1.有加利

1.悪役令嬢は思い出す1

 目を覚ますと、頭上に広がっているのは真っ白な天井……ではなく、天蓋だった。

 て、天蓋?ん?は?混乱する頭を押さえながら体を起こす。天蓋から垂れ下がる布を捲り上げると、ワンルームの狭い部屋が広々とした部屋に変わっていた。

 ……いやいや、いつもの私の部屋だ。


 大きなこのベッドも、壁に飾られた両親との姿絵も、お気に入りのぬいぐるみ達が飾られた猫足チェストだって。

 自分が自分でないような妙な感覚に不安を感じながらベッドを抜け出すと、ふらつく足をなんとか動かして壁に立てかけられた大きな鏡の前に立った。



 「え、可愛い」



 はっと口を押さえる。思わず出た言葉、というよりも自分から発せられた声に驚いた。自分の知る自身の声じゃない。少女特有の幼さの残る高い声。

 鏡に映る少女も同じように目を丸くさせながら口を押さえている。必死に頭を回転させながら、考える。私は誰?


 私、私は……私は、ネリネ・カリプタス。九歳。侯爵家の二女。お父様とお母様、お姉様がいる。私はネリネ……私はネリネ……と繰り返し考えるうちに、少しだけ落ち着いてきた。スーハーと深呼吸をしてから鏡に映る自分の顔をまじまじと見て、はっとした。昨日の夢は、現実に起こっていたことだ。日本で生まれて生活していたことが頭の中を駆け巡る。


 前世……。私、転生したんだ!と、分かった瞬間に込み上げてきたのは嬉しさだった。前世の頃の私は、転生もののお話が大好きだったから、もし死ぬならその後はお話の中の貴族令嬢になってみたいと思い描いていた。


 まさにそれだ!と、鏡の前でニヤニヤしながらやったー!と万歳した。ちなみに前世への未練はほとんどない。だって、働きたくないし。親しい友人もいなければ、家族仲も最悪の環境だった。彼氏?聞くな聞くな。強いて未練があると言うなら、読みかけの漫画と続編の小説くらいだ。


 嬉しさとわくわくが止まらないまま、一体どんな話だろうと思い巡らせる。

 転生といえばよくある乙女ゲームだったり?それとも漫画かな?小説?小説……あれ、私ってネリネ?一瞬思考が止まった後、一気に加速する。そして、気付いた瞬間に血の気が引いていった。ネリネという名前の登場人物が出てくる作品に、一つだけ心当たりがある。


 小説『翁草』。とある小説サイトに投稿されている作品で、悲恋の物語だ。

 ヒロインは、叶わない恋をする。相手は、既に婚約者のいる王太子。王太子の婚約者である侯爵令嬢と親友であったけれど、その気持ちに気付かれてしまい犯罪まがいの嫌がらせを受けることになる。


 侯爵令嬢は言動に難アリの我儘令嬢で、次第に王太子も正反対の心優しいヒロインに心惹かれていくんだけど、結局最後まで二人が正式に結ばれることはない。ヒロインは結果的に親友を裏切ってしまったという罪悪感の他にも、周囲を巻き込んでしまったという罪の意識から身を投げて絶命。


 ヒロインを助けようとした王太子も死んじゃうし、もちろん侯爵令嬢は処刑。他の主要キャラ全員バッドエンドの鬱小説。

 というのがあらすじなんだけど……その侯爵令嬢がネリネという。私、王太子の婚約者に転生したかもしれない。なんて、まさか。まさか!


 改めて鏡の自分を見つめる。小説にあった艶のあるシルバーの美しい髪、吊り上がり気味のキツい目元、そして思い浮かぶ数々の我儘な自身の言動……。

 小説『翁草』で描かれていたネリネの特徴と、残念ながら矛盾はない。転生先が悪役令嬢だなんて、よくある話ではあるんだけど……あるんだけど!



 「う……うっ……」



 鏡の中の私が恨めしそうにこちらを睨みながら、ぼたぼたと涙を零す。

 どうしよう、私って処刑で死んじゃうんだ。やだやだやだやだ!顔を横にぶんぶん振りながら、立っていられなくなってふにゃりと座り込んだ。



 「どうじよ……じんじゃうっ……!うあああぁん!!」



 こんな風に泣いたのは何年振りだろうというくらい涙も嗚咽も止まらない。頭では涙を止めなきゃと、声を上げて泣いていたら誰かが来ると分かっているのに、上手く感情のコントロールができない。

 でも考えだしたら止まらなくなる。作品の中の転生した主人公に憧れていた自分を呪いたい。



 「失礼いたします。お嬢様、いかがなさいまし……お嬢様!?」



 その時、控えめなノックと共に見知った侍女が入ってきた。鏡の前の私を見つけると、ぺこりとお辞儀をしながら静かに窺うその侍女に、私は反射的に胸に飛び込んだ。

 手をあわあわとさせながら驚いた様子の侍女だけれど、私はそんな彼女にがっしりと抱き着いて、更に大声を上げながら泣き喚いた。



 「じんじゃう!怖い!ごわいの!どうじよう!」


 「お、お嬢様どうされました?怖い夢でも見ましたか?」



 顔を埋めてわんわん泣く私に質問が飛んでくるけど、今は答える余裕がない。

 暫く泣き喚いていると、恐る恐るという感じで私の背中に温もりが触れた。私が拒絶しないと分かると、今度は頭を撫でられる。その優しさに心がぎゅっと縮まった。



 「お嬢様、落ち着いてください。スーザンはここに居ますよ。大丈夫ですから。お嬢様は死にません。死にませんよ」



 何度も頭を撫でながら大丈夫と繰り返されるその言葉に、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。それでもひっくひっくと上手く呼吸ができずにいる私の頭を撫でる手は止まらない。



 「どうして……?」



 やっと落ち着いた私は、侍女……スーザンの顔を見上げた。掠れる声で問う。きっと泣き腫らした顔はどんでもないことになっているのだろうけど、スーザンは優しく微笑んだ。



 「落ち着きましたね。少しお水を飲みましょうか」


 「私、あんなに酷いことしたのに。どうして優しいの?」



 私の質問に答えずに水差しへと向かうスーザンの背中に聞くと、くるりとこちらを向いて困ったように笑った。



 「泣いているお嬢様を放っておけませんよ」



 その言葉に、あぁ、と後悔が生まれる。一見優しい言葉にも聞こえるけど、きっと放ってしまえば後で私に嫌がらせをされるから、仕方なかったということなんだ。



 「ごめ…なさい……」



 今までしてきた数々の言動に、緩んでいた涙腺が再び熱くなる。こんなに嫌われてしまうような行動、どうして取っていられたんだろう。

 すると、水を注いだグラスを私に手渡しながらスーザンは笑って言った。



 「私は下に兄弟がたくさん居て、もっとひどいことを言われたりされたりすることもありました。お嬢様の言動は確かにきついですが、家族のやんちゃに比べればどうってことありません。もちろん私以外の者に同じように行動するのは良くないことですが、お嬢様くらいの年齢の子供であれば誰もが通る道ですよ」



 「もっとひどいこと?」



 そう聞く私に、スーザンは懐かしそうに目を細めた。



 「そうですね、例えば蹴られたり叩いてきたりですかね。子供の力って意外と強いので、結構痛いんですよ。あとは死ね!って叫ばれることもありました」



 だからお嬢様の言動は大したことありません、と言ってふふっと笑うスーザンに私は目を丸くした。

 先ほどの私を放っておけないという発言は、本当にそのまま優しい意味だったのか。



 「お嬢様は私を殴ることはしませんでした。たくさん罵る言葉を言われましたが、絶対に死んでしまえとは口にしませんでしたよね」



 記憶を遡ってみたけれど、確かに直接手を上げたり死ねだなんて言葉は使ってこなかったなと思う。



 「それに……お嬢様のそれは、きっと甘えたい気持ちからくるのかなって……」



 最後のそれは私に聞こえるか聞こえないかの声量だった。

 そうなのかもしれない、とすっと心に入ってくる。私は両親に甘えられなかった。仕事で忙しいお父様には、たまに会っても軽く言葉をかわすくらい。いつも緊張していた気がする。

 躾に厳しいお母様は、勉学でも教養でも手を抜けばすぐに怒られた。お母様の前では気が抜けない。唯一の姉だけは、私に優しかったけれど。



 「スーザン……」


 「お嬢様が私に駆け寄ってくれた時、驚きましたけど嬉しかったです。今日みたいな甘え方、大歓迎ですよ。もちろん、旦那様や奥様には内緒にしますから、安心してくださいね」



 人差し指を口元に当てながら、少し悪戯っぽく笑うスーザンに私も釣られて笑った。



 「もう一回、ぎゅってしてもいい?」



 スーザンは喜んでと言いながら、先ほどよりも力強く私を抱きしめた。

 今までの私でも、前世の頃の私でも出来なかった行動。記憶を思い出して、過去と現在の性格が混ざり合ったからこそ出来たのかもしれない。少しだけ恥ずかしく思いながら、それでも心地よい温もりに包まれた。



 「お嬢様、そろそろ準備しましょうね」


 「はぁい」



 もう少しだけ甘えたかったという気持ちから気の抜けた返事をする私に、スーザンは穏やかに微笑みながら続ける。



 「今日は第一王子とのお顔合わせですから、とびきり可愛くしますね!」


 「お顔合わせ……うぅっ……怖いぃ!」



 途端に小説のことを思い出しうるうると目を潤ませる私に、スーザンは再び慌ててあやしだすのであった。


 そうこうしているうちに、先ほどまでは静かだった部屋の中が少し慌ただしくなっていく。

 なんとか落ち着きを取り戻した私は、スーザンからあやされつつ朝の支度を受け、今度は青白い顔で鏡に向かって立っていた。



 「ほ、本当にこれを……?」


 「はい。お気に入りだと。……覚えていませんか?」



 いや、覚えている。自分でこれにするわ!と決めたことは覚えているのだけれど、今の私にはとても受け付けられない。

 何人かの侍女が困惑しながら目配せをしているのが見えたけれど、そんなことより今は目の前のドレスにドン引いていた。


 明るい薄ピンクの生地に、これでもかというくらいにあしらわれたふりっふりのフリル。

 更には胸元にドデカいリボン、そして濃いピンクの宝石の粒や造花がドレス全体にふんだんに散っていて、とんでもなく主張が激しい。どこぞの童話に出てくるお姫様でも着ないようなドレスだ。


 前世の記憶を思い出した私にとって、このドレスはお気に入りの正反対。むしろこんなの着て外に出るとか、軽い拷問ですか?と言いたくなるようなデザインのドレスに感じてしまう。

 ドレスは悪くないのだけれど、きつい印象の顔とのバランスがちぐはぐで、絶対に私には似合わない。のだけれど、昨日までの私にとっては最高の一着だと思っていたし、なんなら私のために作られたドレスだわぁとか思っていた。



 「このドレス……別の物に変えられないかしら……」

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