【7】スローライフの道のりは険しい

 窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえた。

 朝陽に瞼の裏がちかちかと瞬く。

 窓掛けカーテンも買わないとなぁ。そんなことを思いながら目が覚める。

 伸びをしようと布団を剥ぐと、左腕にずしっとした重さと柔らかさを感じた。横に目を向けると俺の腕にしがみついて小さな寝息を立てるユズリアの姿。普段の固い冒険者服ではなく、薄水色の襯衣に丈の短い膝上のショートパンツ。

 目のやり場に若干戸惑い、天を仰いで昨日の晩を思い返した。


「へい、そこのお嬢さん、どうして同じ寝室に入って来るんだい?」


「寝るからに決まってるでしょ?」


 なるほど、ユズリアはこっちの寝室を使いたいわけだ。間取りも内装も二部屋一緒につくったというのに、彼女は風水でも気にするタイプなのだろうか。


「そっか、じゃあ、俺は向こうの寝室で寝るわ。おやすみ」


 そう言って、なるべく彼女の薄着に目を向けないように部屋を出て、隣の寝室に入った。


「……へい、お嬢さん、だからどうして付いてくるんだい?」


「寝ないの?」


 ユズリアは不思議そうに首を傾げる。

 いや、寝るともさ。そりゃ、今日も疲れたわけだし、さっさと休息を取りたいよ?


「……まさか、同じ部屋で寝るつもりなのか?」


「当たり前じゃない」


 枕を両手で抱え、ユズリアはベッドに身を投げ出す。


「何のために二部屋用意したと思ってるんだよ」


「何のためにベッドを大きくつくったのよ」


 そんな言い合いの後、結局互いに触れないという妥協で俺が折れることになった。ただでさえ、脅しの材料を握られているというのに、既成事実までつくられようものなら、本当に逃げ場を無くしてしまう。

 幸い、男が夢に見るようなことにならないで済んだことに、深い息をつく。


 それにしても、互いに触れないと言ったのに、このお嬢さまは寝相が悪いらしい。

 小鳥の鳴き声が再び窓の外から聞こえた。同時に硝子ガラスを叩くコツンという音。


「ん? 鳥……?」


 天を仰いだまま、疑問が頭をよぎった。普通の小鳥ごときが魔素の森を抜けられるはずもない。あるとすれば、鳥型魔物だが、明らかに魔物の気配は感じられない。そこまで考えて、ようやく窓の外に目を向けた。


「あれは、魔法鳥マジックバード?」


 透き通る緑黄色の鳥が窓を小さな嘴で叩いていた。そして、その口元には手紙のようなものが咥えられている。

 魔法鳥は世界中で一般的に用いられる魔法で、主に小さな荷物などの郵送などに使われる魔法でつくられた鳥だ。対象の痕跡となるものを触媒にすることで、対象がどこにいようとも荷物を送り届けることが出来る。

 窓を開けると、魔法鳥は俺の手のひらに乗り、小さく鳴く。嘴に咥えられていた手紙を取ると、役目を終えたのか、スーッと空気に溶けるように消えていった。


「俺宛てか……」


 不思議に思い、手紙を開く。一行目を見て、すぐに差出人を察した。


『愚鈍な兄へ

 雪舞鳥スノーバードが寒さを告げる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 先日はお手紙ありがとうございます。

 内容はさておき、私は後一か月で帝立魔法専門院を卒業します。

 今、どんな状況なのか近況報告を今すぐ送ってください。

 私の触媒を付属しておきます』


 文面からでは読み取りにくいが、どうやら妹は俺の行動にご立腹の様子だ。長い兄としての感覚がそう告げている。


「へー、ロアって妹さんがいたのね」


 気が付くと、いつの間にか起きていたユズリアが肩越しに手紙を覗き込んでいた。


「お、おはよう」


「うん、おはよう!」


 嫣然とほほ笑むユズリア。うん、悪くない。素直に癒されておくことにした。


「それにしても帝立魔法専門院か。貴族だろうが、才能が無ければ入学できないって噂のとんでもない名門じゃない」


「あいつは才能もあるし、努力家だからな。昔から通いたがってたし、俺が無理矢理入学させたんだ」


 名門なだけあって、学費はとんでもない金額だった。しかし、そんなこと大した問題ではない。

 母親が病で無くなり、父親の遺した借金を知ってから、妹は幼いながら夢を語らなくなった。あんなにも目を輝かせて話していた帝立魔法専門院のことも一切、口に出さなくなったのをよく覚えている。

 そんな妹を見て、俺は冒険者になる決意をした。パンプフォール国についてこようとする妹を半強制的に帝立魔法専門院に入学させ、一人で上京。今思えば、この決断が正しかったのか分からない。けれど、俺は妹には我慢や苦悩をしてほしくなかった。

 一家の汚点である父親の尻ぬぐいは、俺だけで十分だ。


 それにしても、もう卒業なのか。十年という月日は長い。

 帝立魔法専門院を卒業できれば、将来を約束されたようなものだ。国仕えの魔法師団は入団試験をパスで入団出来るし、そうでなくても学院の教師や、魔法研究所など、安定した職場はいくらでもある。

 そうして、いつか良い人を見つけて兄よりも早く結婚するのだろう。いかん、泣けてきた。


 朝食はユズリアが用意してくれるらしい。

 その間に妹へ返しの手紙を綴る。無事、魔素の森に噂の聖域を見つけたこと。そこに住む決意をしたこと。そして、一応ユズリアの存在も書き記しておいた。


 朝食を取った後、泉の前に座り込み作業を始める。やることもなくついてきたユズリアが横でまじまじと泉を覗き込む。


「ねえ、これ何をやっているの?」


 ユズリアの問いかけに、俺は昨晩、泉の中に沈めておいた廃棄の魔石を取り出す。魔石はぼんやりと光を放っている。


「捨てる予定だった火の魔石を試しに泉に入れておいたんだけど、どうやら効力が上書きされたらしい」


「この光り方って、もしかして聖の魔石?」


「多分な。泉の浄化作用が魔石に取り込まれたみたいだ」


 これを聖域の周囲に撒いておけば、一層魔物が近寄りがたくなるだろう。ここ数日、魔物の気配は遠くにしか感じていないが、念には念を入れてというやつだ。


 聖の魔石を聖域と魔素の森の境界に置いて、『固定』をかけることで風で飛ばされないようにする。これを一周ぐるっと等間隔に設置すれば、目に見えない魔物用の防壁の完成だ。景観を損なわない素晴らしい案なのではないだろうか。景観といっても、魔素の森の薄暗い景色だが。

 最後の一つを設置し終え、昼食のために家へ戻ろうとした時、不意に後ろを鴨の子のようについてきていたユズリアが息をひそめた。


「――誰かいる」


 彼女の耳打ちで自然に二本指を立てた。そして、遅れること数秒、ようやく俺の気配察知に何かが引っかかった。


「魔物じゃなさそうだ」


 ユズリアが小さく頷く。どうやら、気配察知に関しては俺より彼女の方が上手らしい。


「……どうする?」


 ユズリアは腰に下げた鞘から細剣を引き抜いた。彼女の表情に曇りは無い。流石はS級冒険者だ。

 俺としても、自宅の近くに不確定要素を野放しにすることは出来ない。返事の代わりに頷いて歩を進める。さっきまで真後ろをついてきた彼女だったが、今は斜め後ろをついてきている。いざとなれば、瞬時に動けるようにだろう。これなら、連携についてはとやかく言わなくても大丈夫そうだ。互いに全部でないにしろ、使用する魔法は知っているわけだし。

 気配の方向に進むが、相手は動きが無い。こちらの存在に気が付いていないのか、その余裕が無いのか。どちらにせよ、魔素の森の奥地を彷徨うくらいだ。同業と見ていいだろう。

 草木をかき分け、気配の元をたどる。前方に人影のようなものが見えた。足を止め、ユズリアにも手で合図する。


「おい! そこの人!」


 ひとまず、声を投げかけてみる。目を凝らすと、人影はどうやら地面に横たわっているようだ。しかし、返事は来ない。


「ねえ、あれって石化してない……?」


 ユズリアが人影の足元を指さす。うっすらと灰色に染まる足先が見えた。


「今からそっち行くけど、敵意は無いからな!」


 念を押して近づく。距離が縮まるにつれて、状況が分かって来た。

 随分小柄な少女で、ぼわっとした大きな二股の白茶尾に、小金色の髪の上に生える茶黄色の狐耳。特徴的な白羽衣の装束は月狐げっこ族のものだろう。右足が石化し、気絶してしまっているようだった。


「ユズリア、周囲の警戒を頼む」


「分かったわ」


 おそらく、魔物との戦闘で石化の魔法を食らい、這ってここまで逃げてきたところで気絶してしまったのだろう。

 石化はとてつもない激痛を伴う。聖水が手元に無ければ、『解除魔法』でも治すことは不可能。さらに、石化した部分を破壊されてしまえば、二度と元に戻ることは無い。冒険者にとって、最も嫌われる状態異常の一種だ。

 少女を抱きかかえ、念のため石化したところと生肌の境目に『固定』をかける。石化した部位は石判定だろうから、『固定』も作用するはずだ。

 ユズリアに先行して経路を確保してもらい、聖域まで戻る。


 『固定』を解除して泉に少女の足を浸けると、瞬く間に石化していた足が色味を取り戻していく。伴って、苦痛に歪んでいた表情も和らいだようだ。


「よかった。ちゃんと効いたわね」


「ああ、やっぱりこの泉は相当な浄化効果持ちだ。助かったよ」


 目を覚まさない少女を予定外の空き部屋になった寝室に寝かせ、ようやく一息つく。ひとまず、少女が起きたら色々聞くとしよう。

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