第2話 君の死体が見てみたい②


「そういえば君、名前は何ていうの?」

「え、ああ。啓介です。安里啓介」

「啓介くんはサラリーマン? 飲み会帰りっぽいけど」

「はは……お恥ずかしながら、今し方無職になったところでして。長年窓際社員だったもので、会社の経営悪化で足切りに遭ってしまったんですよ」

「リストラってやつ? まだ若そうなのに、大変だね」

「いえ……私が無能なのが原因ですから。私がもっとしっかりしていれば、会社が傾く事だって……」


 啓介が卑屈に述べると、突然カラスが笑い出す。


「面白い事を言うね、君。人間一人が頑張ったところで、会社の経営なんて大きな流れがどうこうなるものかね」

「そ、そんな事はありませんよ。個人の頑張りは、会社全体にも良い影響を及ぼしますし……」

「それは只の理想論だよ、啓介くん。君はどうも、他人の嘘を鵜呑みにする癖があるようだね」

「う、嘘って……そんな根も葉も無い」

「そのくせ、自分自身への肯定感だけは地の底まで低いときた。益々君の精神性に興味が湧いてきたよ」


 話をしているうちに、車は料金制の駐車場へと到着する。


「此処から少し歩くよ。付いてきたまえ、啓介くん」

「あ、はい……」


 啓介はふと、駐車料金を表示した看板が目に留まる。


「東京の駐車場、高いでしょう。乗せてもらいましたし、私が出しますよ」

「気にしないで。ボク、お金持ちだから」


 カラスは啓介の厚意をさらっとあしらうと、地図も見ずにつかつかと道を先導していく。運転の最中もそうだったが、彼女は東京の地理に精通しているらしい。

 普段から車に乗る経験に乏しい啓介は土地勘も無い為、大人しくカラスの後ろを追う。何とも情けない気持ちになった。


「そうだ、啓介くん。実況を書き込んでおいてくれたまえ。チャネルを盛り上げておきたいからね」

「わ、分かりました。写真はどうします?」

「ボクは写さないでおくれよ。ミステリアスさを売りにしているのでね」


 啓介は周囲の景色を被写体にし、何となく楽しそうな雰囲気を出す為にピースを入れる。すると、カラスもそっとピースを加えてくれた。革手袋をしているから、問題無いという事なのだろう。


 七師「カラス師と合流できました。これから現場に向かいます」


 続いてアップロードされたピース入りの写真を見て、チャネル内は盛り上がる。


 七師「マハトマ! 待ってたぞ!」

 七師「仲良いな藁」

 大師「自宅から応援してます! 実況よろしくです!」

 七師「これから死体探しとか正気かよ!」

 七師「亀戸ロードホテル。着きました」


 七師はホテルの外観と、ついでに向かいの銭湯の写真も載せていく。


 七師「管理人の情報と完全一致」

 七師「後はどうやって部屋を特定するかだな。店の人に聞くのか?」

 七師「怪しまれるだろ。仮に死体が在るなら教えないだろうし」

 七師「探索班の為に、俺達解析班が頑張ろうぜ。例の写真から他に情報拾えないか?」

 大師「取り敢えず拾い絵じゃないかどうかは、片っ端から検索掛けてる」

 全智の神「撮ってきたます」


 全智の神が挙げた写真は、大師が最初に出した写真と同じような画角のものだ。但し室内からではなく、窓の外から撮ったものに見える。


 七師「ん……これどうやって撮ったんだ? ストリートビュー?」

 全智の神「オイラ、ドローン持ってるんで。オマイラから巻き上げた金で買ったます」

 七師「このヤロウ……こんな神サイト運営して私腹を肥やしやがって……」

 七師「今月も課金したぞ! 美味いもの食いながら末長く運営しろコラ!」

 七師「さりげなく現場に出て仕事をしていく有能運営にマハトマ」

 全智の神「七階の708号室が怪しいます。角部屋の横。カーテンは閉まってるから、中の様子は分からないますね」

 七師「708号室、取れました。これから中に突入します」

 七師「普通に取れるのかよ!」


 若干オチが見えつつも、お祭り騒ぎでチャネルは進行していく。


 カラスと啓介は、エレベーターで七階へと上がっていった。


「受付の人も、特に気にしてる感じは無かったね」

「ま、まあ。冷静に考えたら、ホテルに死体が放置されてる筈ありませんよね。むしろ無い方がありがたいといいますか……」

「そう? ボクはあってくれないと困るけどな」


 物騒な言葉と同時にエスカレーターが停止し、二人は静かな廊下に出た。異臭などは特に無く、古いながらも清潔感に満ちている。


「写真お願い。これは盛り上がるよ」


 啓介は言われた通りに写真を撮ってアップロードする。正直、チャネルの盛り上がりなど気にしていられる状態ではない。部屋へ近付くにつれて、彼の顔色は目に見えて悪くなっていた。

 そして二人は部屋の前に到着する。カラスがドアに手を掛けたその時、啓介が乾ききった口を開いた。


「……カラスさん。死体なんてありませんよね……?」

「どうしたの。怖気付いたかね?」

「ふ、震えが止まらないんです。すみません。こんなの気のせいだって、分かってるのに」

「ボクが行くから、怖いならそこで待っているといい。直ぐに戻るよ」


 カラスは躊躇無く扉を開けると、中に入っていく。遠くなっていく背中に、啓介は何故か無性な不安を覚えた。気が付くと、足が彼女を追って動き出す。

 小走りに通路を抜けて奥の部屋へ顔を出した啓介に、カラスは視線を向けず「へえ、来たんだ」と呟いた。

 明かりの点いた部屋は何の変哲も無く清潔なままだが、悍ましく腐敗した人間の死体が天井からぶら下がっている。それは、チャネル内の写真で見た光景に酷似していた。


「ひいいいいいいっ!」


 啓介は絶叫し、その場で腰を抜かす。


「啓介くんにもんだね。君が臆病な理由が分かったよ」


 首吊り死体は天井からぶら下がる赤い肉の綱が首と癒着しており、歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべながら、念仏を唱えるように判別不能な譫言を垂れ流し続けている。

 その光景をさも当然と眺め、カラスは眉ひとつ動かさない毅然とした態度で怪異と向かい合っていた。

 そんな彼女に、生ける屍は唇の無い剥き出しの口を大きく開いて叫び始める。


「にっ、逃げましょうカラスさん! 殺される!」

「あれは動けやしないよ。ボクを恐れているだけだ」

「何を言って——」


 壁にへばり付いて動けない啓介の前で、カラスは両腕を胸の前で交差させ、前腕の下に手を遣って構える。

 そして両腕を広げると共に肘の辺りから、黒い羽根を散らして二振りの日本刀を引き抜いた。


「君とボクが見ているものは、紛れもない真実だ。そしてボクの吐く嘘だけが、残酷な真実を斬り殺す」


 漆黒の刀身が十文字に振り抜かれ、首吊り死体を一撃で両断する。四つに切り分けられた肉体は床に落ちる前に霧散し、跡形も無く消え去った。


「アリ……ガトウ……」の一言だけを残して。


 気付けばカラスの持つ刀剣も消え、何の異常も無いホテルの一室だけが黙祷を捧げている。


「さ、除霊完了。部屋の写真を撮ってもいいよ、啓介くん」

「除霊……霊能力者……?」

「ま、そんなところかな。どちらかというとインチキカルト教祖のようなものだと、ボクは自認しているけどね」


 そこからは、どうしていたのか啓介自身もあまり憶えていない。取り敢えず言われるがままに部屋の写真を撮り、チェックインしたばかりの部屋を早々に引き上げる。受付係のきょとんとした反応は、多いにチャネラー達の笑いのネタとなった。現実とは裏腹に何事も無くチャネルは幕を閉じ、カラスと啓介も駐車場の車へと戻ってくる。


「私は……頭がおかしいんでしょうか。子供の頃から、人でない何かの存在を感じるんです」

「そうやって恐れているうちは、狂ってなどいないさ。ボクは物心付いた頃には、人とそうでないものの区別なんて付かなくなっていたもの。どれもじゃないか。違いなんて何処に有る?」


 カラスは車の鍵を回し、エンジンを吹かす。


「ボクには君が羨ましいよ、啓介。君は二つの世界を同時に見ながら、その違いを感じ、恐怖している。ボクの作品に必要なのは、君のような常人が抱くべき恐怖なんだ」

「作品……?」

「探偵業はあくまでも、取材の一環なのだよ。本職はオカルト作家。明石家九郎あかしやくろうって、聞いた事ないかね?」

「明石家九郎って、アカチャネル黎明期を支えたあの……⁉︎」


 その名は啓介でも聞いた事がある。アカチャネル創設者の友人であり、今もサイトの歴史に伝説として残る、数々の傑作怪談を生み出した人物だ。


「ねえ、啓介くん。君さえ良ければ、ボクの助手をしてくれないかな。ボクが各地の禁足地を巡る旅に同行して、今日みたいにサポートして欲しいんだ」

「助手⁉︎ む、無理です。あんな化け物と戦うのを手伝うなんて!」

「戦う必要なんてないさ。君はただ、嘘偽り無く恐怖して、泣き喚いてくれればいい。私はそれを、人間の真実として描写したいのだよ」


 彼女が何を言っているのか、啓介には理解できない。


「無論、命懸けの仕事だ。君は臆病で愚図だから、そのうちに死ぬだろう。君にはそれを了承してほしいと思っている」


 九郎はその綺麗な顔を近付け、啓介の脳を覗き込むように瞳を見詰める。


「嘘に溢れた世界の中で、死だけが人間の本質を曝け出させる瞬間なんだ。ボクと同じ景色を見られる君が恐怖に満ちた死を迎える時、そこから抽出される真実こそが、ボクの文学を完成させる。だから正直に言うよ、啓介くん。——ボクはね、君の死体が見てみたい」


 目前に迫る顔は上気して、何か甘美な愛の言葉でも語るように恍惚としている。啓介は「ああ、この人は本当に頭がおかしいんだ」と理解した。


「あー……えと、はい。分かりました」


 この時、どうしてこんな返事をしたのか。それもまた、啓介はよく憶えていなかった。

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