三栖丸博士は夢を追い掛ける外道のようだ。シンギュラリティの研究をしていたが危険な思想から学会を追放されたらしい……マジもんのヤベェ奴である。

「シンギュラリティ……という言葉を聞いたことがあるかしらぁ?」


「……なんじゃそれは?」


「聞いたことがないわね」


 楪と真由美が雪芽の発した聞き覚えのない単語に疑問符を浮かべる。


「シンギュラリティとは、技術的特異点を示す言葉ですね。自律的な人工知能が自己フィードバックによる改良を繰り返すことによって人間を上回る知性が誕生するという仮説です」


「あら? 幸成さんって意外に博識なのね?」


「ちょっと前に暇潰しでネットサーフィンをしていた時に技術的特異点シンギュラリティを扱った動画がありまして……」


「ああ……そういうことなのね」

 「感心して損したわ」とあからさまにがっかりする真由美に、幸成は居心地が悪そうに肩を竦める。


「ご存知の通りぃ、雪女という妖怪は排他的な性質を持っていますわぁ。奥羽山脈の一年中吹雪の吹き荒れる気象の概念を嘲笑うような特異点の如き地に長きに亘って隠れ住んでぇ、狭いコミュニティだけで暮らしてきたのですぅ。……昔は各地に潜み暮らしていたみたいですけどぉ、おいたが過ぎて鬼斬に狙われたみたいですわねぇ。まぁ、自業自得ですけどねぇ〜。各地に雪女の伝承が残っているのはぁ、奥羽山脈の永久吹雪地帯に隠れ潜む以前にぃ、各地に雪女が暮らしていたことの証明と言えるでしょうねぇ」


「……確かに以前には雪女の噂も聞いたことがあるが、減ってきていたからのぉ。雪女の伝承といえば物騒なものが多い。鬼斬に狙われたのも当然じゃな」


「ある時、その永久吹雪地帯に一人の男がやってきたそうですわぁ。永久吹雪地帯は今や雪女達の聖域――当然ながらぁ、男をどうするか雪女達の間で議論が行われましたぁ。『すぐにでも殺してしまった方がいい』という過激派と、『すぐに出ていくなら見逃すべき』という穏健派、後はぁ、『ことの成り行きを見守った上で判断を決めるべき』という経過観察派ですわねぇ。結局、過激派を穏健派と経過観察派が抑え込みぃ、男の動向を見守ることになりましたぁ。そしてぇ、その対応を任されることになったのがぁ、私の母――雪花せっか美冬みふゆだったのですわぁ」


 「しかし、雪女達の予想に反して男はなかなか奥羽山脈の永久吹雪地帯を去らなかった」と雪芽は続ける。


「なかなか永久吹雪地帯を去らない男に雪女達も苛立ちを募らせていきましたわぁ。そしてぇ、こんな植物も生えないような厳しい地に滞在する意図があるとすればぁ、この地の秘密を解き明かしにきたのかもしれない、或いはもっと踏み後で雪女の存在を知っていて調査をしに来たのかもしれないと疑ったのですわぁ。そしてぇ、男の真意を確かめるためにぃ、母が代表して父の前に姿を現したのですぅ」


 「この地にいかような理由で足を踏み入れた」と恐ろしい目をした白ずくめの長い黒髪の美女に問われた男は、滞在していた雪洞かまくらから顔を出し、白息をぽぉっと吐き出した。


『この地に人が住んでいたのか? 意外だが、まあ、その方が好都合だな。私は三栖丸、我が夢を叶えるための研究所を建てる場所を探して旅をしている。この地は素晴らしい、雪が沢山ある。それに寒い。まさに、理想の土地だ』


『この地は我々の土地だ。今すぐにこの地を去るならば見逃してやろう。……しかし、このまま留まるというのであれば私も容赦はしない』


 美冬は口から吹雪を吐き出して男を氷漬けにしようとした。

 そんな美冬に、三栖丸と名乗った男は怪訝そうな顔をしたが……何か合点がいったのか、美冬の顔をまじまじと見つめた。


『ふむ、なるほどな。麓の連中が言っていた雪女とやらか。てっきり私の夢を邪魔するための虚言かと思ったが事実だったか。……で、どうする? 俺を殺すか?』


 雪女と知っても顔色一つ変えず、寧ろにじり寄ってくる男に、美冬は恐怖を感じて後退る。


『できれば殺さないでもらえると助かる。私はまだ夢を叶えていないからな』


『……貴方の夢って?』


『ふむ……雪女よ、お前は知っているか? 技術的特異点シンギュラリティという言葉を』


 聞き慣れぬ言葉に美冬が首を傾げると、男は頬に手を当ててほんの少し考える素振りをした。


『お前達の尺度では、我々人間とお前達雪女は違う種族なのだろう? だが、私にとっては些細な違いでしかない。同じ人間にも黒い肌の人間や白い肌の人間がいる……それと同じだ。我々も、そして推察するにお前達雪女も同様に物事を考える力を有する。思考能力を持つという点で我々もお前達も本質的な部分は同じだ。……それを前提とした上で少し講義をしてやろう。我々人類は長い時を掛けて科学という発明を生み出した。素晴らしい発明だ。そして、その発明により生み出されたものの一つが人工知能と呼ばれるものだ。私はその人工知能に魅せられて大学の門戸を叩き、大学院を経て研究者となった。私の研究課題こそが、先程述べた技術的特異点シンギュラリティだ』


『それで、技術的特異点シンギュラリティとは結局何なのかしら?』


『……分からん』


『莫迦にしているのかしら?』


技術的特異点シンギュラリティに到達することによって何が起こるかは分からない。私の研究のテーマとは、技術的特異点シンギュラリティに到達することで人工的に作られた知能がどのような挙動を示すかということだ。或いは、技術的特異点シンギュラリティに到達することで人間という種がどのように変化するかという見方もあるかもしれない。寧ろ、それが分かれば私の研究は無意味ということになる。技術的特異点シンギュラリティとは科学技術が急速に進化・変化することで人間の生活も決定的に変化する未来を指す言葉だ。発明家にして思想家のレイ・カーツワイルによって提唱された。この特異点とは、技術的成長が指数関数的に続く中で人工知能が人間の知能を大幅に凌駕する時点のことであり、その後、人工知能は予測不可能な形で進化をしていくという。私はその予測不可能なブラックボックスを明らかにしたいというだけなのだ。だが! 変化を嫌う旧態依然の連中は私の研究を危険視して学会から追放した。全くもって愚かな連中だ。幸い、私の力を必要とする企業は数多あるから心配はないがね。連中は技術的特異点シンギュラリティに興味がないのだろうが、私はこれでも人工知能の研究ではずば抜けた成果を挙げていたから、その技術には興味があったのだろう。私と連中はお互いに利用するだけの間柄だ。……さて、話を戻すが、私は技術的特異点シンギュラリティの研究のためにこの地に来た。コンピュータにとって熱は大敵だ。しかし、この地には雪や冷気がある。上手くこれを活用できれば問題は解決する筈だ。私は雪女、君達の生活を害するつもりはない。……まあ、研究所を作るにあたり業者を招き入れることにはなるが、彼らに口外しないように誓わせる。連中が口外すれば凍らせてしまえば良いだろう。そちらにとってはメリットなどない話だが、お力を貸して頂けると嬉しい。……力を貸して頂けないのであればこの地を去ろう。勿論、お前達のことは口外しないと約束する』


 男の狂気を孕んだ言葉に、その爛々と光り輝く瞳に恐怖を感じて男の頼みを断れば良かった。

 しかし、美冬の眼にはあろうことか「夢のためなら命すら賭ける」男の姿が気高く映ってしまったのだ。


 箱入り娘だったのも影響していたのか、美冬は男の夢を叶えたいと思った。その夢が狂気に他ならないことに目を背け、美冬は仲間の雪女達に協力を求めた。

 必死に頭を下げる美冬に根負けした雪女達はあろうことか許可を出してしまい、研究所の設立が決まってしまった。


 男――三栖丸みすまる零悟れいごと高校時代から付き合いのあるという男が率いる土木建設業者は口が硬く、誰一人として雪女のことを口外することは無かった。とはいえ、死者がいなかったという訳ではない。

 零悟の希望を叶える巨大な地下研究所の建設は豪雪地帯であることも相まって困難を極め、落盤事故などで死傷者を出している。彼らは奥羽山脈の永久吹雪地帯での遭難者として処理されたようだ。


 研究所設立まで五年の月日が流れた。その間、共に過ごしていた零悟と美冬――男女が揃っていて何もないということもなく、二年が経つ頃に二人は男女の仲となっていた。

 そして、子宝にも恵まれた。美冬はその生まれた子供に雪芽と名付けた。


 やがて研究所は完成し、零悟は幼い雪芽を抱える美冬に見送られながら研究所の中へと姿を消し……そして、二度と戻ってくることは無かった。

 「愛するあの人がいつか帰ってきてくれる」……信じて待ち続ける母親の姿が、幼き日の雪芽にどのように映ったかは想像に難くない。


「……最低の屑野郎ね!」


「真由美、言葉が荒れておるぞ。……だが、妾も同意見じゃ。夢と家族……両立する道は本当に無かったというのか?」


「あれは夢を追いかける外道よぉ。三栖丸博士の友人だというあの人だってぇ、『アイツに奥さんができるなんて聞いた時にはびっくりしたぜ』って言っていたくらいなのぉ」


「……彼は果たして夢を叶えられたのでしょうか?」


「さぁねぇ。案外もうのたれ死んでいたりしてねぇ」

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