第9話「約束」

「父さん、僕が行くよ」

「シュカ……。お前が、行ってくれるのか?」


 ダンシュもそれしかないとは思っているものの、それと同時に危険な土地へ息子を送り出すことへの躊躇いも感じているのだろうか。


「シュカにはまだ危険すぎるわ」


 否定したのはカーシェだ。シュカが自分の力に自信を持てていないことは、もちろん二人も知っている。だからこそ、そんな息子を危険な土地に行かせることは、死んでくれと言っているも同然だった。


「いや、俺はシュカにしかできないことだと思っている。こんな時に限って俺は怪我しちまって、当然カロムにも頼めるわけがない。今思えば、俺がドゥスートラに行ったのも、今のシュカと同じくらいだったんだ。俺にできて、お前にできないわけがない」


 ダンシュが自分に言い聞かせるように、言葉を絞り出す。


「父さん……」


 父が自分にその想いを託してくれたことがシュカには理解できた。これはダンシュにとっても苦渋の決断なのだ。


「今と昔を比べるなんて――」


 それでもカーシェが食い下がる。母として息子を死なせるわけにはいかない。

 その気持ちも理解できないわけではない。


 普段なら説き伏せられてしまうが、父の決断を無駄にしたくなかった。


「僕のことなら心配しなくていいよ。それに、僕が行く以外にできることはないよね? ゲオルキアは危険な場所かもしれないけど、死ぬかもしれないけど、苦しむ妹を救えるのが僕しかいないなら、迷ってる暇はないんだ。ここで話していても、ジュナが助かることはないんだよ!」


 思いの丈をぶつけたシュカは、真剣な眼差しで母を見つめる。今回ばかりは一歩も譲ってはいけない気がしている。


「あらあら……」


 カーシェはシュカの毅然とした態度に面食らっているようだ。




 そして、長いこと二人で見つめ合う静寂が続き、ようやく母がその口を開いた。


「……もう、そんな風に見つめられたら、認めるしかないじゃない」


 シュカの固い決意に納得してくれたのか、大陸へ向かうことを許してくれたようだ。


「シュカってば、若い頃のあなたにそっくりなんだから」


 母がシュカを見る目は、昔を懐かしんでいるようにも見える。


「他人に感染するとは書かれていませんが、流行り病であることに間違いありません。もう既に他の誰かが炎呪に罹っている可能性もあります。私も王家にかけ合ってみますが、一介の薬師の意見が届くには時間がかかると思いますし、期待はしないでください」


 薬師は今できる限りの処置を施し、精一杯の誠意を示してくれた。もし、炎呪が流行ってしまうなら、薬師も忙しくなることだろう。


「わかり、ました……」


 ダンシュは薄い希望に縋るしかなく、項垂れる。


「全く力になれず申し訳ありませんが、これで失礼させていただきます」


 高熱に苦しんでいたジュナの様子が落ち着くのを見届けた後、薬師が帰って行く。


「急にも関わらず、対応していただき、助かりました」


 気落ちはしつつも、ダンシュは薬師への感謝を忘れない。

 シュカも一緒に薬師を見送った。


 ジュナのもとに戻ると、眠っていたはずの彼女が目を開けていた。


「シュカ、兄……。わたし、死にたくなぃよ」


 彼女がまだ辛い状態であることに変わりはない。


 今感じている苦しみから死ぬ可能性を感じ取ったのか、自分が死ぬかもしれない病に罹っていることが聞こえてしまったのか、明らかに怯えている。


 怖がる妹を救えなくて、何が兄だろうか。この手で彼女を苦しみから救わなければいけない。


 ジュナの辛さに比べれば、自分の悩みなんてちっぽけな物とさえ思えてくる。


「安心して。今は少しだけ辛いかもしれないけど、ちゃんと良くなるから。僕が帰って来るまで待ってて欲しいんだ」


「ぜっ、たい……?」


「うん、絶対」


 シュカはジュナにも聞こえるように、はっきりと口に出した。


「やくそく、して」


 ジュナが親指と人差し指で輪っかを作り、差し出してきた。

 シュカも同様に作った輪っかを重ねる。


 彼女が特に気に入っている約束を交わす時のおまじないだ。


「約束だ」


 約束を交わしたことで安心したのか、ジュナは再び眠りについた。




 一段落ついた頃には、夜も遅くなっていた。


 その間ずっとジュナに付き添ってくれたドルナの声を一言も聞いていない気がする。それだけ彼女も衝撃を受けているということだろう。


「ドルナ、今日はありがとう……」


 シュカは無言のまま帰宅しようとするドルナに、ジュナの看護に付き合ってくれた感謝を告げる。彼女の性格上、謝罪の言葉は怒らせてしまいそうな気がしたのだ。


「ええ……」


 きっと突然の出来事にまだ動揺しているのだろう。その後も振り返ることはなく、彼女は元気なく歩いて帰って行った。


 残されたシュカたちは、悲しみを表情に出さないように努めるも、暗い雰囲気を払拭することができないまま、祝宴の後片付けをするしかなかった。

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