【58】ミスティア

 話を整理しよう。今まさに眼前で完璧な五体投地を決め込んでいる女性――ミスティアはユズリアの師匠。そして、リュグ爺の弟子らしい。つまり、ユズリアからすればリュグ爺は大師匠ということになる。

 まさか本人たちも知らぬ間に繋がりがあったなんて、いやはや冒険者界隈は狭い。


 ぐったりと疲れ切ったユズリアが、身体をもたれかけてくる。


「ど、どうして師匠がここにいるんですか?」


 ミスティアはちらっと顔を上げるが、リュグ爺を恐れてか、すぐにまた額を地面に擦り付ける。


「依頼でこっちの方に来たから、ついでと思って。この前、フォーストン家に顔を出した時にユっちゃんがここら辺で男と同棲しているって聞いたから……」


 ちょっと待て、聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが……。


 ちらりとユズリアに目を向けると、彼女はバツが悪そうに目を逸らした。実家に近況報告をしていたことは知っているけど、一体どんな風に伝えているのやら。また面倒事が増えたような気がして、思わずかぶりを振る。


「私のユっちゃんの初めてを奪った不埒な男をぶち殺しに来たつもりだったのに、まさかお師匠がいるなんて……」


 ……よし、逃げよう。今すぐ。S級冒険者に命を狙われるのは流石にごめんだ。ってか、最近命狙われること多いな。俺が一体、何をしたって言うんだ。全面的に被害者なのに!


「何じゃ、儂がいたら問題でもあるのかの?」


 リュグ爺の言葉にミスティアの身体がびくりと震える。


「お兄、いつの間にユズリアと」


 すぐそばで囁かれるサナの言葉に、俺もミスティアと同じく痙攣したように身体が波を打つ。


「いや、大丈夫だ。まだ、俺は童貞だから……」


「そ、良かった」


 にこりと珍しいくらいの眩しい笑みのサナ。

 危なかった。この手の話になると、敵が増えるのどうにかしてほしいんだが。というか、自分で言っといてあれだけど大丈夫ってなんだよ。何が悲しくて実の妹に貞操を守っている報告をしなきゃならないんだ。


「ミスティアさん、どうしてそこまでリュグ爺さんに怯えているのでしょうか」


 ユーニャが不思議そうに呟く。


「そうだな、俺たちの知ってるリュグ爺はいつも泉の側で茶を啜りながら、日向ぼっこしている老人だもんな。羨ましい、変わってくれ」


 おっと、最後の方に欲望が漏れてしまった。


「お主、言いたい放題じゃのぉ。まあ、否定はせんがな。儂の今の楽しみは孫たちが楽しそうに過ごしているのを見て過ごすことじゃからな」


「ま、まっさかぁ。お師匠がそんな隠居生活みたいなことしているわけないじゃないですか……。どうせ、ここにいる全員をしばき回して舎弟にしているのでしょう? で、でもですね、お師匠とは言え、ユっちゃんだけは私が何としても護ります……!」


 ミスティアさんは勢いよく身体を起こし――というか、それも目で追えなかったのだが、その場から消え去り、いつの間にか俺に肩を預けていたユズリアを抱きかかえていた。


「ミスティアのぉ……。孫たちが怖がるから変なことを言うでない」


 怖がるというか、ここにいる大勢はリュグ爺のそんな姿を想像出来ないから、状況がつかめないんだが。


「ふふっ、リュグ爺様の若い頃のお話は先生からよく聞かされていましたが、それはもう手の付けられない狂犬だったとか」


 セイラはいつになく面白そうに告白する。きっと、リュグ爺が困る姿を見て楽しんでいるんだろうな。


「全く、いつの時代の話をしておるんじゃ。儂がミスティアを弟子にしたのはたったの二十年前じゃぞ」


「ふぁっ!? やめてください、記憶が蘇っちゃう……!」


 ユズリアの師匠と言うくらいだからS級冒険者なんだろうけど、そのミスティアをこれだけ怯えさせるって、一体リュグ爺、どんな育て方をしたんだろう。


 まあ、リュグ爺の異名は無頼漢の王、本人は全盛期よりも随分力が衰えたって言ってるし、昔はさぞ敵無しだったんだろう。実際、今ですらリュグ爺に敵いそうな奴はこの聖域にはいない。あのセイラとドドリーですら、手合わせは勘弁してほしいと勝負すら避けるくらいだ。


「はぁ、まあ良い。お主はもう儂の手を離れたんじゃからな。とやかくは言わんわい。それで、肝心の依頼とやらは何なんじゃ?」


「そうですよ! 師匠が単独で依頼を受けるなんて珍しいじゃないですか。いつもは私か男の人を連れて受けていたのに」


「おっと、そうだった。S級の指名依頼なんだけど、私一人じゃ厳しいからユっちゃんにも手伝ってもらおうと思って。それにお師匠もいるなら実に好都合」


 そう言い、ミスティアは依頼書を取り出す。


「んーと、宝玉龍に討伐……。えっ、龍ですか!?」


 ユズリアが驚きの声を上げるのも無理もない。龍と言えば魔物の最上位に君臨する存在。しかも、宝玉龍という名に聞き覚えが無い。新種の龍なのだろう。情報が無いから危険度が跳ね上がる。


「そうなんだよぉ。何か人里近くに巣をつくっちゃったらしくて、色んな冒険者が送り込まれたんだけど、全滅しちゃって。それで、私に話が回って来たわけ」


「ふむ、お主になら納得ではあるのぉ」


「ってか、お師匠が行方不明だったから、私に話が回って来たんですよ! これ、本当はお師匠に頼みたかったらしいです」


 どうしてリュグ爺に指名依頼を? S級なら他にもたくさんいるだろうに。そう思い小首を傾げていると、ミスティアと目が合う。彼女は俺をねめつけ、ユズリアを遠ざけるように一歩引く。そして、仕方なくと言った風に口を開いた。


「お師匠は人類で一番龍を屠ったお人ですからね。当然です」


 何だその話、初耳だ。そう思いリュグ爺に目を向けると、「儂も初耳じゃ」ととぼけられた。


「というわけで、ユっちゃんとお師匠には協力してもらいますからね!」


 ユズリアはミスティアを引き剝がし、小さく唸る。そりゃ、悩んで当然だ。リュグ爺もついているとは言え、相手は魔物最強種の龍。個体によっては魔族すら凌ぐ強さだと言われている。


「うーん、ロアも一緒なら良いですよ」


 ……は?


「そうじゃな、ロアも連れて行こうぞ。ふぉっふぉっ」


 いやいや、行かないよ? そもそも、もう俺冒険者じゃないし。ただのニートだから。ちょっと物を固定できるだけの何でもない成人男性だから!


「ふーん……」


 ミスティアが眉根を寄せて、俺を見定めるように睨みつける。


「ま、いいか。ユっちゃんの肉壁くらいにはなるでしょ」


「えぇ……」


 どうやら、俺に拒否権は存在しないらしい。


「ロアは働き者だな」


 シグの悪気の無い一言がやけに目に沁みた。

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