【25】ローリック・ティンジャー

 魔素の満ちた森をひたすら駆けた。

 心配のし過ぎというサナの言葉が思い返される。確かにそうかもしれない。

 夜中に冒険者が移動することは決してない。暗闇がどれだけ敵となり得るのかを痛いほど知っているからだ。

 しかし、あの雷鳴は間違いなくユズリアの魔法だ。つまり、ユズリアは今魔法を使わざるを得ない状況にいるということ。

 魔物ならユズリアには問題ないだろう。でも、夜襲や何かから追われ続けているとしたら? 

 結局、一番脅威となるのはいつだって同じ人間だ。魔物よりもずっと狡猾で、利己的。


 夜更けにのこのこと姿を見せる獲物に、魔物がぎらついた瞳を向けて襲い掛かって来る。その全てを『固定』して走り続ける。

 息が切れる。

 コノハを起こして来た方が早かったかもしれない。

 リュグ爺は気づいただろうか。随分遠くの方だったから魔力も感じられなかった。本当に偶然視界に入っただけのこと。

 もしかしたら、何回も魔法を放っていたかもしれない。そのうちの一回をたまたま目にした。その可能性ももちろんある。


 黒い木々に覆われた前方で、衝撃音が響く。

 近い……。

 微かな土煙と何かが焦げた臭い。

 間違いなく、ユズリアが何者かと戦っている。その事実だけが、俺の足を止めることなく前へと突き動かす。

 視界が晴れる。まず最初に目に入ったのは帳の降りた暗い闇を照らす炎。燃える木々の周囲を電気の筋が滞留しているのを見るに、恐らくユズリアの魔法で引火したのだろう。バチっという焔か雷か分からない音が耳を伝う。

 その明かりの下、地面に倒れ込むユズリア。土ぼこりを被り、身体のいたる所に殴打の痕が散見する。闘志潰えた虚ろな瞳の向く方向には、身なりの良い白銀髪の男性。趣味の悪いまだら模様のローブには鷹が鼠を鷲掴む刻印が刻まれている。


「ユズリア……ッ!」


 ユズリアが弱々しく顔を傾ける。


「ロ……ア……?」


 ユズリアを抱きかかえると、彼女は力なく握った細剣を滑り落す。


「一体、何があったんだ!?」


「ご……ごめん……なさい……。に……げて……?」


 その瞳がじわっと滲んで、ゆっくりと瞼が閉じられる。


「ユズリア!? しっかりしろっ!」


 応答はない。気絶してしまったようだ。

 近くで見ると彼女の身体はより凄惨な傷だらけだった。破れた服越しに除く肌は青黒く腫れ、背中は大きく切れているのか、抱きかかえた腕がぐっしょりと鮮血で染まる。

 

 ぞわっと感情が湧いた。視界がやや狭くなり、胸から頭にノイズが駆ける。

 ユズリアの頬についた土をそっと拭う。

 流されるな。落ち着け。自分に言い聞かせるようにひたすら反復する。

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。やや軽くなった頭の奥底に感情を押し込んで強引に『固定』する。瞬間、嘘かのように脳内を駆け巡るノイズが消え去った。まるで、頭から水を被ったように思考がすーっと流れる。


 ユズリアを木に預け、ゆっくりと立ち上がる。

 その男は退屈そうに手元で謎の骨をいじっていた。


「つまらん劇は終わったかね?」


 さらりと流れる白銀の髪が炎の色を反射する。


「……お前がやったのか?」


「このローリック・ティンジャー様に向かってお前とは、頭が高いぞ平民? それ以外に何がある」


「そうか」


 有無を言わさず、ローリックの靴と地面を『固定』。

 ユズリアが敗れるほどの相手だ。先手必勝に限る。余計な感情が無いおかげで、視野も広い。ここには、ローリック以外に隠れている人物はいなそうだ。


「終わりだ。お前はもう動けない。貴族だか何だか知らないが、しかるべきところに連れて行く」


 ローリックは謎の骨を手元で弄び、自分の足元と俺を交互に見比べた。


「ほう……黒髪、黒目でこの魔法。さては〝釘づけ〟だな? なるほど、名前しか聞いたことが無かったが、これは『固定』から来る異名だったか」


「……どうして、俺の魔法を知っている」


 俺はこいつに会ったことがない。他人からの又聞きで俺の異名を知っていても、『固定』のことは誰も知らないはずだ。巷では、よく分からない謎の魔法ということになっている。なぜ、この男は『固定』を知っているんだ?


「さて、すぐに答え合わせできよう」


 ローリックが瞬きした瞬間、迷わず『固定』。

 きな臭いやつだ。なるべく、最短で動きを封じる。


「おいおい、平民というのは会話もできないのか? これでは魔物と変わらんな」


 ローリックの持つ骨が光を纏って教典に変形する。

 教典と手を『固定』。おそらく、召喚系魔法発動の武具だ。教典系の武具は対象のページを開かなければ発動は出来ない。教典と手を『固定』してしまえば、ページはめくれないはずだ。

 つまり、ローリックは現在開かれているページに記述されているものしか召喚出来ない。


「無駄だ。コイツさえ召喚出来れば問題ない」


 教典が黒紫に光を放つ。ローリックの目の前に小さな魔方陣が展開され、そこから一人の男性が召喚される。

 なぜか胸が騒いだ。

 召喚された男は眼をくりぬかれ、肌はどこか黒ずんでいる。黒い髪も相まって、随分と不気味な雰囲気だ。意識は無いようで、召喚された状態からピクリとも動かない。


「おい、これを〝解除〟しろ」


 微かな疑問が芽生える。

 今、確かに〝解除〟と言った。『解除魔法』のことだろうか。

 

 召喚された男性が動きだす。ゆっくりと腕を持ち上げる。

 刹那、俺は自分の目を疑った。

 目を開けるローリック。その場で足を軽く上げて見せた。しかし、俺は『固定』が解かれたことよりも、その男性から目が離せない。


 持ち上げた手で二本指を立て、横に切る動き。その瞬間、ローリックにかけた『固定』が効力を失った。

 何故だ……? どうして、この男が使えるんだ……!?


 もう一度、ローリックの瞼を『固定』。


「やれやれ、しつこい平民だな。おい、使え」


 やっぱり、二本指を横に流す動作。間違いない。何度もこの目で見てきた動き。

 これはサナの使う『解除』だ。

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