ショート小説

一宇 桂歌

第2話

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 ちょっと変な人がいた。

 ちょび髭で、今どき時代遅れの分厚いワイン瓶の底のようなメガネをかけた、白衣姿の初老がこの建物の持ち主で、代表者らしい。


 老人を募集している看板を見て、私たちは疑問に思った。

 一見、病院にも、老人ホームにも見えない。おそらく全く新しいタイプの老人ホームなんじゃないかと思った。


 私と一歳違いのタネさんは、ここで老人などは見たことないから違うだろうと言った。

 三つ下のヨネさんは、以前、老人が入って行くのを見たことがあるが、出てくるのは若い人ばかりだから、おそらく終末期医療なんだろうと言った。


 タネさんは、すでに歩行が困難で車椅子なのだが、私は補助の杖があれば歩ける。ヨネさんは、ゆっくりなら、なんとか自力で歩ける。私たちは、いたわりあいながら、五十年の旧知の間柄だ。


 しかしこの頃は、三人で集まると、やたらとお迎えの話が多い。でも、誰が一番先にあの世に行っても、私たちはかたい絆で結ばれているから、葬式はきっと温かいお式だわね、と話し合うのがお決まりだ。

 いくら100年時代だといわれようとも、この錆びた身体じゃこの先あとどのくらい長生きするかなんてたかが知れてるし、年金だけじゃ生活できないし、どうせ往くのなら自分が一番先に死にたい、と言い合う。

 それは、葬式時に残った二人に囲まれて、見守られながら旅立ついう温かさがあるからだ。


 それにしてもあの建物は、何なのだろう。

 老人募集とは、私たちに関係することなのか?

 そこで、さっそく私たちは確かめることにした。

 のらりくらりと時間はかかったものの、ようやく建物の前に着いたときに詳細を初めて知った。


 ここは、超最先端治療をしていて、あの男はノーベル賞を授与した医学博士だと。そして年老いた老人を一気に20代にまで若返させることが「無料」で出来ると明記され、定員は残りあとだと。


 半ば実験だとしても、若返ることができる——。

 その瞬間、私たちは目を合わせるやいなや、我こそはと、その用紙を奪いあった。

 一番最初に用紙を手につかんだのはタネさんだ。こんなとき、車いすは早かった。


「私にちょうだいよ。私は車椅子なんだから」

「だめよ、私は車椅子よりも遅く、何処へ行くのにも倍の時間がかかるの。それにあんたは補助金が出てるでしょ。私にはないんだから。だから私に頂戴」

「何言ってるの、この私よ。補助の杖が必要なこの膝は、痛くてたまらないの。痛みを押して歩いている私の気持ちなんて、あんたたちにはわからないんだから」


 ——人生をもう一度やり直せる。無料で若さを手に入れたい。


 その思いは死闘のような争いとなり、最後の申込用紙を奪い合った。

 「何すんのよ」「ちょっとやめなさいよ」「痛いっ」

 髪はぐちゃぐちゃに、顔に引っ掻き傷、洋服は首周りが伸びきりストッキングは穴があいていた。

 だか、ふと気がつくと、あんなに動かなかったからだが、若かかれしの如く、自由に動いていた。そして、肝心の申込用紙はというと、無惨にもビリビリに破れていた。


 あの博士の真の研究は、怒りから来る、からだのパワーを引き出す研究だということだった。

 私たちは怒りによってからだは動くのだという事実を知ったが、その代償に用紙も、五十年間の友情も失った。

「葬式の時には、いい友達に囲まれていて、幸せな人生だったね」と語り合ったあの日は何だったのだろう。もし、先に死んだら何を言われるか、わかりゃしない。

 こうなったらまだ死にたくない。死ぬのなら、二人よりも後に、一番最後に死にたい。


 死んでなるものか。そう、強く願った。

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ショート小説 一宇 桂歌 @mochidaira2000

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