退華の剣にて
りんごアレルギー
血塗れの過去
「がぁああぁあああぁああああああああああ————!!」
それは一寸先も見えぬ、闇の深淵で足掻く若い咆哮だった。どこか幼さの残った青年の怒号であるが、業火のように荒々しい。そして燃え盛る気迫を十全に孕んでいた。
自身の命を削るような鬼気迫る気迫は、まさに血を喰らう獅子そのものだった。一点の曇りも無い殺意だけが、そこには佇んでいた。
「おぉおおぉおおおああああああああああああああ!!」
若き咆哮と共に、日本刀の銀の軌跡が、月明りを乱反射させながら闇を駆ける。風を切り裂く鋭利な音が、辺りに木霊していた。
時は、木枯し吹き荒ぶ晩秋の夜。
ここは仄暗い鬱蒼とした茂みの奥である。文字通り深淵と呼ぶにふさわしく、月光の光源も満足に差し込まない。辺りには乱雑に生え揃った樹木だけが佇んでおり、暴れるように隆起した根からは、
手入れをされたことのない雑草。
鼻を突き刺すような、刺激臭を放つ苔。
枯れ落ちて腐敗した名も知らぬ実。
とても人間が、長時間滞在できるような場所ではない。また辺りは緑色が皆無であり、血液と臓物が乱雑に散りばめられた生々しい赤黒色の景色だった。
「うぐっ!」
人肉を断つ横一閃。
音を置き去りにした日本刀の軌跡を追い掛けるように血飛沫が散っていく。短い断末魔と共に辺りは、より一層として赤黒く染め上げられていた。
無数の臓物が、びちゃびちゃと耳の奥を舐めるような生々しい音を立てて飛び散る。その光景はまさに、地獄を映した一枚絵だ。
あまりにも非現実的。そしてあまりにも残酷的である。
しかしこの光景が、青年の一方的な殺戮かと言えばそれは異なる。
瞳の奥には消えぬ炎を宿し、必死の形相で歯を食い縛っていた。そして紅に染まった一振りの日本刀だけを固く、固く握り締めていた。
「はぁ…!はぁ…!はぁ…!」
返り血に染まった肩を大きく揺らして息を整える。その荒々しい呼吸からは、生に喰らい付く必死の覚悟が窺えた。
そう。青年は——戦っているのだ。
「…見事なり!」
青年の背から、砂利を踏み
この地獄のような光景に似合わない狂喜を孕んだ声色だった。血塗れたままの青年は、傷口に響く甲高い声の主へと振り返る。
男は張り付けたように破顔して、口角を大きく吊り上げていた。全身を黒一色の衣装で包んでおり、露出した顔面だけが歪に虚空に浮かんでいた。その表情からはこの地獄を楽しんでいるような、狂気が見え隠れしていた。
「何が可笑しい…」
青年の問いに対して、男は眉根を動かすことなく相変わらず破顔したまま見つめる。青年は腹立たしさを爆発させて、
「何が可笑しい!」
「可笑しいさ…我々を殺すたびに、獣へ進んでいく君を見るのは、実に滑稽だ。今、新たな化身の誕生の生贄となる至上の喜び。これを歓喜と表せずして何を喜ぶ?」
男は、口角が額に張り付きそうなほどに笑ってみせた。自身の死を恐れている様子もなく、ただただ万巻の想いに打ち拉がれている様子だった。
青年は口腔に溜まった血を唾棄して、さらに言葉を紡ぐ。
「てめぇらの死が、俺を獣にさせる…?相変わらず、
「君は、何も知る必要はない。ただただ無惨に、そしてただただ残酷に、我々を殺戮していくがいい。それが我々……いや君を含めた陰日向一族の願いでもある」
「…てめぇらの自殺願望のために、俺は刀を握っている訳じゃねえぞ」
男の挑発に乗るのは癪であるが、殺意を込めて言葉を返す。
しかしすべてが釈然としない。現在青年の足元に転がる残骸たちも、皆が不気味な笑顔で首を刎ねられていたのだ。中には、一矢報いることもなく自ら首を差し出してきた者も居た。
自殺願望と呼ぶには、あまりにも凄惨。まるで操り人形のように、死に行く姿が、ひたすらに気味の悪いものだった。
黒づくめの男は、半身を取って掌底を青年に向けると、静かに徒手空拳の構えへと移行した。重心を後ろ脚へと集中させて、大地を力強く踏み込む。
それは音無き決戦の合図でもあるかのように、青年もまた切っ先を男へと向けた――が、すでに腕は限界を超えている。不規則なまでに小刻みに震えており、肉体の限界を告げているようだった。
「ふふふ。そろそろ限界か?」
男は笑う。
「はぁ……はぁ…うるせえ。てめぇ1人殺すのに何ら支障はない」
「もちろんそうでなくては困る。私を殺すまで絶命しないでくれたまえよ」
「…自殺も、そこまで言えるようになれば立派なものだな」
「ふふふ…残念ながら単なる自殺ではない。これは
男は、変わらず笑う。
しかし瞳の奥には、微かな翳りがこびり付いているようにも感じた。肩も強張っており、自然体と呼ぶにはぎこちない。
青年は、この一瞬の翳りから言葉無き訴えを察した。そして確かめるように、言葉を投げ掛ける。
「だったら…だったらなぜ構える?それが俺たち、陰日向一族の死の美学とでも言うのか?そうならば無惨に叩き潰してやるが……違うのだろ?」
どこか語り掛けるような優しさを孕んだ口振りに、男は思わず真顔へと戻った。鳩が、豆鉄砲を食らったかのような唐突な優しさだった。
「陰日向一族の美学ではなく、あんた自身の美学じゃないのか?その洗練された構えは、死に行く者にしては、無駄が無さ過ぎる。あんた——」
青年は、清流にも似た静かな面持ちで、言葉を紡ぐ。
「——自分が死ぬ運命と分かっていても、鍛錬を怠らなかったのだろ?」
「……」
浮かぶ破顔に、僅かな翳りが見え隠れする。しかし死への
そして男は、囁くように、
「陰日向一族の生贄として、育った生涯ではあったが…私も武に生きた者の端くれ。最期に手合わせを願ってみたくなった……ただそれだけさ」
先程とは打って変って、穏やかな声色で男は語る。変わらず破顔したままであったが、覚悟の裏には、静かに運命に抗う名も無き1人の男の哲学があった。
青年は察したように「そうか」と呟くと、黒づくめの男は小さく「ありがとう」と答えた。
さあああああぁぁぁ——。
咽せ返るような血生臭さの中で、2人の間を風だけが通り抜けていく。
「……」
「……」
幾許の時が、過ぎたことだろうか。
額から汗が流れても、拭うことも叶わない。凄惨な状況には似合わない静けさが、そこには佇んでいた。
しかし突如として血戦の火蓋は切って落とされる。黒ずくめの男は静寂を裂くように「おおおおお」と叫び始めた。
「私の名は——
成道と名乗る男は、大きな一歩を駆け出す!
飛び散る幾重もの臓物をその身に纏い、闇を駆け抜ける姿は、疾風そのものだった。大地と平行になるほどに身体を低く倒して、
一瞬にして距離を詰めると、鉄と鉄のぶつかり合う甲高い残響が木霊した。成道は、母指に隠し持っていた寸鉄で乱打を仕掛ける。暴雨のような乱打に対して、青年は日本刀で応戦をした。
一撃でも寸鉄を受ければ致命傷となるだろう。そう思わせるほどの洗練された衝撃が、日本刀を通して腕に渡ってきた。
(重い…!これほどの技術は、一朝一夕で得られるものじゃねぇ!それこそ眠らずに鍛錬を重ねて夜もあっただろう。しかし俺も…)
青年の柄を握る腕にも力が籠る。
(俺も——武に生きた者だ!)
乱打の間隙を縫うように、日本刀の刃が成道へと伸びる。
しかしあと一寸(約3cm)ほどという時に、寸鉄が刃を跳ね返す。鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が辺りに鳴り響いた。
「…素晴らしい!よくぞその若さで、ここまで練り上げた!私の寸鉄をここまで受け切った者は、誰1人として居なかったぞ!」
成道が、感嘆の言葉を投げ掛けたのも束の間。
息つく間もなく、寸鉄と日本刀の攻防は再開される。2人の血戦に立ち入る隙もなく、まるで嵐のような攻防である。衝突で生じる散る火花が、互いの洗練された技術の高さを表していた。
しかしその拮抗も、遂に瓦解を見せる。
青年の一太刀が、成道の右腕を斬り飛ばしたのである。
「ぐっ…!」
肘から勢いよく切り離された右腕が、血潮を噴いて回転しながら転がっていく。成道は、広がる痛みに眼を細めた。
その一瞬!
青年は、その瞬間を見逃すことなく、
「————————っっ!!!」
声無き怒号と共に、煌めく銀色の軌跡を加速させた。
剥き出しの刃が地を
「がぁあああああああ!!!」
断末魔の叫びすら掻き消す青年の咆哮と共に、成道が大地を跳ねるように遠くへ転がっていく。受け身すら取れない峻烈な一撃であり、四肢は衝撃により、本来ではあり得ない方向に折れ曲がっていた。
砂煙を巻き上げて横たわる成道の姿を見届けると、青年は刃の剣尖を大きく夜空へ振りかざす。
血走った眼光。
威圧を孕んだ唸り声。
剥き出して食い縛る歯。
眉間に深い縦皺を走らせた必死の形相。
そして、腕の血管が浮き出るほど握り締めた日本刀。
幼さの残る顔立ちから懸け離れたその雄姿には、鬼気迫る覇気があった。しかし彼は一瞬、苦虫を噛んだような渋い表情をした後に吐血をした。
傷だらけの羽織に染み込んだ血液が、止め処なく流れている。
激痛の箇所に視線を動かすと、左胸に寸鉄が突き刺さっていた。生暖かい血が、下腹部へと緩やかに落ちて、足元は血の水溜りで溢れていた。
傷口から横たわる成道へと視線を動かすと、舞う砂埃の中で微かに笑う様子が伺えた。
「……存外。私も…君に比肩す…るほど…強か……ったと……言え…るかね…?
「気安く…俺の名を……呼ぶんじゃ…ねぇ…」
陰日向成道と陰日向辰風。
凄惨な血戦は、突如として終わりを告げた。
次第に暗転していく視界の中で、月光だけが美しく映えていた。地獄のような凄惨な場で、それは唯一美しく輝いていた
それは、それは——とても美しい満月だった。
◇◆◇◆
その翌日、陰日向一族が住む集落は全焼された。
轟々と燃え盛る炎は、一晩中下火みせることなく、すべてを焼き尽くしたのだ。これが故意による放火か、自然発火なのかは不明である。
そしてすべてを焼き尽くした瞬間、まるで夢幻であったかのように業火は消え去ったのだった。跡形もなく。
あの一夜は、何だったのか。
しかし誰も語ることは出来ない。すべて風と共に消え去ったのである。
残ったのは、人間か家屋かも見分けがつかないほどに、焼き尽くされた灰だけである。
しかしその灰もまた、風と共に消え去る運命であった。
【
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