第84話 完璧ゆえにもう一度


 メイド喫茶で田中の痛々しい「萌え萌えキューン」を聞いて鳥肌を立てていると、いつの間にか劇の集合時間が近づいて来ていた。


「みなさん、午後の劇も頑張ってくださいね」

「あ、ああ。田中も……その、色々と頑張れよ」

「田中ちゃん……愛莉ね、もう少し落ち着いた方がいいと思うんだ?」

「ちょ、みなさん!? なんでドン引いてるんですか!」


 俺たちは田中に見送られながらメイド喫茶から出ると、そのまま体育館へ直行する。


 そして衣装担当の女子から自分の衣装を受け取ると、再び各々の役の衣装へ着替えた。


(ま、またしても白雪姫になってしまった……)


 トイレの鏡の前で本日2回目となる自分の女装を見たが、だんだん慣れて来てしまっている自分がいて自己嫌悪が強くなる。


 まぁ、あと一回演じ終わったらもう2度と女装をすることもないんだ。我慢しろ俺。


 俺が男子トイレから出てくると、同じタイミングで隣の女子トイレから真っ黒なシルエットが……っ!


「おや? 貴方様は白雪姫ではありませんか?」


 漆黒の宮廷服を身に纏い、黒のブーツを鳴らして現れた黒騎士。

 長い剣を腰に携え、黒のマントを靡かせながら俺の方を向く。

 あまりにも美形すぎる小さくて端正な顔立ち。

 ストレートの黒髪は一つに纏めて後ろに垂らしており、前髪は掻き上げていた。

 少し濃い目の眉と、全てを見透かしているような眼差しに俺は背筋を凍らせる。


(こ、これが……黒木瑠衣の王子衣装)


 優里亜の時の白い王子の衣装とは対を成すようなデザインだった。


「ふふっ、諒太くんったら驚きすぎ」

「だって……お前の顔とスタイルがあまりにも良すぎて、そりゃ驚くだろ」


 黒木は元々腰回りや太ももがスマートだから、男装をしてもそれほど違和感がなさすぎて凄い。

 これが完璧超人——黒木瑠衣。


「ねぇ、ならもっと褒めて?」

「もっとって……欲張りだな」

「だって、諒太くんみたいなに褒められると嬉しいもん」


 黒木は小さく笑いながらそう言う。

 そういえば唇には……特別なリップをしているんだよな?

 朝の会話を思い出して、俺はつい黒木の唇を見てしまう。


「どうしたの?」

「あ、いや、その」

「もしかして諒太くん、キスを期待してる?」

「はっ!? お、俺はそんなこと!」

「そう? なら安心して? 本当のキスはしないから」

「あ、当たり前だっ!」


 優里亜の揶揄い半分のキスがイレギュラー過ぎただけであって、黒木はそんなことするはずがない。

 ない……よな?

 俺が黒木の方を見つめると、黒木は小さくウインクを返した。


「さあ、諒太くんそろそろ行こうか」

「……ああ」


 ☆☆


 体育館の演劇ステージも午後の部に入り、2回目の白雪姫が始まろうとしている。

 2回目ということもあり、最初ほどの緊張感はない。


「ちょい諒太」


 俺が舞台袖で深呼吸をしていると、背後から優里亜が声をかけて来た。


「どう? 緊張してる?」

「だ、大丈夫だ。もう2回目だし」

「そう? ならいいけど……あ、諒太あっち見て」

「ん?」


 優里亜の指差す方を見ると、反対側の舞台袖にいる海山が、こっちに向かって大きく手を振っている。


「ほんと海山は能天気というか……」

「確かにそうだけどさ、愛莉だって本当は緊張してると思うよ」

「そうか?」

「うん。だって愛莉、授業で指名された時とかいつもテンパるし」


 それは単に答えが分からないだけだと思うが。


「愛莉も瑠衣も頑張ってんだから、諒太もあと一回、頑張って来なよ」

「……あ、ああ」


 大丈夫。1回目の白雪姫はセリフも飛ばなかったし、完璧だった。

 同じようにやるだけだ。何も怖くない。


『次は2年B組の男女逆転白雪姫です』


 司会進行のアナウンスがあって、俺はステージの方を見つめる。


「優里亜……行ってくるよ」

「うん、頑張って」


 俺はステージに足を踏み入れると、真ん中まで移動する。

 1回目よりも自信があるからか、女装に慣れてしまったからか分からないが、歩き姿も様になっているように思える。


『むかし——とある王国のお城に白肌の美しい白雪姫というお姫様がいました——』


 1回目と同様に、2階の3つの照明が一挙に白雪姫である俺の方を照らした。

 最初はあれだけ気になった照明も、2回目にはあまり気にならなくなっていた。


 客の入りは1回目より圧倒的に多い。

 満席な上に立ち見している生徒もいる。


(これが黒木瑠衣効果ってやつなのか……)


 午前中に優里亜を王子にして口コミを広げた上で、午後には校内トップの人気を誇る黒木瑠衣を出す。

 そうすることでこの集客力になったってことか……こりゃダブルキャストでやりたい気持ちも分かる。


 プレッシャーが凄いけど、変に落ち着いた気分だった。

 1回目の成功で自信がついたのも大きい。


 よし……行けるぞ。


「お城で暮らす変わり映えしない毎日だけど、ワタシもいつか白馬の王子様に会いたい」


 多分1回目よりも落ち着いた口調で言えてる。

 俺は成長を感じながらも、そのまま序盤の2シーンを終えて、中盤の森のシーンに入る。


『妃から殺害を命じられた猟師は、白雪姫を森へ連れて来ました』

「ああ、なんとも可哀想な白雪姫よ……妃には貴方様が死んだとお伝えしますから、貴方様は森へお逃げください」

「はい……」


 白雪姫が森を歩き、この後は海山率いる小人たちと遭遇するシーンになる。

 俺が舞台袖に視線を送ると、海山がこくりと頷いた。


「おやおやー? その美麗な——っ」


 海山と他6人の小人がステージに上がった瞬間だった。

 プチンッという音がして、ステージにコロンコロンとプラスチックの転がる音が聞こえる。

 おそらく客席には聞こえないくらいの音ではあるが、ステージにいた全員は、その場で何が起きたのか察して目を丸くした。


「えっ……とー」


 そう——海山が着ていた真っ赤な小人の上着の、上から2番目のボタンが弾け飛んだのだ。


(な、何やってんだ海山ァァァ!!)


 前々からあまりのデカさに服が耐え切れるかは心配していたが、まさかここに来て限界を迎えるとは……。

 ただでさえデカすぎて一番上のボタンが閉まらなかったのに、二番目のボタンすら失った海山の胸元は、谷間がバッチリ見えてしまうほどに開かれてしまっている。

 普段は制服で隠されている、白肌でたぷたぷなその爆乳と、間近だからこそチラッと見える花柄で白いブラ。

 胸の谷間は血管が薄らと見えていて、非常にとてもとんでもなく半端なくドエロい。


(今日はスカートで良かった。もしズボンだった社会的に死んでいた)


 これにはさすがの海山でも顔が真っ赤になっている。それはもう、自分の服と同じくらい真っ赤に……。

 普段ならラッキースケベ大歓迎の俺だが……さすがに可哀想に思えてしまう。


(これじゃ爆乳の小人とかじゃなくて、ただの露出魔になっちまうだろ)


 観客席の方へ目を向けると、案の定動揺を隠せないようだった。


「え、あの愛莉ちゃんの服、なんかおかしくない?」

「やけに胸元がはだけてないか」

「おいあれ、生徒指導のBBAに見られたらアウトじゃね」

「えっっっっっっ」


 客席からは興奮と困惑の入り混じった声が聞こえて来る。

 なんとかしてあげたいが……劇を続けるためにはどうにもできない。


「そっ! その美麗びれいなお洋服に端正たんせいな顔立ちは白雪姫ではー? これはまさに僥倖、せっかくなので私たち小人の家で、ゆっくりしてくだされー」


 海山自身も同様のあまり完全に棒読みではあるが、それでも止めずに演じる海山に謎のプロフェッショナル味を感じる。

 そのまま例のように白雪姫ハーレムに突入するが、海山は恥ずかしさのあまり、胸元を腕で隠しながら俺の肩を揉んでいた。


「諒太……あんまり、愛莉のおっぱい見ないで」


 海山は俺に肩揉みをする際、背後から小声でそう言った。


(何を言われようが見ます。はい)


 海山の頑張りもあり、その後も白雪姫ハーレムのシーンもなんとかなった。


「それでは白雪姫様、私どもは仕事に出て参りますので、お留守番をお願いします」

「分かりました……皆さん、お気をつけて」


 俺と小人たちの掛け合いはこれで終わり、そしてシーンは終盤へ差し掛かる。


『留守番をしていた白雪姫でしたが……そこへ、彼女が生きていることを知ってしまった妃が訪ねてきます』


「ごめんください。少し怪我をしてしまってね。助けてもらえないかねえ」

「だ、大丈夫ですか?」

「ええちょっと腰をね。少し座らせて貰えれば大丈夫だよ」


 火野の演じる妃が小人ハウスに入って来た。

 そして例のように火野の演じる妃から渡された毒林檎。


(これを食ったら……あとはラストシーン)


 舞台袖の黒木は薄らと笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 心の中では何を考えているか分からないが……それでも、俺は眠ることしかできない。

 俺は再びリンゴを齧るフリをして、よろけながらベッドに横になって目を閉じた。


「くひひっ! これで白雪姫は死んだァァァッ! 我が毒林檎は世界一ィィィィ!!」


 なんか1回目とセリフ変わってないか。

 火野が演じる妃が退場していくと、入れ替わるようにブーツの足音がする。

 コツン、コツンと近づいて来る足音。


「「「「うぉおおおおおお!!」」」」」」


 客席からの重みのある歓声がステージまで届いた。

 目を閉じていても分かる存在感。

 満を持して、あの黒木瑠衣がステージに上がったのだ。


「ふっ……馬の気分に任せてこのような森へ来てしまったが、こんなところに家があるなんてね」


 リハーサルの時から見せつけていたさすがの演技力。

 黒木は完全にキャラに入り込んでいる。

 これが完璧を求め続ける黒木の演技……。


 俺は瞳を閉じながらも圧倒されてしまった。

 自分の演技と比べたら雲泥の差がある……。


(この後の演技……大丈夫、だよな)


 この後の王子と白雪姫の掛け合いが心配になって仕方ない。

 黒木瑠衣の演技力に、ついていける自信が……ない。


「おや? こんなところに美しい女性が」


 真っ暗な視界の中、グッとブーツの足音が俺に近づいて来るのが分かる。

 き、来た……。


 鼓動が早くなる。

 それは緊張というよりも、焦燥に近いものがあった。

 キスが終われば、今度は俺の演技だ。


「なに!? 呼吸をしていないっ! まずい、早く人工呼吸をっ!」


 黒木の匂いが迫って来るのが分かる。

 清涼感のある、スッキリとしたフルーツの香り。

 そして俺は少しだけ目を開けた。


 黒木は……"完璧"にキスをするフリをしていた。


 顔を近づけているが、もちろん唇は離したまま。


 客席からは阿鼻叫喚の声が上がっているが、さすがに誰もが"フリをしている"だけだと気づいているだろう。


 そう、キスしているフリ、だ。


 完璧を常に求める彼女は、こんな所で"完璧"な演技を崩すわけがない。

 彼女が目指す完璧とは、きっとそういうものなのだ。


 黒木の顔が離れていく。

 それと同時に俺は体を起こした。


「……お目覚めですか? お姫様?」


 黒木は……やはり完璧主義者だ。

 1回目の本番前に思わせぶりなことを言って来たこともあって、俺はてっきり黒木が自分の目的のために本当のキスでもして来ると思っていた。

 しかし黒木は、俺を惚れさせるという目的よりも、完璧に王子の役を演じ切ることを優先したのだ。

 一つの目的を確実に遂行する。それこそが黒木瑠衣が完璧である所以……なのかもしれない。


「お姫様、ご気分はいかがですか?」

「……っ」


 黒木の完璧な演技に圧倒されてしまう。

 だからこそ……俺は。


「……あれ」


 ベッドから起きた時、言わなければいけない自分のセリフが頭から抜けてしまっていたのだ。


 次のセリフが……全く思い出せない。


「えっ、と」


 や、やばい、早く思い出せ。俺がミスったら……黒木の完璧に傷をつけちまう!


 黒木のおかげで観客の盛り上がりが最高潮だっていうのに……俺がセリフ飛んで盛り下げる訳にはいかないだろ!


「あ、え、と……」


 ダメだ、思い出せな……っ。


 動揺のあまり、顔が険しくなったその時——だった。


「……えっ」


 急に肩を押された感覚があって、目の前の視界が真上を向いていた。

 そして——俺の視界に飛び込んで来た黒木の美顔。


「ふふ、諒太くん……っ」


 再び、黒木が俺を見下ろしていた。

 は? いや、何が起こって……。

 もしかして、2回目の……!?


「お、おい! あいつら二度目のキスかよ!?」

「嘘でしょ!?」

「午前中にはこんなのなかったよね!?」


 客席から悲鳴が上がっていたが、それが届かないくらい、俺の頭の方が混乱していた。


 黒木の唇が、徐々に俺の顔へ近づいて……っ。

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