第10話 公園にて
「うう、やっぱり朝から牛丼大盛りは重たいですよ」
下腹を押さえながら、ふらふら歩く若葉。兵頭から「しっかりしてください」と呆れられる。
「お腹痛いぃ、これじゃあ、お仕事になりません」
「元々してないじゃないですか」
それに関しては、とりつく島もない。
「ちょっと、休みたいです」
若葉は顔を青くしながら公園を見る。
「仕方ないですね」
「誰のせいでこんなことに……」
悪態をつく若葉に肩を貸しながら、兵頭は公園に入ると、日陰のあるベンチに腰掛けた。
少しすると、やや胃の調子も戻ってきたようだ。
「……兵頭さんは、どうして救出課に?」
地面をついばむ鳩を眺めるだけなのも退屈なので、話題を振ってみる。
「師匠がいるんです」
「師匠?」
「えぇ、紫閃結芽という、伝説の企業スパイです」
兵頭は懐かしむように目を細める。
「彼女はフリーで活動していて、金さえもらえれば相手が誰であれ牙を剥き、どんな変装でもこなし、どんな機密情報だって簡単に奪ってみせていました」
「す、すごい方なんですね」
「私のピッキングも、師匠に教えてもらいました。でも師匠はもっとすごかった」
まるで自分のことのように、自慢気に言う。
「『針金姫』──彼女の二つ名です。クリップ一本あれば、どんな扉の鍵だって開けられるんですよ」
「針金姫……!」
胸ポケットからクリップを取り出してみせる。先程、若葉の自宅の扉を見事に看破してみせたクリップ。
若葉の部屋も、兵頭によって簡単に突破させられたことを思えば、その師匠とやらはもっとすごいのだろう。
「私も本当はスパイ活動をやりたかったんですがね、お前はネクサクオンタムを守れって、救出課に入れられてしまいました」
「な、なるほど」
「まあ、大丈夫ですよ。私は諜報だろうと防衛だろうと、神龍の奴らに負けることはありません」
「そういえば、なんで神龍テクノロジーズの方々は、ここまで私たちの機密情報を狙うのでしょうか?」
「奴らの目的は、ネクサクオンタム開発部が研究中の、二足歩行型アンドロイドの製造資料を盗み出し、大量生産するつもりです──復讐も兼ねてね」
「復讐?」
「神龍テクノロジーズは昔、針金姫によって半壊させられたんです。そして、紫閃結芽に神龍テクノロジーズの破壊工作を依頼したのは、王野だって噂です」
「王野さんが……?」
「きっと、神龍の奴らが求めているのはアンドロイドの機密資料だけではありません。我々、ネクサクオンタムの崩壊そのものもでしょう。ネクサクオンタムによって、会社を半壊させられたことへの恨みでね」
「それで、復讐を……!?」
「不正のバレた社長は辞任したそうですが、その社長は、佐藤真希……李梅の父親だったそうです」
そういうことか。
ネクサクオンタムによって辞任に追い込まれた社長である父親の仇を取るために、偽名を使って忍び込んだ──その、行動原理は理解できる。
「けど、神龍とて自業自得ですよ。邪魔な企業を脅して無理やり買収して、独占市場を企んでまるまると太っていったような会社なんですからね」
「つまり王野部長は、その不正を暴くために……」
若葉の問いに「そう言うと聞こえはいいんですけどね──」と微笑みつつも眉をひそめ、
「──あんまり大声では言えませんが、王野さんだって、謎の多い方なんですよ」
「部長が、ですか?」
「経歴を偽装しているという噂があるんです。彼女の過去の姿を知る人間だって、ほとんどいない。いつもああやってヘラヘラしてますけど、何を企んでいることやら」
半ば信じられない話だ。
表向きは総合事務部の部長をこなしつつ、裏では救出課のリーダーをやっていたというだけでも驚きだというのに。
ここからさらに別の顔があるだなんて、いくらなんでも人間の成せる技ではない。
「このことは、救出課のみんなには秘密ですよ。私がこっそり捜査して、いずれ見つけだしてやるつもりなんですから──」
兵頭は「──紫閃結芽の一番弟子にかけてね」と付け足し、強気な笑みを浮かべた。
「でも、そんなこと私に話しても大丈夫だったんですか?」
「まあ、あなた窓際族ですし」
「ぐさっ!」
「チェスしかやってませんし」
「ぐさぐさっ!」
「話したところで、覚えられなさそうですし」
「ぐさぐさぐさっ!」
「牛丼の並盛りも食べられませんし」
「ぐさぐさっ……って、それは関係ないじゃないですか!」
頬を膨らませる若葉に、「はははっ」とニヒルな笑みを浮かべる兵頭。
「とにかく、あなたは難しいことは考えずに、私の言う通りに──」
その言葉の続きが、兵頭の口から発せられることはなかった。
ぱんっ──平和な公園に似つかわしくない、乾いた銃声。
ばさっ──足元の鳩たちが、一斉に飛び上がった。
がくっ──頭を垂れて、ベンチから転げ落ちる兵頭。
「え、ちょっと、兵頭、さん?」
何が起きたのか、分からなかった。
「野窓若葉──」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
「──お前には、消えてもらう」
若葉を追い詰めるように立っていたのは、わざわざ誰かを尋ねるまでもなく神龍テクノロジーの人間だった。
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