第11話:お化け屋敷
「辰風さん!瑠璃猫さん!そんなことよりも…!」
壱吉は、次第に風に消えていく砂埃を指差して、2人の視線を揺らめく影へ向けた。砂埃が晴れると、そこには頸部が折れ曲がって、左側に不自然なほど垂れ下がった頭部を左手で支える暁の姿があった。
頸部の垂れ下がりは、常識の範囲から逸脱しており、現前の光景に眼を疑いたくなる。瑠璃猫の峻烈な一撃を余すことなく受けた顔面の右側は、赤く腫れ上がっており、右瞼も開かない状態だった。
…もはや本当に生きているのかどうかも
しかし苛立ちを隠せないように歯を抜き出しにして、残った左瞼でこちらを睨んでいた。そして怒気に支配された震え声で、
「同じ日に、2度も……乙女の顔面を蹴るなんて……!」
壱吉は、奇妙な暁の姿を見て「生きている…」と思わず本心が漏れた。
しかし当の2人は、驚嘆の様子は無く、冷静だった。瑠璃猫とのやり取りで爆発しそうだった辰風だったが、一呼吸を置くと掴んでいた胸倉を放して「やはり
それは、度々見せる狂気にも、歓喜にも似た黒い笑いだった。
「くく…その状態で、お化け屋敷でも始めてみれば相当売れるぜ?どうだ。一緒に一儲けしてみる気はあるか?」
「だ…黙れぇぇぇえ……」
「おっと。大事なことを忘れてた。お化け屋敷ってのは、あくまで霊じゃねぇとな」
そして辰風は、岩のような大剣の切っ先を、暁へ向けて、さらに言葉を紡ぐ。
「これじゃお化け屋敷じゃなくて、
「き、貴様。この虫がぁああぁぁぁぁぁあぁぁあああああ」
暁は、血走った瞳で声を荒げる。そしてその勢いのまま走り出そうとしたが、脚が小刻みに震えており、少し体幹を動かしただけで身体は大きく揺れた。
今この不安定な状態で2人に対峙しても、自身の敗北は免れないだろう。本能的に悟ったのか、暁は脚に力を込めて踏み留まっていた。
「くっ…」
相変わらず垂れ下がったままの頭部を左腕で支えながら、呼吸を荒くしてこちらを睨んでいる。そして恨めしそうな視線のまま、
「…不死身の辰風。いつ…この私が
「はっ。気付いたというよりも、てめぇと会う前にすでに薄々分かっていたよ。3年前に元藩主の望月源斎が襲われた時に、状況を見たはずの壱吉の母親が、襲撃の相手を誰も覚えていない…と聞いた瞬間にな」
さらに言葉を続ける。
「顔すら見たことない奴だが…仮に望月堂山が鉄鋼黒蟻だった場合、矛盾が生じるんだよ。
辰風が口にする内容は、先程、暁自らが言い掛けた自白と全く同じだ。
「歴史そのものも捨てる——つまりこれは生きた痕跡すら消滅するということだ。最初からその人が居なかったものとして、現世の歴史は
辰風の語る内容は、壱吉にとっては、至極納得の出来る内容だった。
確かにその論点から考えると、堂山のことを覚えていることは辻褄が合わない。そして壱吉を含むすべての者が3年前、急に氷川暁と名乗る者が現れたと感じていたのだ。つまり、その事実から導かれるのは——。
「3年前、望月源斎を襲い、暗殺直後に氷川暁も死んだ。そして
「そ、そんなことが…」
壱吉にとっては、俄かに信じがたいが納得に行く答えだった。
「さっきこう話そうとしていたんだが、瑠璃猫が裸になって話を遮られちまったからなぁ…まぁそれも今となっては、どうでも良いことだ」
…不意にそう言われると、脳裏に閉まっておいたはずの瑠璃猫の裸の光景が去来しそうになった。況してや現在も辰風が胸倉を掴んでいるため、年相応に膨らんだ谷間が露わになっている。
しかしそんな煩悩よりも、また疑念が産まれた。転生前の生きた痕跡が消滅するというならば、暗殺によって殺されたという事実も消滅するのではないだろうか。
「相変わらず鋭いな。転生前の氷川暁が、直接手を下していれば消滅していただろうな。しかし間接的に暗殺をしたのであれば、源斎が殺されたという事実は残って、転生前の氷川暁だけが消滅する。…ったく。ここまで緻密な計算で暗殺を企てたってことは、どう考えても屑共の入れ知恵だな」
辰風は、小さく舌打ちをすると「5人の使者の内、誰から聞いた」と声を荒げた。
…まただ。壱吉の知らない所で、5人の使者という単語は、3人にとってはすでに共通認識のようである。すると隣で佇む瑠璃猫が、
「多分。
先程、暁が口走った者の名前を呟いた。それに対して、暁は逆さまの顔面のまま不敵な笑みを浮かべて、
「ふふ…正解って言ったらどうするの?殺すの?」
「その………通りだ!!!」
辰風が、眼を見開いて一歩駆け出したその時である——。
横で壱吉の「ぎゃああああ」と天を突くほどの叫び声が、辰風の進行を遮った。そして同時に壱吉の身体から血飛沫が噴き出す光景を、目の当たりにした。
「壱吉…!?」
辰風と瑠璃猫が叫ぶ壱吉を見ると、黒い光沢を放しながら、歪に変形した頭部だけの異形が、壱吉の腹部に噛み付いていた。辛うじて残った頸部には、鎖で繋がれた首輪があり、顔面には刺青が残っていた。
——それは頭部だけの刺青の男だった。
「あ、はははっ!道具は、あなたが殺した10匹だけじゃないのよ!そいつも居たことを今まで忘れていたでしょ!!?」
暁が煙玉を仕込み、爆散した影響もあって、刺青の男は頭部しか現存していない。しかし異形として変形されたためか、器用に顎の力を使って3人の後方へ忍び寄っていたのである。
「グぅぅうウおおオおあアアああァああ!!!」
「う、うわあああああああああああああああああ」
万力の咬合なのか、噴き出す血飛沫の勢いは更なる加速をみせた。
真っ先に動いたのは、瑠璃猫であった。壱吉の腹部に当たらないように鉤爪を横一閃に斬り付けて、異形の頭部を切り離すと、雪駄で頭部を蹴り上げた。そして阿吽の呼吸の如く、目線で応じると辰風は大剣を振り落として、頭部を地面に叩き付けた。
地面が揺れるような重い衝撃が、壱吉の全身に伝わると、緑色の血飛沫と僅かに残った鎖が辺りに飛び散った。
「くっ……はぁ!」
やっと痛みから解放された壱吉は、額から噴き出した汗を拭って、腕を下ろした。出血は多いが、迅速な対応であったため、生命に別条は無いようだった。荒い呼吸で辰風と瑠璃猫に声を掛けた。
「ぼ、僕は大丈夫です。それよりも氷川暁を…!」
「いや、すでに逃げたよ。よくもまぁ、あの状態で逃げたもんだ。それこそ下手に誰かに会えば、お化けと勘違いされちまうぜ…くはは」
辰風の言葉に、笑うべきかは分からなかったが、乾いた笑い声を出していると、次第に意識が遠退いて視界は暗転していった。死亡による暗転かと危惧していたが、辰風と瑠璃猫の会話が僅かに聞こえたことから、安堵をしてそのまま瞼を閉じた。
自分にとっての怨敵は、望月堂山ではなく、実は氷川暁だった——。
そう不意に考えると、事実を知った上でこのまま死ぬ訳にはいかないと、不思議と奮い立てられるようだった。先程の戦闘で気になった点は、山ほどある。それも質問しなきゃな…と思いつつ、壱吉は眠りについた。
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