【26】消して、滅したい。
ローリックが煩わしそうに目を開ける。
「ベイク、『固定』しろ」
その名前に反応して鼓動が加速する。呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
「ベイクって、そんな……まさか……」
ローリックがにやりと口角を上げる。
しかし、〝ベイク〟と呼ばれた男性は一向に動かない。
「何してるんだ。早く、あいつに『固定』をかけろ」
それでもやはり、ベイクは微動だにしない。
じっと、見つめられているような気がした。空洞になったその双眸が、確かに俺を捉えている。
「なんだ? 死んでるくせに実の子には手をかけられないって言うのか? 使えんうすのろめ」
「その男性、もしかして……」
狼狽する俺を見て、ローリックが確信したように高嗤う。
「そうだ。コイツは貴様の父親
あまりの衝撃に視界が揺れた。こみ上げる異物をぐっと飲みこむ。
「僕の魔法は『
こんなにも動揺が湧き出るなんて、自分でも驚きだ。
目の前の男性は俺の父親。ただ、顔すら忘れていた存在だ。俺の中に残っているのは、家族を見捨てたことと、多額の借金で俺とサナの安寧を崩した最低のくそ野郎。それだけだと思っていたのに。
「それにしても、やはり魔法というのは遺伝性質が強いんだね。良い勉強になったよ」
「どうして……お前がその遺体を所有しているんだ……?」
ケタケタと嗤うローリックはまるで自慢げに話し始める。
「どうしてって、僕がコイツを犯罪者に仕立て上げて、死ぬまで追い込んだからさ!」
「……なんだって?」
「おいおい、どうしてそんなに怒っているんだい? どうせ、お前はコイツのことが憎いんだろう? 当然だよな、生まれてからずっと母親と子供を置き去りにして、あまつさえ借金まで残していったんだからな。まっ、そう仕向けたのも僕の仕業なんだけどね、ハハッ!」
「……」
「聞きたいかい? よし、聞かせてあげよう。今、僕は気分がとても良いんだ。生意気な小娘を嬲って、さらにこんな素敵な物語を見れているんだからね」
視界がぐらついた。また、新しい感情が芽生えだす。
それから、ローリックは楽し気に話し出した。
「僕はどうしてもコイツの魔法が欲しくてね。でも、あまりに強力で太刀打ち出来たもんじゃない。だから、僕はコイツに英雄殺しを命じた。やらないとお前の家族は皆殺しだ、と言ってね。あの時のコイツの表情はさいっこうだったなあ」
……あぁ、そうだったのか。
「それにしても素晴らしい魔法だ。あの魔族討伐に携わった英雄の一人を一方的に殺してしまうんだから。その後も色々と汚いことをさせて、追い込み続けた。お前たちを人質にしてね。しかし、父親っていうのは強いよねえ。文句の一つも言わずに何でもやるんだから」
やめてくれ。それ以上、聞かせないでくれ……。
「しかも、その間も冒険者としての依頼もこなしてさ。自分の借金なんて気にもしないで、報酬を全部家族に送るってギルドに言ってたらしいじゃないか。もちろん、そんなことを僕は許さない。ギルド長に声を掛けたら、すぐに僕の下へ横流ししてくれたよ。良いお小遣いになったものさ」
………………。
「でも、コイツに頼みたいこともなくなっちゃってね。だから、最後に命じたんだ。家族を殺されたくなかったら、街の中心で自害しろってね。あれは僕が今まで見た中で一番の劇だったよ。美しかったなあ……。仲の良かった街の連中にも、命がけで守った家族からも嫌われて、その生涯を終える様はそう何度も見れるものじゃないよ」
「……もういい」
もう、限界だ。
靴と地面を『固定』。
「なんだよ、鬱陶しいと言ってるだろ? ほら、『解除』しろ」
ベイクが二本指を横にスライドする。
「なんで『解除』はするくせに、『固定』はしないんだよ。ったく、使えないなあ!」
ローリックが教典をめくる。黒紫にぶわっと辺りを照らすと、新たにドワーフ族の男性と人狼族の女性が一人ずつ召喚される。
「これも僕のコレクションの一部でね。もちろん、S級冒険者だよ。さて、S級冒険者を三人同時に相手できるかな!?」
召喚された二人に向けて、『固定』。しかし、やはりベイクがすぐさま『解除』してしまう。
「殺せっ!」
ローリックが手をかざした瞬間、ドワーフ族と人狼族が動き始めた。
人狼族の女性が一瞬で距離を詰めてくる。鋭い眼光がまっすぐに俺を捉え、まるで刃物のような鋭利なかぎ爪が左腕を襲う。
反対からはドワーフ族の大振りな戦鎚が首元に迫っていた。
あぁ……最悪の気分だ。
吐き気が止まらない。耳鳴りがうるさいくらい増幅する。
これほどまでにクソみたいな日は人生で初めてだ。
ゆっくりと右手を頭へ。
重く、息をついた。スローモーションになる視界をゆっくりと閉ざす。
そして、俺は今まで自分にかけ続けた全ての『固定』を解いた。
積もった塵山が崩れる音がする。
一瞬の静寂が脳内を巡り、感情が泡のように膨らんだ。
頭が割れそうだ。気持ち悪い……。全部、無かったことに、消してしまいたい。
この悲しみは街で足に矢を射られた時のもの。
この痛みは名前を聞いて一目散に逃げだした親子の顔を見た時のもの。
この憎悪は冒険者に母親まで馬鹿にされた時のもの。
この激情は今まで父親のことを誤解していた自分へのもの。
この殺意は、気にくわない全てのものへ。
押し固めていたものが渦を巻いて心を埋め尽くす。
熱いほどぐちゃぐちゃな感情が全身を駆け巡り、冷徹な思いが血管を流れて全身に行き渡る。
振り返るまでもなく、裏切りや苦しみに苛まれ、結果として生まれた気持ちの昇華から目を背けて『固定』し続けた末路だ。
全ての感情が変貌し、殺意へと収束していく。
一縷の隙すらなく全身を冷たい衝動が支配した時、俺は全てを『固定』した。
かぎ爪が、戦鎚が、ゆっくりと肌を貫かんとしている。
止まりそうな時の中で、静かに呟いた。
「――『
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