碧空アルバム ~氷雪の王国編~

白浪まだら

序章「碧空の民」

第1話「碧空の民」

 昼間の透き通るような碧空あおぞら。

 その碧空あおぞらに浮かぶ雲々の白。


 空は清々しいほどの晴れ模様だ。

 ここは空に浮かぶ島国サヴィノリア。


 王都の外れにある草原地帯を歩く一人の少年がいた。

 名前はシュカ。


 光に反射した時、まるで輝いているようにも見える純白の翼が印象的だ。

 今日も父親の仕事を手伝った後、この原っぱを訪れたのだった。


 王都の中心街から北に外れたこの辺りには、過去に栄えた人々が生活を営んでいたであろう住居群の痕跡こんせきがあちらこちらに残されている。


「まだ約束の時間には早いし、少しだけならいいよね?」


 この広い空間で気ままに大空を飛び回ることはシュカにとって息抜きにもなり、やる気を高めるために必要なことだった。


 深呼吸をしてから勢いよく飛び上がったシュカは、空を陽気に飛び交っていた小鳥の群れよりも自由奔放に飛び回る。


 その白い翼を大きく羽ばたかせ、水を得た魚のように、飛ぶことができる喜びを全身で表現している。


 ただし、シュカは飛び回るためだけにここに来たわけではない。

 飛んでいる間に遥か先に見える大陸、ゲオルキアを眺めることも楽しみの一つだった。


 そこにはどのような土地が広がっているのか、碧空の民と異なる人々がどのような生活を営んでいるのか、自由に妄想を膨らませることが何よりもシュカの胸を躍らせるのだ。


「今日は天気がいいから、大陸がよく見える!」

 サヴィノリアから遥か北方にあり、全貌が想像できないほど巨大な大陸。

 その東端と南端には青い大海原が広がっていることが確認できる。


 しかし、この島国からは北と西の果てを見ることができず、それだけ広い大陸であることを示している。


 ゲオルキアを巡ったことがある先人たちの話では、国のほとんどが砂で覆われた土地で暮らす民、広大な大森林に暮らす民、そして、海の中にも人の暮らす国があったそうだ。


 あくまで聞いた話であり、そもそも海の中で暮らす民をどうやって確認したのか、疑問が残る。

 真実のほどはわからないが、本当にそのような民がいるなら実際に見てみたい。


 ゲオルキアの東端には黒煙を吐き出し続ける巨山がそびえ、北方には真っ白な大地が広がっている。


 その西方には大陸の果てまで続いているのかと思うほど、どこまでも続く緑があり、そこにはまだ見ぬ新世界が広がっている。


 シュカは未知の存在への興味関心が人一倍強く、それぞれの土地に住む民の暮らし、はたまた見たことがない生き物や植物との出会い、どんな光景が広がっているのかということばかりをいつも考えているのだった。


 小一時間ほど飛び回った後、ようやく気が済んだシュカは地上に降り立った。

「シュカ、準備はいいよな。……今日こそは特訓の成果、見せてくれよな」


 背後からの聞き慣れた声に顔を上げて振り返ると、そこにはシュカの名を呼んだと思われる緑翼の少年――テムが立っていた。


「テム……。うん、大丈夫!」

 シュカは自分に言い聞かせるように覚悟を決めた。

 すると付近の木々に群がっていた鳥たちが、一斉に空へと羽ばたく。


 本能的な恐怖や危機を感じたのか、逃げるように飛び上がった鳥の群れは少し離れた大木に止まり、そこから二人の少年が何をするか見届けようとしているのかじっとしている。


「『風まとう』」

 シュカが声を上げると同時に、右手に持っている剣の周りに風が漂い始めた。

 深呼吸しながらその剣を構えたシュカは、テム目掛けて飛ぶ。


 その勢いは突進するフェルスス(猪に似た獣)よりも速く、狙い定めた目標に向かって直進する。


 碧空の民は風の精霊に愛され、風を武器に纏わせたり、身体補助のために使ったり、人によってさまざまな使い方をする。


 それぞれの属性を司る精霊の力を扱う技術は霊術と呼ばれ、人によってできることに多少の違いはあるが、戦闘だけでなく日常においても重宝され、生活から切り離すことができない技術でもあった。


 シュカの視線の先、目標であるテムはその手に持っている剣を下げたまま、構えてすらいなかった。


 それだけテムに余裕があることをシュカも理解している。

 その落ち着きの差が二人の実力差を示しているのだ。

 身動きせず突っ立っているテムに構わず、シュカは一気にその距離を縮める。


 それでもまだじっと俯く彼の落ち着きっぷりは、迫り来る相手の存在に気づいていないのではないかと思わせるほどだった。


 あと少し、もう一度翼を羽ばたいたら、テムを斬りつけることができそうな距離までシュカが迫った時、ようやくテムが顔を上げる。

 微かにのぞかせたその顔は、期待外れだと言っているように見えた。


「『風よ、集え』」

 言葉を紡いだテムの周りに一斉に風が集まり始める。

 シュカの剣が帯びていたはずの風もみるみるうちにテムのもとへ吸い寄せられてしまった。


 それは相手が発生させた風すらも自身のものにしてしまうテム独自の技だ。

 理屈を教えてもらったことはあったが、シュカには真似できずに落ち込んだ記憶がある。


 才能という言葉では片づけたくないが、テムは稀代の天才と言われたほどだから仕方がない。


 発生させた風を奪われて推進力を失ったシュカの剣は、テムが振り上げた剣によって簡単に動きを止められてしまった。


 お互いの剣がぶつかっている状況でも、テムの表情にはまだまだ余裕が感じられる。


 単純な力勝負で歯が立たないことはわかりきっていた。

 このまま戦っていても、シュカに勝ち目などあるわけがない。


 体力勝負で疲労させることができれば、いつかチャンスが生まれる可能性がほんの少しはあるのかもしれないが……。


 シュカが考えを巡らせていた時、テムが口を開く。

「お前の力は、そんなもんじゃないだろ?」


 問いかけるテムの表情は真剣そのもので、その手にぐっと力を込めると、シュカの剣はあっさりと弾き返されてしまう。


 膂力りょりょくの差をまざまざと見せつけるかのように。

 剣を弾かれたシュカはたまらず後ろに下がり、なんとか態勢を立て直す。


「僕は……」

 一撃目も本気を出して放ったつもりだった。

 親友のテムが相手であろうと、一切の手加減をしていない本気の一閃だ。


 しかし、いとも容易く防がれてしまい、大きな実力差があることは誰が見ても明らかだった。

 一方のテムは、余裕の態度を変えることはない。


 剣を持つシュカの右手には、弾かれた衝撃によるしびれが残った。

 気を抜けば、今にも剣を手放してしまいそうだ。


 それでも、まだ自分の手に剣があることを確かめると、もう一度テムに向かってその白い翼をはためかせた。


「まだ、戦える! テムとの特訓を思い出せっ!」


 かつて、シュカは自分の力に自信を持つことができず、親友のテムに特訓に付き合ってほしいと申し出たのだ。


 力があることをテムは指摘したが、シュカにはその引き出し方がわからなかった。

 上手く自分の力を発揮できないことにいつも歯痒はがゆさを感じていた。


 学び舎に通っていた頃、テムは天才でありながら、努力の鬼でもあった。

 そのずば抜けた戦闘センスを活用して、テムは優等生であり続けた。


 一方のシュカは、むしろ落ちこぼれだとけなされるほどの実力でしかなかった。

 今ここまで戦えるようになっているのは、テムのおかげだろう。


 シュカの取り柄は決して諦めないことだ。

 諦めたら、いつかゲオルキアに行くという夢も叶わなくなってしまう。

 それだけは絶対に譲れなかった。

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