第11話 人工知能は死体の夢を見るか①

 天園村の調査から戻った九郎は、村を出た当時の近寄り難い不機嫌さとは裏腹に、翌日には普段の彼女へと戻っていた。

 ここ数日は新作の執筆の為に自室へと籠っており、助手である啓介にも平穏な日々が帰ってくる。

 啓介にとっては嬉しい反面、彼の雇い主に対する心配も大きかった。この静寂が、九郎のモチベーションを表しているように感じたのだ。彼女はもう怪異に挑まないのではないか。そんな疑念が不整脈のように平穏へ影を差す。

 仮に九郎が心折れたとして、それは無理からぬ事であると啓介は思う。人間の力では絶対に覆す事のかなわない、不条理な世界の仕組みに九郎達は相対したのだから。

 啓介自身その恐怖を乗り越えた訳ではなく、ただ現実の事として受け入れられていないだけだ。あまりに致命的な怪我を負うと、一時的に痛覚が麻痺するのに似ている。

 ただ夢の中で、カエデの淫靡で惨めな最期が脳裏にフラッシュバックし、まるで彼女の亡霊に犯されたかのように夢精するのだった。


 そんな心的外傷を自覚できていない啓介は、いつも通りに朝食を準備して九郎の部屋へと向かう。彼女が執筆を開始して既に五日目だ。今回はかなり根を詰めていた。


「九郎さーん、朝食です」


 ダイニングキッチンへ向かうと、九郎は食卓に座って熱心にノートパソコンと向かい合っている最中だった。


「ご苦労。今日は何だね?」

「フルーツと生クリームのサンドイッチにしてみました。具はミカンとバナナに、三種類のブレンドナッツです」

「ほう! 随分とお洒落なモノを作るねぇ!」


 ここ数日啓介は無意識に肉を使った料理を避けており、それを誤魔化すように華美な料理へと走っていた。そのせいで、ポナッター映えするカフェの如き食事風景が続いている。それを知ってか知らずか、九郎は文句も言わずに彼の偏食に付き合ってくれていた。


「九郎さん、執筆の進捗はどうですか?」

「原稿ならつい昨日提出したよ。今は仕事終わりの余韻を満喫中という訳さ」

「え。今は執筆してたんじゃないんですか……?」


 啓介の勘違いに、九郎は口の端を上げる。


「……気になるかね? ボクが何をしていたのか」

「そ、そりゃまあ……」

「そうかねそうかね。仕方ないな。そこまで気になるというのなら、教えてあげるのもやぶさかではないのだよ」

「物凄く気になります。早く教えてください」

「これを見てみたまえ」


 九郎がノートパソコンを回して見せた画面には、胸の谷間を強調したポーズで紐同然のビキニ姿を晒す、女の首から下が映し出されていた。


「んななっ! 何を見てるんですか!」

「勘違いしないでくれたまえよ。これはボクのカラダだ」

「九郎さんの……?」

「これは〈素人変態倶楽部〉というサイトでね。自分の性的な自撮り写真を、匿名で投稿して露出狂気分を味わう事ができるのだよ」

「身も蓋もないですね……九郎さんにそんな趣味が有ったとは」

「否定はしないが……このサイトを利用しているのにはちゃんとした理由があるのだよ。ボクは既に百枚以上の写真を投稿していてね。仕事の間にコツコツと積み重ねてきたのさ」

「広告収益でもあるんですか? 最近はそういうので生計を立てている人もいるって聞きますけど」

「ボク程のカラダならそれも容易だろうね。だが不正解だ。実はこのサイトには、表には出ていない黒い噂が有るのだよ」


 九郎は別のウインドウを開くと、そこにアカチャネルを表示させる。


【人工知能が任意の女で超リアルな殺人画像スナッフを精製してくれるらしい】


 大師「おぬしら、素人変態倶楽部なるサイトを知っておるか? 小生、それに関するとんでもない秘密情報をとある筋から入手してしまったのでござる」

 七師「あのサイト良いよな。最近使い始めたけど、今じゃ毎晩お世話になってるわ」

 七師「偶にAV女優と見紛うようなとんでもないカラダのバカ女が乳晒してるんだよな。ゴチになりまーすって感じだわ藁」

 大師「あのサイトは確かに、小生らのような童貞にとってはバイブルにも等しきものでござる。だが綺麗な花には棘が有るもの……天国の一歩隣には、地獄への入口が潜んでいたのでござるよ」

 七師「いちいち話し方がウゼえ藁」

 七師「ど、どどど童貞ちゃうわ!」

 七師「地獄って何だよ。フィッシング詐欺の事か?」

 大師「否。聞いて驚くなかれ。実はあのサイトに投稿されている画像は、とあるAIの学習に利用されているらしいのでござるよ」

 七師「あーAIか。最近は本物の写真みたいなポルノ画像も生成できるようになってるらしいな」

 七師「チャイルドポルノとかはかなり問題になってるらしいが、素人変態倶楽部にそういう写真は無いだろ。規約で禁止されてるし。バカ女の乳が何に利用されようが、自業自得じゃね?」

 大師「それが、そのAIというのは少し特殊なものらしいのでござる。それが、殺人画像スナッフの生成なのでござるよ」


 おそらく今の題名は、この段階以降に付けられたのだろう。


 七師「殺人画像スナッフ……? なんだそりゃ」

 大師「平たく言えば死体の写真でござるな。それも自然死ではなく、ロープでの絞殺や刃物による損壊が伴う、被虐死体が好まれるのでござる。異常な加虐嗜好を持つDQNドキュンが好むそうですぞ」

 七師「ひえ……頭おかしい。死体なんて見ても怖いだけなんだが」

 七師「まあでも、実物が出回るよりはAIが作った偽物でそういう欲求を満たしてもらった方が、よっぽど世界平和に繋がるよな」

 大師「そんな代物なら良かったのでござるがねえ。どうもこのAIによって生成される殺人画像スナッフが、異常なものらしいのでござる。というのも、の顔やそれ以外の部分が、何故か正確に出力されるらしいのでござるよ」

 七師「そんなのあり得ないだろ。証拠も無いし」

 大師「証拠は出せないでござるな。このAIを使う為には、素人変態倶楽部に自分の写真を百件以上投稿する必要が有るらしいのでござる」

 七師「ん? だったら、他人の写真で勝手に殺人画像スナッフを作る事はできないんじゃないか?」

 大師「その通りでござる。そのAIは、〈自分の死体を見る為のツール〉なのでござるよ」


 信憑性の薄さもあってかこのチャネルはあまり伸びておらず、返信もそこで止まっていた。啓介も、これを信じようとは思わないだろう。


「うーん、いまいちなチャネルですね。設定も弱いし」

「ボクもそう思っていたのだがね。マコトがこれは本物だと言ったのだよ。あのコは。それでボクも、ものは試しだと思ってね」

「興味本位で自分の身体をネットにばら撒かないでください!」


 九郎の弛んだネジを締め直そうとするも、彼女は気にせずにキーボードを触る。


「でだ。ボクがこんな風に嬉々として話すという事は、件の方法が嘘ではなかったという事なのだよ。早い話が、ボク自身の殺人画像スナッフを作るのに成功したという訳だ」

「へ……?」


 画面に映し出されたのは、全裸で廃屋らしき砂利とゴミだらけの床に横たわる、九郎だった。首には青く縄の痕が残っており、光の消えた瞳からも、それが死体である事を察せられる。

 先ず驚くべきは、それが恐ろしい程精巧である事だ。死体の部分のみならず背景の細部に至るまで、破綻している箇所が微塵も見受けられない。

 肌の質感や髪の一本一本まで一切の省略無く描写されている様は、正しく写真そのものと言えよう。

 そして無から再現された筈の九郎の顔は、本物と何ら見分けが付かなかった。


「見たまえ。乳房にある黒子の位置や血管の奔り方、乳首と乳輪の色や大きさに、ピアスの有無まで完全に再現されている。隠毛の残し方まで一致しているのには驚いたよ。先天的な情報だけでなく、後天的かつ人為的な変化まで把握されているという事だ。それに、性的興奮を覚えると母乳が分泌されるボクの特異体質まで出力されている」


 死体から母乳が流れている姿に、啓介の脳内でカエデの姿と九郎の姿が重なる。それが何故か、彼には強烈な性的興奮として感じられた。


「絞殺だけじゃなく、強姦されてゴミ捨て場に捨てられた写真や、熊に襲われて食い殺された写真まである。どれも澄ました顔をしているのが、実にボクらしいだろう」


 こうやって自分の殺人画像スナッフを漁っている間も顔色一つ変えない九郎は、やはり恐怖というものを知らないのだろうと改めて認識させた。


「ときに啓介くん。この殺人画像スナッフ生成AIには、一つ問題があってね」

「問題しかない気もしますが……」

「最初の殺人画像スナッフを生成した一時間後に、利用者は最後に生成した殺人画像スナッフと全く同じ状態で死亡するらしいのだよ」

「……は?」

「最初の一枚を生成したのが大体三十分前。最後に出力したのが熊に食い殺された死体だから、今から約三十分後に、ボクは熊に食われて死ぬ事になる」

「いや……あり得ませんよね。ここ、東京の住宅地ですよ」

「だからこそ興味深い。実はこのAI、現実では到底起こり得ないであろう死因でも出力できるのだよ。試しに一つ出してみようか」


 画面にはAIに指示を出すためのウィンドウが表示されており、九郎はキーボードで細かい死因を指定していく。


〈豆腐の角に頭をぶつけて死亡〉


 あり得ない死因の代名詞を九郎が打ち込むと、新たな画像が画面上に生成される。そこには周囲に豆腐と脳漿を飛び散らせ、壁に寄り掛かって死亡する着衣姿の九郎が出力されていた。

 

「因みに豆腐を人間の頭にぶつけて殺害するには、音速以上の速度を出す必要が有るそうだ」

「うわぁ……本当にとんでもない死に方の九郎さんが生成されてる……」

「要するに、好きな死に方を選べという事だね。そういう訳で、これから啓介くんには〈一番恐ろしい死に方〉を一緒に考えて欲しいのだよ」

「ちょちょちょっと待ってください! 死に方より、助かる方法を考えましょうよ!」

「あと三十分で現実的な手段が思い付くとは思えないのだがね。だとしたら、ボクの本懐である〈恐怖を理解する〉という願いを叶える為に時間を使った方が、幾らか建設的ではないかね?」


 どうやら本気で言っているらしい彼女の平然とした態度に、啓介は反論の言葉を失ってしまう。


「……分かりました」


 一先ずは助手としての役目を果たす。そうしている間に、何か良い案を九郎が思い付くかもしれない。今はとにかく、行動を起こす事が必要だ。


「死因には色々ありますけど、水死とか焼死は苦しいって聞きますよね。あとは餓死とか」

「苦しさはちょっと違うかな。恐怖という趣旨からは少しずれる。やもすれば、早く死にたいだなんて思ってしまいそうではないかね」

「確かに……やっぱり恐怖を感じる死に方なら、誰かに殺されるのが鉄板ですかね。一番恐ろしいのは人間だなんて言いますし」

「ボクもそのシチュエーションは色々試してみたよ。強姦されて殺されてみたり、生きたまま解剖されてみたり、拷問を受けてあらゆる苦痛を与えられた後に撃ち殺されてみたり。でも人が相手だと、どうも性的興奮が勝ってしまうのだよ。分かるだろう?」

「分かりませんね」


 恐怖を感じる部分が麻痺している九郎に対し、常識的な価値観を当て嵌めては駄目だ。死に際には恐怖を紛らわせる為に大量の脳内麻薬が分泌されるというが、彼女の場合は恐怖が無い分、ダイレクトに快楽へと変換されてしまうのかもしれない。

 この難題に対する答えが、啓介は不思議と無意識の内に零れ出た。


「……例えばですけど。九郎さんは化け物に食い殺されたカエデさんを見て、怖いと感じましたか……?」

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