マネーレンダーズ
高松 庚栄
第一章・男の呼び名は“ダブル”
01money
ここは一見、ただの酒場に見えたが、中身は雄臭いガチムチヤロウ共が群がって、違法賭博や薬物の売り買いなどが行われている場所であった。
というか、酒場と云うには、酒の臭いよりもタバコの臭いの方がキツく、掃除が行き届く足元は良いものの、タイルの壁や電球辺りの所は、黄色く変色してしまっていた。
ここの店主であり、オーナーであるラファイネ・ライゼンは、食器を洗いながら、店の有り様を見ては、ため息を溢している。これ見よがしにだ。あるヤロウに、見せつける為にだ。
ただ、ソイツはキースルと呼ばれる賭けトランプゲームに夢中で、気が付いちゃいない。
「うわぁ……」
自分の手札を見て、嫌な顔をするワイシャツ姿にサスペンダーが目立つ男。件のクソヤロウだが、背後に忍び寄る大男の存在には、未だ気付いていない。
対面する対戦相手は、引き攣った顔を見せ、目の前で後頭部を掻いている男に合図を送る。
しかし、男は『あーあー、もちっと待てって。持ち時間に制限は設けてねぇだろうが』と不満気に言った。
ただ、大男の店主が、フライパンを握っている事に気が付いた対戦相手は、もはや付き合いきれないと、席を立つ。
「あっ! おい! 勝手にゲームを終わらせんじゃねぇよ!!」
男が自分の負けを決め付けられたと、声を上げて、続けて立ち上がろうとしたが、そこで両肩を掴まれ、無理矢理椅子に尻を着けさせられた。
「ん?」
自分の足を見て、人影に気付いた男が、振り返ると、そこには店主ことラファイネ・ライゼン。通称、筋肉ダルマや人間壊しの大男が立っていた。
「――――!? あはは……、ご機嫌よう。マスター」
驚いた男が、一つ苦笑いを浮かべては、勢いよくその場から逃げようとするが、両肩を離さない大きな手が、それを阻止させ、同時に力を込められてしまうと、男は痛みに顔を歪ませた。
「おやおや、お客さん。知ってますか? この店は無法地帯なんですよ。殺しも賭けも麻薬も許してる。ただ一つ、タバコだけは許しちゃいねぇんだわ。意味分かる?」
「オー、イェーイ! ヘイ、ユーノー、ベリーベリーキュート!」
男が異国の言葉を真似して、そう言うと、店主はニッコリ笑顔を浮かべ、男の胸元を掴んでは、持ち上げた。
「センキュー。取り敢えず、弁明を聞こうか。ダブル」
「ベン……メイ?」
「おおっと、こっちの言葉を知らねぇんだったな。じゃあ、仕方ねぇか。このまま処罰を受けなきゃならなくなった」
そう、ライゼンがわざとらしく言うと、ダブルと呼ばれた男は、青ざめた顔を浮かべ、襟を掴む腕を引き剥がそうと抵抗を始める。
「お、おいおい! なーに、勘違いしてんだよ、ライじい。同じ国で、生まれ育ったって知ってるだろうが」
と、ダブルが必死に言えば、ライゼンは襟を自分の頭上に持ち上げ、ダブルが膝立ちしていた椅子を蹴り飛ばし、完全にダブルを持ち上げた。
「そうかい。オレは知らなねぇなぁ。テメェがどこ生まれ育ちなんか、聞きたくもねぇ。ただ、オレが四日の留守の内に、なんでこんな汚くなってんのかって事が、一番知りてぇんだ。分かる?」
「はは……。そすか」
ゆらゆらと、洗濯バサミで干された人形みたく揺れているダブルは、死んだ目を浮かべ、頭の中で『こりゃあ、ヤベーな』と、ぼんやり思った。
◇
ダブルが解放されたのは、二時間後。裏に連れてかれては、扉が閉まった瞬間に、チョークを決められ、抵抗虚しく気絶してしまっていた。
そして、目を覚ますと、裏口のゴミ置き場に捨てられており、額に『100万ダントを取りに行け』と書かれた紙が貼り付けられていたのだ。
この不条理な雇用制度に、ダブルは憤慨し、このまま飛んでやろうかとも悩んだが、店で生活をしてる為に、自分の家がない事を思い出し、舌打ちをした上で、『いつか見返してやるぜ、筋肉ダルマのクソじじい』などと、前向きな愚痴を漏らしていた。
そんなこんなで、ダブルが向かっているのは、店の金貸しの分野で世話にした一家だった。場所的には隣の区だが、幾分かは治安が良く、物価や賃金も安定してるので、取り立てリストの中では、一番の可能性があった。
「おーい。ライゼン金利だ。今日が金の返済日だぞ。おーい」
ダブルが家の前で声を張り上げ、中に言い放つが、返事は返ってこなかった。それが嫌な予感を覚えさせ、逃げられたか、居留守をしてるのかを特定する為、家の周りにある一番近い商店を訪ねた。
「まだ、やってるかい?」
ダブルは店のレジ前で、新聞広げて、タバコを吸っていた店主と思わしき髭面の中年男に訪ねた。
すると、中年男は緩慢な動作で、タバコを灰皿に押し付けては、揉み消し、新聞を折り畳んでは、レジカウンターに置いた。
「いらっしゃい。何買ってく? 酒か米か…」
中年男が気怠そうに訊くと、ダブルはニヤリと口角を上げ、カウンター前に行っては、肘をカウンターに置いた。
「いや、オタクの情報をちっとばかり買わせて貰うよ」
「情報?」
ダブルの言葉に、怪しさを覚えたのか、中年男の表情は警戒になったが、対するダブルは、軽快な態度で口を開いた。
「ああ、3の42番地のヤロウが、今どこに居るか、知ってるか?」
「……アンタ、どこのモンだよ」
中年男の表情は警戒から、完全に疑心の表情になったが、それでもダブルの信用ならない安っぽい笑顔は、変わらない。
「ん。あー、隣街の金貸し屋だよ。んで、オレがその取り立て専門のダブルス・リカット。気軽にダブルと呼んでくれ」
ダブルが自己紹介をすると、中年男の上から下を確認するかの様な目配らせが、ピタリと止んで、今一度とダブルの顔を見つめた。
「ふーん。ダブルス・リカットねぇ……。オレにはアンタが本人なのか知らねぇが、その名前はスラム街では有名だからな。まあ、信用しても良いだろう」
「おっ! なんだ、話の分かるヤツじゃねぇか! 助かるぜ!」
中年男の返事にダブルは喜ぶが、それを遮るかのように、中年男は一本の人差し指を、ダブルの顔前に立てた。
「――ただし、代わりに米を一俵、買って貰う」
「あ?」
中年男の要件に、ダブルは疑問を浮かべる。なんで、そんな事をしなくちゃならないという顔。
恐らく、この中年男の言っている米とは、店の隅の影場に積み立てられている袋の事だろう。軽く見積もって、一袋で五キロはありそうだ。
「なんだ。情報は要らないのか? こっちとしたら、金貸し屋なんかの、どこから流れてきた金を貰うより、米を買って貰ったっていう正当な売買金を貰いたいワケさ。出来るなら、関わりたくないからな」
なら、何も売らねぇよ。という中年男に、ダブルは背後にある積み立て袋を一瞥した後、自分の体調との相談をし始めた。
「ふーん。まっ、仕方ねぇな。そう言われちゃ、オレも何も言えねぇー。なら、わーったよ、米と噂を一つずつ売ってくれよ」
「あいよー」
こうして、ダブルは購入をした。米を一袋ではなく、今時となっては一俵分という聞き慣れない単位で、買ってしまったのだ。
◇
数分後、ダブルを見た子供が、『ママー! あれ見て、産まれたての子鹿みたい!』と声を上げているのを聞いて、ダブルはガクガクと震えた足のまま、引き攣った笑顔で、『悪いけど、オレは米俵の意味を知らなかった二十四の男だよ〜』などと、その子供の方を向いて、自虐ネタとして言い放つ。
すると、米俵を担いでいる見慣れない顔の男に危機感を覚えた子供の母親が、怪訝な表情を浮かべ、家の中に隠れた。
「はあぁー」
気が重いという表情。というか、物理的に重いという状況。
これにより、六十キロの米を背負って、取り立てに来る催促男が出来上がった。可笑しいかな、可笑しいかな。
「笑ってんじゃねぇー!」
大声を誰に向けてか、空に言い放つダブル。
空には、青い光景と入道雲があって、美しくて、同時にダブルの心を虚しくさせた。
「なあ、神様よ。オリャア、アンタを恨んじゃいないが、取り敢えず死んじゃくれないか?」
呟く戯言。宗教家に聞かれたら、多分即刻に打ち首だが、今となっては、それもありかも知れないと、ダブル。
虚しさも、やがてはダブルを無気力にさせて、担ぐ米俵を地面に落とさせた。
「要らねーよ、こんなもん! 誰が米なんか食うかっ! こちとら、朝はケバブ派だってのッッ!!」
大声の憤慨。今度は相手がいる。それは、地面に転がっている米俵だった。
わざわざ、何を言う事はあるまい。ただただ、虚しい、悲しい。気を抜けば泣いてしまいそうだ。あまりにも、憐れで。
そんな男の隣を、たんぽぽを片手に走り抜ける子供達。白の綿種が、ダブルのシャツに引っ付く。
「………」
それを摘み抜いて、一つ二つと睨み付けた後、勢いよく地面に叩き付けた。しかし、綿種はフワリと、ダブルの顔前に舞って、一度の風に流され、どこかへと飛んで行った。
上手くいかない時に限って、色々な失敗がある。これが今日の教訓だった。
「チッ! クソッタレが……。あー、早く終わらせて、寝よ」
意気込み溢し、ダブルは重い荷物によって脱力気味の引き下げた肩を引き連れ、本来の目的を目指す。
聞いた所によると、あの家族が家を留守にする時は必ず、家前に花を置いて出掛けるらしく、また今朝のうちに牛乳を買いに来ていたという話だった。
つまり、家前に花がないという事は、家族は家を出ていないという事であり、居留守を使っていた事が確定した。
「おーい! 二度も言わせんなー! 早く出てこいやー!」
ドアをノックしながら声を張り上げるダブル。呼び出しに返事はない。
居留守を使っているのだから、辺り前だろう。
それに今回の相手は、借金取りだ。わざわざ家を出るバカが、どこに居る。
「となれば――」
こういった場合の対処は決まっている。
居留守を使っているなら、居留守に意味をなくさせれば良い。根気強く待つような、回りくどい事はしない。
ダブルがこれからする事は、単純で簡単。
「ワンタッチ・ツーターン・スリースタート」
言いながら、ドアに手を当て、そこを的として覚え、踵を返しては数歩分だけ離れ、定めた狙いに向かって走り出すダブル。
大きな音と振動が聞こえて、走っていた子供達が立ち止まり、背後を振り返る。
そこには、安い笑顔を浮かべ、手を振ってきている男が居て、子供達は首を傾げては、顔を見合わせ、頷いてから、また駆け出した。
それを見送ったダブルは、素材が乾いた木製だったらしく、穴がガッツリ空いたドアに手を突っ込み、内側から鍵を開ける。
「おじゃましまー………」
扉を開け、さも堂々と家に入ろうとするダブル。
ただ、その動きと言葉が止まったのは、必然だった。
玄関前には、リビングがあり、古風な木の家具が揃えられていたのだが、そこには見慣れないモノがあった。
―――それは、白い顔で抱き合う三人の家族と、周りを囲むようにして、月下美人の花弁が散らばっている光景だった。
マネーレンダーズ 高松 庚栄 @emiyahana
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