クラスメイトside1. 前編「白紙の紙片を狙う者」。

 ――そこは、どこかの図書館だったのだろうか?


 無数の本棚が並ぶその場所の一角に少年は立っていた。

 手には古びた紙片が一枚。どこかの本から破ったのだろうか? 大きさはハードカバーの本の頁と丁度同じくらいだ。

 しかし、不思議なことに、そこには何も書かれていなかった。


 まるで、これからどんな世界でも筆一本で描いていけるような白紙の頁。しかし、今はただの紙片に過ぎない筈のその紙に世界を変えるほどの力が宿っていることを夢の主は知っていた。


 夢の主は紙片へと手を伸ばす……が、それよりも早く世界にヒビが生じた。パキパキと音を立てて目の前が崩れ去る。

 夢の主は必死に手を伸ばす。現実を――無縫の死を受け入れられないと言わんばかりに……その手の先にあったのは、無縫なのか? それとも、白紙の頁なのだろうか?



 無縫がフィーネリアとドルグエスを乗せた車でアクセルを全開にして「ヒャッハー!」とスピード狂みたく車を走らせた日から二日後、ルーグラン王国の王宮内――異世界に召喚された者達に与えられた部屋の一室には暗く沈んだ表情で未だ目を覚まさない親友の姿を見守る花凛の姿があった。


 デモニック・ネメシスを討伐後に扉は開き、転送放置なるものが置かれた部屋に辿り着いた春翔達は転送装置を使ってなんとか一層に戻ることができた。

 無縫が落下していく姿を目撃した美雪は取り乱し、錯乱し、絶叫し……それはそれは散々な有り様だった。まあ、それも致し方ないことだろうと、美雪の気持ちを誰よりも理解していた花凛は思う。


 現実を受け入れられなかったのか、美雪はその夜に眠りにつき、現在に至るまで一度も目を覚ましていない。

 聖女という強力な回復職を失ったこと、前人未到の領域に到達したという戦果は得ていること、これ以上先の階層を攻略するとなれば更なる準備が必要となること、そして何より無縫という死者が出てしまったこと。様々な理由から一度ルーグラン王国へと戻るべきだとガルフォールが判断し、花凛達はルーグラン王国へと戻ってきたのである。


 帰還を果たして無縫の死亡が伝えられた時、王国側の人間は誰もが愕然としたものの、それが無能の無縫と知ると安堵の吐息を漏らした。……まあ、凡そ予想通りの反応である。

 デモニック・ネメシス相手に無縫が奮戦し、それによって勇者パーティは九死に一生を得た――王族や教会の上層部にはガルフォールの口から彼の名誉挽回を願った報告がなされた。


 その結果、王族や教会の上層部は無縫が決して無能などではなかったこと、スキルの性質を誰よりも熟知し凡人なりに足掻いて成果を上げたことを理解して多少評価を上方修正したが、それでも珈琲師は勇者や聖女と違って特別な天職ではない。

 現時点ではたまたま勇者達よりも強かっただけで、勇者よりは価値が低いと判断したのだろう。デモニック・ネメシスと戦った経験がない者達にその強さが上手く伝わらなかったというのも理由の一つかもしれない。

 無縫に自分達の希望――勇者達を救うために奮戦をしてくれたことに感謝しても、それ以上のことは無かった。……まあ、要するに無縫が無能であるという評価を進んで覆そうと動くことは無かったのである。


 寧ろ、王族やパグスウェルはまだ分別があった方であると言えるかもしれない。


 そもそも、勇者一行とは偉大なる女神であるエーデルワイスが遣わした存在である。彼らが死ぬことなど決してあってはならないことである。果たして迷宮からすら生還できないものが、魔族相手に勝てるのかと不安が広まっては困るのである。

 勇者一行の強さがまやかしであるという事実は教会や神が侵攻するべきに値する存在なのかという疑惑を生じさせるに足るものである。


 ――神の使徒たる勇者一行は無敵でなければならないのだ。そうでなければ、信仰が揺らいでしまい、教会の神の権威が損なわれることになりかねない。


 王宮で働く使用人達や一部の教会関係者の中には悪し様に無縫を罵る者までいた。そこには勇者一行対する勝手な期待や、無縫の死が信仰を汚す行為であるという考えがあったのだろう。……勝手に召喚して、死に追いやっておいて随分と酷い言い草である。

 それでも流石に公の場で発言するような分別のない輩はいなかったようだが、それでも罵倒の声が全く聞こえない訳ではない。


 「死んだのが無能で本当に良かった」とか、「神の使徒でありながら役立たずなど死んで当然だ」とか、それはもう好き放題に貶していた。……まあ、当の本人はラジオ聴きながら楽しそうに車運転しているんだけどね? 勿論、無免許ではなくしっかりと惣之助の手配で教習所に通って特別待遇で免許は所得しているよ。


 「己は前線に出ることなく、高みの見物ムーブをかまして安全圏から好き勝手言う」という、無縫が知れば完全に表情が抜け落ちた顔で殺戮ショーを繰り広げたであろう彼ら(無縫にとっては最も嫌いな人種である)の死人に鞭を打つような行為や言葉に花凛は激情に駆られて何度も手を出しそうになった。……一方、無縫となんだかんだで仲が良さそうだった波菜は、花凛とは違ってそのような噂を聞いても全く感情を動かされていないようで……それが逆に不気味でもあった。


 実際に正義感の強い春翔が真っ先に怒らなければ飛び掛かっていてもおかしくなかっただろう。

 春翔が激しく抗議したことで国王や教会も悪い印象を持たれては流石にまずいと判断したのか、無縫を罵った人物達は処分を受けたようだが、その結果、春翔は無能にも心を砕く優しい勇者であると噂が広まっただけで無縫に対する評価に変化が生じた訳では無かった。寧ろ表面に出なくなっただけで、無縫に対する評価は更に下がったといっても過言ではない。


 あの時、自分達を救ったのは紛れもなく勇者も歯が立たなかった化け物をたった一人で押し留め、トドメを刺した無縫だった。

 そんな彼を努力を嘲笑うように、恩を仇で返すように死に追いやったのはクラスメイトの誰かが放った流れ弾だったのだ。……まあ、あれだけの混戦でクラスメイトが放った流れ弾が無縫にトドメを刺したという状況を追えていた者は二割もいなかった訳だが。


 状況を追えていたクラスメイト達の意思は「万一自分の魔法だったら」という恐怖感からか深く追及しない方針でほとんど一致していた。そんな訳で、無縫が自分で何かをして誤爆した……或いはヘマをしてデモニック・ネメシスの攻撃を受けて落下したと思い込むようにしているらしい。


 しかし、状況を追えていた一握りの人間の一人――ガルフォールはあの時の経緯を明らかにするため生徒達に事情聴取をする必要があると考えていた。あれだけ動けていた無縫が最後の最後に攻撃を受けるなどというヘマを踏むとは到底思えなかったこともある。それに、仮に過失だったとしたら真相を突き止めた上で心のケアに努めた方が良いと考えたのも理由だった。……まあ、波菜には「甘っちょろい考えだね。僕なら公開処刑するけどね、次に自分を殺すかもしれない殺人経験のある人間と一緒になんていられないから」と内心鼻で笑われていたが。それを言うなら、人殺し経験もあるお前もアウトじゃないか、とか言ってはならない。


 しかし、そのガルフォールの願いは叶わなかった。パグスウェルとイリスフィア・・・・・・が生徒達への詮索を禁止したからだ。ガルフォールは食い下がったが、国王にまで禁じられては堪えるしかなかった。



 部屋まで戻ってきたイリスフィアは侍女に部屋の外に出るように促すと、「ふぅ……」と息を吐いた。

 その表情は恐怖により真っ青に染まっている。


「……本当に、これで良かったのですね」


「ああ、そうだね。これで、無縫君の死は疑われないだろう。……ガルフォールが調査を進めてしまえば真実に到達してしまうかもしれない。そんな可能性が億が一でもあるなら潰すべきだろう?」


 満月を背に、窓に座っていた人影はイリスフィアの目の前に降り立つ。

 それは、感情の抜け落ちた表情をしている波菜だった。王子様然として、誰からも好かれていたあの優しい笑顔の貴公子は目の前にはいない。


「僕はね、思うんだ。異世界人は生きるに値しないゴミであると! 人権などありはしない、踏み潰されて然るべき存在であると! 身勝手な理由で召喚し、大切なものを奪い、家族から切り離し、奴隷のように酷使して……その上で利益だけを掠め取るお前達のような存在が。ああ、殺したい、殺したいさ。今すぐにでも君達全員を血祭りにあげたい! だけどね、無縫君がね……僕を地獄から救ってくれた彼がね、ダメだって言うんだ。罪には然るべき罰を与えなければならない……殺すなら殺すに足る証拠が必要だってね。だから、その証拠を集めなければならない。引き続き、君には協力を頼むよ、第二王女殿下。ああ、分かっていると思うけど――逆らえば君の心臓に掛けた呪いで君は死ぬ。僕や無縫君の不利益に働くことを喋っても死ぬ」


 波菜はキラッキラの笑顔でイリスフィアの胸元を……心臓の上をポンポンと叩いた。


「何故……なんですか、貴女は何故、そこまで」


 イリスフィアには分からなかった。何故、そこまで波菜が異世界人を恨むのかを。

 元の世界に戻れなくなった他のクラスメイト達とは全く違う狂気が波菜にはあるように感じたのだ。


「……そうだね。そうだ……僕の話はきっと君を傷つけ、惑わせ、苦しませるだろう。いいよ、話してあげよう。僕が味わってきた苦しみを、何故僕が異世界人を憎むかを……その全てを話してあげよう。ああ、愉しみだよ。君が信仰するもの全てがまやかしであると悟り、絶望するその瞬間がね」

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