3-3.身の程知らずの害虫
〔あ、帰っちゃうんだ……〕
残念でもあるが、その方が双方にとってはよい結果になるだろう。
天上にお住まいの高貴な方々に、この騒々しい場所は似つかわしくない。
安堵と落胆を同時に感じながら、ドアノッカー元帥はほっと胸を撫で下ろす。
だが、少女は慌てて首を振り、若者の右手に己の腕をからめた。
〔え? 女神ちゃま?〕
「いえ。帰りませんわよ! 仕方がありませんね。ここはわたくしが妥協いたしますわ! だから、帰ろうなんて言わないでください」
〔妥協しなくていいから、お兄さまと帰ってくださいっ!〕
仮面をつけていても、少女はとても美しくて愛らしい。
宝石も霞むキラキラと輝く双眸でお願いされれば、その願いを叶えたくなるのが守護者というものだ。
若者はあっさりと魔導具をしまうと、少女を連れて、重厚な外観の屋敷に続くアプローチ階段をゆっくりと登っていく。
〔うわ――っ! やばいぞ。こっちにきちゃったよぅ……〕
踊るような軽やかな足取りで、黄金に輝くふたりがこちらに近づいてくる。
ザルダーズからの招待状を受け取り、貴賓席からオークションに参加しようとしているのだから、ふたりが玄関に近寄ってくるのは当然だ。
元帥閣下は目を見開き、ゴクリと唾を飲み込む。
覚悟を決めないといけない。
ザルダーズのセキュリティを司る魔導具として、立派に己の役目を果たしてみせよう……。
(あ――っ。賓客ルートに通達。これより賓客がルートを使用される。貴賓襲来に備えよ! なお、躓きポイントに配属されている照明諸君はしっかりと段差を照らし出し、賓客が誤って転ばないよう全力でサポートするように!)
(イエッサー!)
(賓客ルートでは照射演出設定を『甘々ムーディー』にするように。レベルは……『ちょっとイタズラしちゃおうかな』だ!)
(イエッサー!)
さすがに、『え――い。押し倒しちゃえ』は、オコチャマ女神ちゃまには早すぎるだろう。刺激が強すぎる。『そろそろ手を握っちゃおうかな』は、すでにクリアしているから意味がない。と、元帥閣下は判断する。
(特等貴賓室シャンデリア少佐!)
(はい。こちら特等貴賓室シャンデリア少佐!)
(これより、接待活動を許可する!)
(……い、いえっさぁ……?)
特等貴賓室シャンデリア少佐からとまどいが伝わってくる。
オークションスタッフたちが準備している貴賓室は一番賓客室であり、特等貴賓室の使用予定はない。
(対象は特級賓客亜種三類だ。すぐに特等貴賓室に変更されるだろう。みなもそのつもりで対応するように!)
(イエッサー!)
特級賓客というコトバに、オークションハウスがにわかに活気づく。
普段使用されない魔導回路に魔力が流れ、スリープ状態だったセキュリティ照明器具が次々と起動し、本来の活動を開始する。
(メインホールシャンデリア中佐! 特等貴賓室シャンデリア少佐!)
(はっ!)
(はっ!)
(結界の硬度を百二十パーセントに強化!)
(イエッサー!)
(さらに、結界のフィルターを二百パーセント増加!)
(…………)
(…………)
少しの沈黙が流れる。
(元帥閣下!)
(なんだ? メインホールシャンデリア中佐?)
(はっ! 結界のフィルターを二百パーセント増加……でありますか?)
(そうだ)
(それですと、特等貴賓室からオークション会場はかなり見えづらくなってしまいますが?)
結界のフィルター――目眩まし――を強化すると、結界内にいる者の姿を隠せるが、その反動で結界の外側の様子を見ることが難しくなる。
そのような貴賓席に案内されたら、賓客はさぞかし驚き、とまどうだろう。
ふたりの懸念はもっともだが、元帥閣下の判断に変更はなかった。
(ザルダーズ限定特注モデルのオペラグラスで観覧すれば、結界フィルターなど問題ない!)
逆に一般参加者がそのオペラグラスを使用して貴賓席をうかがえば着席している賓客が視えてしまう。ただし、そのようなマナー違反を行えば、ニンゲンスタッフがそのフトドキモノを会場から追い出すというルールがあるので、心配は不要だ。
(一般会場から特等貴賓室が肉眼で見えることの方が問題だ。一般参加者の目から徹底的に隠せ! 賓客のお姿だけでなく、気配も漏らさず遮断しろ!)
(イエッサー!)
(絶対に、悟られるなよ!)
(イエッサー!)
あと……なにか大事なことが抜けているような気がしたが、どんどん近づいてくる若者と少女の気配に、元帥閣下は急いで思考を中断する。
(賓客の特別玄関前到着を確認。これより接待体勢に移行する)
(イエッサー!)
その発言を最後に、元帥閣下は念話を終了し、量産タイプの叩き金に素早く擬態する。
擬態は完璧。
どこからどう見ても、個性のない、どこにでもある量産タイプの叩き金だ。
一方、賓客のふたりは、ゆっくりと……この瞬間を存分に楽しみながら、入り口をめざしている。
豪奢な装飾が施された扉の前に、仮面のふたりがたどり着いた。
獅子の形の叩き金――ドアノッカー――と、黄金の輝きを放つ若者の目が合う。
〔…………〕
(…………)
〔…………〕
若者の碧の目が眇められ、獅子の形の叩き金を睨みつける。とても鮮やかで美しい碧色の瞳に、元帥閣下は目眩を覚えていた。
(…………ドアノッカー、そなたがここの護りの要か?)
(はひっいっ?)
若者が念話で語りかけてくるなど、全く予想していなかったので、変なトコロから変な声がでてしまった。
上手くできたと思ったのだが、擬態失敗である。
(……前回、前々回のオークションでは、わたしの大事なイトコ殿を、そなたの采配で護ってくれたのだな? 礼を言う)
(はいいいっつ?)
元帥閣下はガクガクと震えながらも、なんとか返事らしきものをする。
美青年様の声は元帥閣下だけにしか聞こえないようで、少女は怪訝な顔で若者を見上げていた。
ちょっと不安げな表情の女神ちゃまも愛らしい……。
(ふっ。可愛いな。そのように怯えなくともよい。なにも取って食おうというわけではないからな)
それはそうだろう。
獅子の形の叩き金は鉄製だ。食材ではない。食べたら消化不良でお腹を壊すだろう……と、元帥閣下はバカ正直に考えてしまう。
若者の厳しい目がふと緩み、口元がほころんだ。
それだけなのだが、ドアノッカー元帥のハートがぎゅっと締めつけられ、窒息しそうになる。
(それにしても……オークションハウスの護りの要は、実に珍妙な姿をしているな)
(はい? 量産タイプの叩き金がベースになっているので、特に珍しくもないのですが?)
(いやいや。器のことではない。人型のときの格好だよ。まあ、この場を護るモノとしては、悪くはない姿だな。実に面白い現象だ)
(え…………?)
この御方には、人型のことまで視えてしまうのか。
元帥閣下は震え上がる。
(ところで……入れてくれないのか?)
(し、失礼いたしましたっぁっ!)
誰の力も借りずに、両開きの扉がゆっくりと内側に開いていった。
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