第6話 人違い

床に撒き散らされた缶ビールに足を滑らせ、何度も転び回りながら、喚き声を上げる親衛隊。


「なんなんだ~この家はああ~~っ!」

「なんでこんなに缶ビールがあるんだああ~~っ!」


それは、この事務所に『底無しビール好き』のひろきがいるからに他ならない。


ブタフィ親衛隊の男達がトラップに悪戦苦闘しているその間に、シチロー達は事務所の地下にあるガレージへと集合していた。親衛隊も、この事務所の間取りまで詳しく調査している時間は無かったのだろう。出入口や裏口までは探してもこの地下ガレージの存在には気付いていなかったのだ。


「さあ、早く乗って、乗って!」


シチローは、他のメンバーを車に乗せるとエンジンをかけ、アクセルを床いっぱいに踏み込んだ。


ヴオォォーーン!


絶好調のエンジン音と共にタイヤを軋ませ、シチローを乗せた車はガレージの外へと飛び出した。


「あっ!隊長~やつらが車で逃げて行きました!」


窓の外にシチロー達の姿を見つけた親衛隊の一人が、慌ててリーダーの男を呼びつける。


「なんだと!あいつらどこから出て来たんだっ!」


窓に顔を貼り付かせ、大声を上げるリーダーの男の背後に、今更ながら部下の声が遠く響いて来た。


「隊長~~!なんか地下にガレージみたいのがありますけど~!」

「今更見つけても遅いわっ!もう逃げられたよっ!クソッ!」


逃げて行くシチローの車の後ろ姿を睨みながら、リーダーの男は悔しさのあまり、力任せに窓ガラスに蹴りをかました。


ガッシャーーン!


「ああ~っ!アイツら、事務所の窓ガラス割りやがった!」


その様子を、車内のバックミラー越しに窺っていたシチローからは、悲痛な叫び声が上がった。



♢♢♢



森永探偵事務所の敷地を飛び出し、およそ五百メートル程走ったところで、シチローはアクセルを緩めて徐々に車のスピードを落としていった。


「ここまで来れば大丈夫だろう……みんな、怪我は無かったか?」


シチローの問い掛けに、すぐさま後部座席のひろきが答えた。


「大丈夫~みんな無事だよ。ねっ、コブちゃん」


隣りに座っていた子豚の方へと笑いかけたひろきだったが……


「私、イベリコよ?」

「……えっ?あっ、そうか!あれ、じゃあコブちゃんは?」


そのひろきの言葉を聞いて、シチローとてぃーだも、初めて車内の異変に気が付いた。いつもならば、車に乗っているのは運転手のシチロー、助手席にてぃーだ、そして後部座席に子豚とひろきという四人の配置。その感覚が脳内にすっかり馴染んでしまっていた為、ひろきは隣に座っているのが子豚で、これで全員が乗っているのだという錯覚に陥ってしまっていた。しかし、実際には子豚だと思っていたのはイベリコで、子豚はこの車には乗っていなかったのだ。


「………乗ってないね」

「…って事は、コブちゃんはまだ事務所にいるって事ね……」


『フォーメーションA』から地下のガレージに集合し、シチローの車で事務所を脱出する段取りは、チャリパイのメンバーであれば誰でも心得ている事項である。それなのに、子豚が車に乗っていないというのは一体なぜなのだろう?……


一方、森永探偵事務所では……窓ガラスが割られた為に、事務所の中に充満していた煙はわずかに収まり、うっすらと視界が確保出来るようになっていた。車が走り去った事務所の外を眺め、悔しそうに舌打ちをする親衛隊のリーダー。


「逃げられたか……奴ら、暫くは戻ってくるまい。こうなってしまったら、姫を捜すのはかなり厄介だぞ……クソッ!」


ところが、次の瞬間


「隊長~!イベリコ姫を確保しました!」

「なにっ!」


部下の報告に、リーダーは驚いた顔で慌てて駆け寄る。


「イベリコ姫!さっきの奴らと逃げたのではなかったんですか?どうしてここに!」


「だって、スキヤキよ?でしょ!」


リーダーの目の前にいたのは、脱出よりスキヤキを選んだ子豚の姿であった。

しかし、親衛隊はイベリコと瓜二つの日本人が存在するという事実をまだ知らない。

『どっちが子豚ちゃんでしょう?』ゲームでイベリコと服を交換していた子豚を、

イベリコ姫と思い込んでしまうのも無理のない事であった。


イベリコ姫と一緒にいた日本人にいくらか邪魔をされたものの、当初の目的であった、イベリコ姫誘拐の任務は何とか達成させられそうだと、ブタフィ親衛隊のリーダーは安堵の表情を浮かべていた。


「イベリコ姫、我々と一緒に来てもらいましょう」

「イベリコ?…私、イベリコじゃないわよ。イベリコなら、シチロー達と一緒に行っちゃったんじゃないの?」


そう答え、ひとり黙々とスキヤキを頬張る子豚だったが、親衛隊には全く信じてもらえなかった。


「何を訳わからない事を言っているんですか!さあ~お前達、姫をお連れするんだ!」


“お連れする”と言葉では丁寧だが、別の言い方をすれば“拉致”である。親衛隊は数人がかりで子豚をスキヤキから引き剥がしにかかる。


「ちょっと!何するのよ!まだお肉が残って……」


次の瞬間、スキヤキを抱え込むようにして抵抗していた子豚の力が急に緩まり、子豚は意識を失った。親衛隊の一人が子豚の鼻と口を、クロロホルムを含んだ布で覆ったからであった。意識を失った子豚は、黒い布袋に入れられ親衛隊の一人に担がれたのだが……


「おい、誰か手伝ってくれ!「だ!」


レディに対して何とも失礼な親衛隊である……


子豚を入れた黒い布袋を二人がかりで抱え、親衛隊が事務所をあとにしようとしたその時……突然、どこからともなく軽快な音楽が事務所の中から響き渡ってきた。


「ン?何だこの音は……」


その曲名は、昭和のアイドル『山本リンダ』の代表曲『狙い撃ち』事務所のテーブルの上に置いてあった子豚のスマートフォンの着メロであった。


二十代の子豚からは、かなり世代が異なるが、子豚はこの曲の歌詞が大好きであった。これは、まさに自分の為にある曲なのだと、子豚はこの曲を大いに気に入っていた。しかし、そんな事を外国人である親衛隊が知るよしも無い。


「おい、ボヤボヤするな!早くしないとだろっ!」


外からリーダーの怒声が聞こえた。


ブタフィ親衛隊は、森永探偵事務所へ来るのにレンタカーを借りて、この近くのコインパーキングにその車を駐車して来たのだった。見かけによらず、マナーの良い外国人であった。



♢♢♢



「やっぱり電話に出ないよ……コブちゃん」


スマートフォンを耳に当て、ひろきが心配そうに呟く。シチロー達が事務所から脱出してから、既に一時間が経過していた。あれから十回以上も子豚のスマートフォンに電話をかけているが、子豚は一向に電話に出る気配が無い。


「よし、事務所に戻ってみよう!」


恐らくあの親衛隊の連中は、もう事務所にはいないであろう。そうある事を願いながら、シチロー達は再び森永探偵事務所へと戻る事にした。



事務所の近くまで来ると、てぃーだが車から降りて窓から事務所の中が窺える場所まで歩いて行った。


「大丈夫、誰もいないみたいだわ!」

「了解!じゃあ中に入ろう!」


てぃーだの合図と共に事務所へ戻ると、想像していた通りその中はもぬけの空であった。親衛隊の姿も無いが、子豚の姿も無かった。すっかり煙も収まった事務所の中をくまなく探すが、やはり子豚の姿は無い。


「コブちゃん、どこ行ったんだろ……ひとりで逃げちゃったのかな……」

「いや!それは違うな、ひろき。あれを見ろ!」


シチローがテーブルの上を指差す。


「あっ!コブちゃんのスマホ!だから電話に出なかったんだ!」

「いや、スマホもそうだけど……それよりも、コブちゃんの!」

「そうね……コブちゃんがお肉残して逃げるなんて、まず考えられないわね!」


シチローに続いて、てぃーだが冷静な表情で呟いた。


シチロー、ひろき、そしててぃーだ。三人はテーブルに置いてあったその、肉が残る子豚の器をじっと凝視していた。そして、三人は声を揃えて叫んだ!


「やっぱりコブちゃんは、さっきの奴らにさらわれたんだ!」


器の肉で判断するなよ……






















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