽に負けて行ったりしたものを、日本人特有の同情心、弱い者を愛でるという感情から、出てきた言葉が、この、「判官びいき」という言葉だったのだ」
ということである。
そういう意味での、
「判官びいき」
は、
「赤穂浪士」
であり、
「新選組」
であった。
新選組は、幕末の、
「尊王攘夷」
という運動から、
「尊王倒幕」
に変わることで、
「幕府を倒す倒幕ということによって、新政府が新しい政府として、国民に支持される必要があったのは、それだけ、当時の日本という国は、まわりで欧米列強に。侵略をうけている東南アジア諸国を目の当たりにし、このままではダメだと思ったことで、より強固な政府を印象付けるため、幕府を倒す必要があったのだろう」
この煽りを食ったのが、新鮮組を始めとする、
「旧幕府軍」
彼らとすれば、
「どうせこのまま新政府になってしまうと、結局、自分たちは処刑されるか、まともには生きていけない」
と考えたからだろう。
そんな時代の中を逆行するような集団が、
「新選組」
だったのだ。
元々は、幕府から将軍が上洛するということで、
「将軍警護」
の名のもとに、大使が募られた。
別に武士である必要はないということで、結成当初メンバーのいわゆる、
「試衛館組」
と言われる人たちが、浪士組に参加したのだが、実は、最初に画策した人は、隊士たちを、
「朝廷の手先の軍」
として、朝廷に差し出す形が整っていた。
他の隊士は、
「ここまで来て、どこからも召し抱えがなければ、自分たちは路頭に迷う」
ということで、幹部のいうことを聴くことにしたが、試衛館一派と、水戸組と言われる人たちは独立して、当初の目的通り、
「将軍の警護」
に当たったのだ。
要するに、彼らは、
「武士よりも武士らしい集団」
ということだった。
そんな中、戒律のようなものを、副長の土方歳三が作った。
「局中法度」
と呼ばれるものだが、基本的に、
「武士道に背けば、切腹」
というものだった。
それに伴って、それを破った人間が、何人も切腹ということになった。
総長と呼ばれた、
「山南敬助」
を始めとして、切腹を余儀なくされた。
その中に、
「七番隊隊長」
としての、谷三十郎も入っていた。
そういう意味では、あまり目立たないのだが、一定数の固定ファンもいる。父親もそうだったのだろう。
そんな山本三十郎だったが、彼が家への道を急いでいる時、ちょうど、住宅街の近くを通り掛かった時、マンションの一つの脇から、黒いものが動いているのが見えた。
それは、ビルのコンクリートの壁に映った、
「影」
であり、
最初は、グレーのイメージだったが、次第に色が濃くなってくるのを感じると、もう、視線を逸らすことができなくなっていたのだ。
「どうしたんだろう?」
と、三十郎は、気になって、そばに寄ってみた。
すると、
「うーん」
という呻き声が聞こえた。
どこかハスキーではあったが、明らかに女性の声だった。鼻に抜けるようなその声は、どう解釈すればいいのか>
最初は、
「寝ているのだろうか?」
と思った。
寝ているのであれば、
「酒に酔っての酔っ払い?」
さすがにそれだけは、勘弁だと思った。
酒を飲むことを嗜まない三十郎とすれば、いくら相手が女性であっても御免被る。特に女性だとすれば、余計に、
「いい加減にしてくれ」
と、言いたくなるほどであった。
呼吸音だとしても、少し不規則になっているようで、ところどころ、呻き声のようにも聞こえる。
「これは何かに苦しんでいるのかな?」
と思ったが、
「事と次第では、救急車、さらには、警察への連絡もひつようかな?」
と思ったようだが、それは後になって感じたことで、その時、どこまで感じたのかどうか、正直すぐには思い出せなかったのだ。
とにかく近づいてみると、その人は、身体を丸めて、屈みこむように胸を抑えて苦しんでいた。
「大丈夫ですか?」
と、その瞬間を見れば、さすがにビックリして、思わず、背中をさすっていた。
下手をすれば、セクハラになりかねないが、そんなことを言っている場合ではない。相手も、それどころではないようで、横に座って、背中を撫でていると、その表情が見えたが、顔色は真っ赤になっていた。
かなりの痛みをこらえているのは間違いないようだ。
「救急車、呼びましょうか?」
というと、
「あ、いいえ、薬を飲めば楽になるのですが、そこのカバンに薬と水が入っているので、取っていただけますか?」
と言われて、よくみると、彼女の少し前にトートバッグのようなものがあり、それが、倒れて、半分中からはみ出しているような感じだった。
「なるほお、急に痛み出したので、薬を飲もうと、カバンから出そうとした時、指でも滑ったのか、カバンが落っこちたんだな?」
と三十郎は感じた。
彼はすかさず、カバンを取って、中にある金属製の、保温水筒と、薬の入った、プラスチックのケースを取り出し、彼女に差し出した。
「すみません。それ一回分ずつ、すぐに飲めるように個包装してあるので、一つを取ってください」
と、カバンから、一つの薬を取り出し、飲みやすいように渡してあげ、水筒も蓋を取って渡したのだった。
「すみません」
と彼女は言って、貪るように、薬を飲むのだった。
彼女は、薬を飲むと、前屈みだった身体を起こし、今度は、壁にもたれるように、据わりなおした。
表情も、心なしかであるが、持ち直しているかのように見えたのだ。
様子をじっと見ているからだろうか? 思ったよりも時間が経つのに時間が掛かるというわけではなかった。十分もすれば、かなり楽になったのか、二、三階、深呼吸をしたかと思うと、
「すみません。だいぶよくなりました」
と言って、ニッコリと笑った。
三十郎はその笑顔を見た時、
「あれ? 見覚えがあるような気がするんだけどな」
と思ったが、すぐには思い出せなかった。
「そういえば、お兄さん、初めてじゃないような気がするかな?」
と、彼女もそういったが、すぐに。
「ああ、ごめんなさい。急にこんなこと言って、ごめんなさい」
というその表情を見て、三十郎は、その子が誰なのか思い出した。
「ああ、そうだ。いちかちゃんではないか?」
と、三十郎の方は思い出していた。
だが、そのいちかというのも、
「源氏名」
であるので、本名を知る由もない。
源氏名というのは、水商売や、風俗関係の女の子が使う名前で、彼女の場合は、風俗関係であった。
ただ、
「他人の空似」
ということもある。別人だったら、失礼だ。
また、本人だったとしても、こんなところで、
「身バレ」
をするというのも、本意ではないだろう。
特に、風俗嬢というのは、
「身バレ」
というのが、一番怖いことになるのだ。
とりあえずは、もう少し楽になるまで、一緒にいてあげるしかない」
と思っていると、彼女は、少し厄介なことを言い出した。
「ごめんなさい。私、どうも記憶がないみたいなの」
というではないか。
「じゃあ、本当に彼女がいちかちゃんなのかどうかも、分からないだろう」
と、三十郎は思った。
「えっ、じゃあ、うちとかも分からないのかい?」
と聞くと、
「ええ、でも、きっと一過性のものなので、すぐに思い出すと思うんだけど、今日、このままどこも行くところがないんだけど、もし、よかったら、一晩だけ、泊めてもらえないかしら?」
と彼女はいうのだった。
本当であれば、警察に連れていくべきなのではないだろうか?
少なくとも、彼女のことを、いや、似ている人をまったく知らなかったら、このまま警察を呼ぶことになるだろう。だが、彼女が、
「いちか」
であるか、どうかは別にして、
「知っている人に似ている」
というだけで、このまま放っておくことはできなくなったのだ。
「うん、分かったよ」
と、三十郎は、そういうしかなかった。
だが、三十郎も男である。
よく似た人、いや本人かも知れない人を、まさか家に連れて帰るなどと、後から思えば、
「なんと恐ろしいことをしたんだ」
と思わないでもなかった。
「今まで、こんな拾い物、したことないぞ」
と思うと、それが、自分の中で、
「いかに他人事なのだろうか?」
と思うと、一瞬おかしくなって、笑い出しそうになるのを、必死でこらえていたのだった。
とりあえず、三十郎は、家に連れて帰ることにしたのだった。
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