ストーカー
あべせい
ストーカー
深夜の路上。
男が急ぎ足になる。と、後ろから来る男の足も急ぎ足に。
2人が、明かりの灯る公園の前に差し掛かったとき、先を行く男が突然立ち止まり、振り返った。
「あなた、どなたですか?」
あとを尾けてきた男も立ち止まる。
「私は、赤塚署の警察官です」
「警察!? どうしてぼくの後を尾けるンですか」
「ストーカーです。いま、あなた、女性の後を尾けておられたでしょう?」
「そうですが、それが……」
「あなた、駅前の商店街から彼女を尾行してきたでしょう」
「どうして、それが問題になるンですか?」
「ウ!?」
「彼女は……ちょうどいい、(前方を指差し)あそこに見えるマンション。道路に面した3階一番左端の部屋が、彼女の住まいです。いま、部屋に明かりが点きました。彼女に会って、あなたの疑いを晴らします」
「いいでしょう」
2人は、30メートルほど先に見える女性のマンションへ。
「四葉」と表札のある301号室のインターホンから、女性の声が、
「どなたですか?」
「夜分恐れ入ります。赤塚署の大門といいます」
「インターホンのカメラに、警察手帳を示してください」
大門、警察手帳をレンズにかざす。
「もう少し離して……少し、近付けて……」
「よろしいでしょうか?」
「もう一人、おられるようですが……」
「この方の件でおうかがいしました」
「もっと、お顔を見せて……」
男、大門を押しのけ、カメラに近付く。
「鷹尾(たかお)さん! ごめんなさい」
ドアが勢いよく開く。
「鷹尾さん、どうされのですか。もう、お帰りになったのかと。中に入ってください」
男、大門を見て、
「こちらの方が……」
大門、進み出る。
「四葉さん、この男性があなたのあとを尾行していました」
「鷹尾さん、ごめんなさい。この方、とんでもない誤解をしている」
「どういうことですか。本官の間違いだとおっしゃるのですか」
「大門さん。あなた、本当に赤塚署の方ですか?」
大門、再び警察手帳を示し、
「さきほどもお見せしたでしょう」
「わたしは見知らぬ男に後を尾けられたため、赤塚署に被害届を出したことがあります。しかし、それは、10日も前のことです。それなのに、ちっとも対応していただけなかった。ですから、こちらの氷川鷹尾さんにご相談したのです」
「四葉さん、この方とはどういうご関係ですか?」
「同じ職場の方です。すいません、鷹尾さん、とんでもないことになって……」
「職場の同僚ですか。ストーカーではないのですか」
「当たり前です。どうぞ、お引き取りください。鷹尾さん、どうぞ、あがってください。いま、コーヒーを淹れますから。お願い……」
「はい、でも……」
大門、憮然となる。
「署が被害届を受けてすぐに対応できなかったのには、少し事情があります」
「鷹尾さん。中に入ってください。そうでないと、わたし、今夜眠れそうにない……」
「それじゃ、佳織さん、少しの間……」
氷川、大門に険しい視線を送ると、中へ。
「大門さん、手短にお話ください」
「この一ヵ月、赤塚署管内で、5人の女性から同様の被害届が寄せられ、署員はその対応に追われています。被害者は20代の若い女性ばかり。このため、刑事課の捜査員は2人1組で5人の被害女性に張り付き、犯人検挙に努めました」
「それで成果はどうなのですか?」
「捜査員が被害女性5人に張りついた途端、パッタリと被害がなくなり、ストーカーは姿を消しました」
「そうですか……」
「それが20日前。捜査員の間からは、被害届は狂言ではないかという声が出始めました。実際、被害届には、帰宅途中、見知らぬ男に後を尾けられたというだけで、体を触られたとか、押し倒されたという被害はありません。ただ、後を尾けられて気味が悪かったというのです」
「……」
「ただ、5人の被害女性には、ある共通点がありました」
「?」
「5人全員、白いヒールを履いていました」
大門、玄関土間の靴を見る。
氷川の黒靴の横に白いヒールが並んでいる。
「白いヒール? 私もきょうは履いていましたが、毎日白を履いているわけではありません。5人の方も、偶然じゃないンですか?」
「それはわかりません」
「ほかに共通点はないのですか?」
「5人の女性は上赤塚駅で下車した後、男に後を尾けられていますが、全員、北口の改札を出ています。つまり、東武沿線の北側に住まいがある女性です」
「わたしのこのマンションも、駅の北側……でも、わたし、いつも南口の改札を使っている。南口の商店街で買い物がしたいから……それで、今夜、あなたが氷川さんの後を尾けたのは、どうしてですか?」
「署からの勤務の帰り、南口商店街で、あなたの後をつけまわしている男を見つけたからです。ストーカーの被害が20日前に立ち消えになって、犯人捜査も進展していません。私は、犯人がほとぼりが冷めたのを見て、また始めたのかと考えました。ですから、男があなたの後を尾け、猥褻な行為に及ぶ場合を考え、男の尾行を始めたのです」
「アフターファイブなのに、たいへんですね。でも、氷川さんは何もなさらなかったでしょう?」
「彼はどうしてあなたを尾けていたのですか?」
「赤塚署に被害届を出しても、対応してくださらないからです。氷川さんに相談したら、『ぼくがしばらくガードするよ』といってくださって。今夜が2日目です」
「それは申し訳ありませんでした。私が誤解したようです」
「おわかりでしたら、どうぞお引き取りください」
「はい」
大門は一旦、踝を返すが、再び振り返る。
「四葉さん、つかぬことをおうかがいしますが、以前、上赤塚の駅前で封筒をなくされたことはありませんか?」
「いいえ。それがなにか……」
「それなら、いいンです」
そのとき、奥から氷川が現れ、
「佳織さん、ちょっと」
と手招きする。
「なにかしら? すいません」
佳織は大門に目礼して、リビングの入口にいる氷川のところへ。
「鷹尾さん、どうしたの?」
氷川が佳織に耳打ちする。
「そんなッ!」
大門がドアのノブに手を掛け、外に出ようとすると、氷川が鋭く、
「待て!」
大門、振り返る。
「何でしょうか?」
「大門さん、いや、きさまはだれだ!」
「赤塚署の大門ですが……」
「赤塚警察に大門刑事はいるが、いまぼくはその大門刑事と電話で話していた」
「なにをバカな。警察手帳をお見せしたでしょう」
「そんなものは、いくらでも作れる。テレビドラマの小道具係をしているぼくの高校時代の友人に頼めば、半日で本物そっくりのを作ってくれる」
「……」
「きさまの目的は何だ!」
「すいません。見逃してください。お願いします」
「佳織さん、どうします?」
「鷹尾さん、決めて……」
「ぼくがですか。それじゃ、ぜんぶ正直に洗いざらい話したらということにする」
「鷹尾さん、ここじゃ、ご近所に声が聞こえます。中で話していただいたら……」
「そうだな」
偽大門は、佳織と氷川に誘導され、リビングの椅子に腰かける。
「偽大門刑事、キミの言い分を聞こう」
「ちょうど3週間前の午後7時半頃、上赤塚駅前で、3枚の宝くじを拾ったことが始まりです。それは白い封筒に入っていたのですが、そのときは必要がないから捨てたのだろうと思い、酔っていたこともあり、ついジャンパーのポケットに入れました」
「遺失物横領だな」
「落ちているゴミは遺失物ではないでしょう」
「で、どうした」
「その夜はポケットに入れたことを忘れてしまって、翌朝ジャンパーを着ようとして、白い封筒のことを思い出しました。封筒をよく見ると、中に何か入っている。出してみると、3枚の宝くじでした。しかも、当選番号の発表が前の日になっている。私は、期待もせずに、インターネットで当選番号を調べました。すると、3枚のくじは続き番号でしたが、その1枚が一等5千万円の当たりくじ……」
「なるほど……」
「私は、前の夜仕事でおもしろくないことがあって深酒をしてかなり酔っていました。それでも、白い封筒を拾ったときの光景を懸命に思い起こしました。時刻は、午後7時半前後。上赤塚駅の北口改札を出ると、駅近くの交差点脇の牛丼屋に足を向けました。交差点を渡ろうとしたそのとき、私の前にいた女性から白いものが落ちました。私は咄嗟に身を屈めてその白い封筒を拾い、女性に声を掛けようとしました。が、信号が変わり、私と女性の間に路線バスが走りこんできたため、私は立ち往生せざるをえませんでした。バスが通り過ぎた後、女性は近くの路地に入ったのか、姿が見えません。手に取った感触では、封筒には何か紙切れが入っているようでしたが、1枚の封筒くらいと思い直し、その夜は牛丼を食べると家に帰って寝てしまいました。しかし、封筒の中身が5千万円の高額賞金が当たっている宝くじとわかり、このままにしておくことはできない。女性を探そうと考えました。印象に残っていたのは、身を屈めたとき目に入った、女性の脹脛と白いヒールの踵です」
「それで、白い靴の女性を見つけては、後を尾けたというのか」
「しばらく尾行してから声を掛け、中身を伏せたまま、『駅前で封筒をなくされたことはありませんか?』とお聞きして、否定されれば、別の白い靴の女性を探したわけです」
「それじゃ、赤塚署がストーカー被害を受けている5人の女性をガードしたといった話は?」
「そんな事実はないと思います。私の作り話です。私は同じ女性を何度もつけまわしてはいません。『封筒はなくしていません』と言われれば、それ以上、同じ女性にまとわりつく必要がないからです」
「鷹尾さん、この人の話、信用できないわ」
「そのわけは?」
「わたしは前にも言ったように、赤塚署に被害届を出しても無視されたから、あなたに相談したでしょう」
「そうだった」
「わたしは、3度、見知らぬ男性に後をつけられたわ」
「佳織さん、そのとき男の顔は見た?」
「怖くて振り返ることはできなかった」
「それは、私じゃありません。私が四葉さんの後を尾けたことは、これまで一度もありません。さきほども言いましたように、私は上赤塚駅北口改札から出てくる白い靴の女性を探していたのです。今夜は、四葉さんをつけまわしている男性、失礼、氷川さんを怪しんだから、氷川さんを尾行したのです」
「おかしいじゃないか。佳織さん、どう思います?」
「きょう白い靴の女性捜しは、どうされたのですか?」
「駅前で封筒を拾ったのは、金曜の午後7時半頃でしたから、平日の午後7時から8時の間、上赤塚駅前に張り込んで白い靴の女性を捜していますが、今夜はまだその時刻には早かったので、南口の商店街で買い物をしていたわけです」
「キミ、仕事は?」
「板橋東郵便局の配達員です」
「通勤着はジャンパーで、カバンも持たない?」
「局で制服に着替えますから。この季節は毎日、ジャンパーで通勤しています」
「自宅は?」
「板橋区中板橋です」
「封筒を拾った夜、上赤塚駅前にどんな用事があったンだ?」
「別れた妻が娘とこの街に住んでいます」
「前妻に会って、よりを戻そうとした?」
「そう受け取られても仕方ありませんが、働いているようすを見たかっただけです」
「働いているようす、って?」
「南口の駅前商店街のお弁当屋で働いています」
「わたし、そのお弁当屋さんなら、知っているわ。最近、出来たばかりだけれど、安くておいしいって。このマンションの奥さん方にも評判よ。わたしも、お店の前をよく通るけれど、美人の店員さんがいて。あの方があなたの前の奥さん?」
「美人かどうかは、わかりませんが、あの小さな店で厨房は若い男性、販売は女性の2人でやっていますから」
「今夜はその女性はいなかったようね」
「娘が熱を出したらしく、早引きしたと、応援にきた店のオーナーの奥さんが言っていました」
「あなたが上赤塚駅に来るのは、白い靴の女性を捜すことより、別れた奥さんの顔が見たいからじゃないのですか」
「そうかもしれません」
「当たりくじの持ち主なんか、どうでもよかった。むしろ、現れないほうがいい。そのほうが5千万円の当たりくじをネコババできる」
「そうかもしれません」
「キミ、名前は?」
「『せたひとし』といいます」
「字は?」
男は、ポケットから紙切れを取りだし「勢多仁」と書く。
「『勢多仁』さん、ですか」
「おかしいな」
「鷹尾さん、どうしたの?」
「勢多さん、免許証か何か、身分証は?」
「いま持ち合わせていません」
「郵便局の社員証もないのか?」
「すいません……」
「信用できない。キミの話は、とても信用できない。全部、デタラメだろう」
「鷹尾さん、どうしたの?」
「その5千万円の当たりくじを、いまここで見せられるか?」
「これです」
勢多は、ジャンバーの内ポケットから白い封筒を取り出し、中から3枚の宝くじを引きだす。
「どうぞ」
氷川は、それを丹念に調べて、
「こんなもので、人をだまそうなんて。隠していたわけじゃないが、ぼくは成増署の刑事だよ」
「エッ」
「キミの話がおかしいと最初に感じたのは、警察手帳だ。警視庁管内では、勤務外の警察手帳の持ち歩きは禁止になっている。退勤時に保管箱に入れる決まりだ」
「そうだったンですか」
「この宝くじは、カラーコピーしたものだろう。数字の部分を当たり番号に書きなおしてコピーしたのだろうが、本物の宝くじと紙質が全く違う」
「拾っただけです。許してください」
「どうして謝るンだ。拾っただけなら、偽造はキミの罪じゃない」
「すいません……」
「キミは偽造が趣味のようだ。警察手帳の偽造、宝くじの偽造。まだ、ほかにやっているのか?」
「これだけです」
「キミの話はウソが多過ぎる。どこまで信じていいのか。勢多、って名前も、恐らく偽名だろうが」
「……」
「怪しげな男が上赤塚駅から帰宅途中の女性の後を尾けているという話は、成増署でも話題になっていた。しかし、刑事事件になるような被害は報告されていない。後ろから声を掛け、宝くじを示して、『落とした覚えはありませんか?』と尋ねるだけで、その場から立ち去っている。声を掛けられた2人の女性が赤塚署の親しい警官に話したことから、こういう事案があることが発覚したにすぎない。その男が、キミだったとは。キミの本当の目的は、何だ? 女性の後を尾け、予め偽造した当たりくじを示して、落とした覚えはありませんか、って。わけがわからない。もういい。偽造した警察手帳と宝くじをこのテープルに置いて帰りなさい」
「すいません」
勢多は、偽警察手帳と偽宝くじをテーブルに置くと立ちあがった。
「すいません。私が声を掛けた女性は、四葉さんを除けば、5人だけです。でも、5人にはもう1つ共通点があります」
「そんな話はもういい。関心がないから」
「これだは言わせてください」
「私、妻に捨てられて毎日淋しい日々を送っています。弁当屋で働く妻の姿を見るのが、唯一の楽しみだったのですが、あるとき上赤塚の駅前で、女性が手紙を落としたのを見て、拾ってあげたのです。その女性が白いヒールを履いていました。私は彼女から、『ありがとうございます』とお礼を言われたとき、ゾクゾクするほどうれしい気持ちになりました。立ち去る彼女の後ろ姿をいつまでも見ていたのですが、そのとき思ったのです。あの女性と交際したい、と。翌日から、仕事帰り、上赤塚駅前で、手紙を拾った時刻の前後に彼女を待ちました。しかし、10日間、待ち続けましたが、彼女は現れません。彼女はこの街の住人ではない。たまたま、あの日は別の用事で、上赤塚駅を利用しただけなのだと考えました。そこで、こんどは上赤塚駅前で、白い靴を履いた女性を探し、声をかけようと考えました」
「何のために?」
「自分好みの女性と交際のきっかけを作るためです。当選した偽の宝くじを示して、『私のです』と女性が答えれば、私のメガネ違い。『私のではありません』と答えた女性に、再会するきっかけを作って交際の足がかりをつくる」
「そんなことで、女性が、キミとの交際に応じるとは思えないが」
「ダメでした。声をかけた段階で、『私の封筒ではありません』と答えた女性でも、その口調、声の響き、顔の表情が、私の好みと大きく外れていました。見ず知らずの女性の中から、自分に合った女性を見つけるのは難しいと気づかされました」
「そうだろうな。いくら美女でも、黙っているときと、声をだし、行動するときとでは、違う。見かけは、大人しい美女と思って話をしたら、とんでもないおしゃべりで、きわどいことを平気でしゃべる女性もいるから。そんなものだよ。キミはこの先も、恋人探しを続けるのか」
「そのつもりです」
「それはいいが、偽造やニセはだめだ。こんど見つけたら、必ず逮捕する。今回の分も含めて、罪は大きくなるゾ」
「十分気をつけます。失礼します」
勢多は一礼して、静かに佳織の部屋を出て行く。
「鷹尾さん、このまま帰して大丈夫? ほかの女性が被害を受けることはない?」
「被害といっても、声をかけるのがやっとの男だ。それ以上のことはできないよ。ただ、1つだけ、ナゾが残る」
「なに?」
「佳織さんを3度ストーカーした男の存在だよ。あの勢多じゃなかったら、だれなのか。別の男のしわざなら、今後佳織さんが襲われる可能性はまだ残る」
「わたし、怖い」
「もうしばらくガードするよ。それじゃ」
「このまま……私を置いて帰るの?」
「泊まれないよ。ここには」
氷川、立ちあがり、窓際に行きカーテンを開け、外を見る。
「あいつ、まだこっちを見ている。佳織さんのことを好きになったのかもしれないな」
佳織、つぶやく。
わたし、ああいうひとは大嫌い。わたしが、ストーカーに遭っているとウソの相談したのは、あなたと話すきっかけが作りたかったからよ。ホント、刑事のくせに鈍感なンだから。
「何か、言った?」
(了)
ストーカー あべせい @abesei
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