三千世界の鴉を殺し、君の死体が見てみたい【電網探偵・明石家九郎の事件簿】
鯨鮫工房
第1話 君の死体が見てみたい①
〈チャネリング〉――高位の霊的存在{いわゆる神霊、地球外知性体、死霊}との交信を意味する言葉。チャネリングを行う者を、〈チャネラー〉と呼ぶ。
20世紀末にサービスを開始し、今日では日本国内最大手へと成長したインターネットオカルト掲示板〈アカチャネル〉。
子供達が授業の合間に興じるくだらない怪談から、野生の文豪が脳髄を唾に混ぜて吐き捨てた傑作の法螺話まで、古今東西のオカルティックな話題の数々が日夜〈チャネル〉と呼ばれるテキストチャットルームへと書き込まれていく。
アカチャネルの利用者はサイト名から転じて〈チャネラー〉と呼ばれ、日本のオカルティストの代名詞となっていた。
ウェブサイトを開くと、ハムスターに似た肌色のキャラクターである〈アカチャン〉が訪問者を出迎え、開口一番に「ようこそチャネラーさん。繋がっていってね!」とフキダシ内の台詞を
アカチャンの下には【一人かくれんぼを実況するチャネル】等の題名が付けられた四角いフレームが並んでおり、これがチャネルへの入り口になっている。話題のチャネルは掲示板の上段に表示される仕組みになっており、このランキング上位を目指して、暇を持て余すオカルティスト達が日夜鎬を削り合うのだ。
今日一番盛り上がっているのは、【都内のホテルに死体があるらしい】というチャネルだった。
大師「都内のホテルの一室に、首吊り死体が放置されてるらしい。探索者求む」
七師「詳細クレナイ」
アカチャネルは〈匿名掲示板〉である。各ユーザーが書き込むチャットの前には、各々が個別に設定する〈ハンドルネーム〉が表示される。
〈大師〉はチャネルを建てたユーザーを区別するために与えられる固定のハンドルネーム。〈七師〉の方は、デフォルトで設定されているハンドルネームである。
アカチャネルの創設者曰く、七人の賢者が大師に知恵を授けるという雰囲気をイメージしているそうだ。〈名無し〉の意味が掛けられているのは言うまでもない。
大師「数ヶ月前にランキングの下位で見かけたチャネルの情報だから、手掛かり少なくてスマナイ……これしかない」
大師は一枚の画像データをチャネル内にアップロードする。それは薄暗い室内から撮ったと思われる、窓の外を写した景色の写真だった。
七師「これで特定しろって事か」
大師「元チャネルはこの写真が無言で貼られてるだけで、誰も返信しないまま埋もれてた。どうしても気になるホギ……」
七師「よく見たら、右上に腕みたいなのが写ってないか? 爪まで見える」
七師「マジじゃん」
七師「これには七師もホンギャリ」
七師「腕だとしたら、手首の位置が高過ぎる。これは首吊ってますな」
大師「でしょ? 真相突きとめたい」
ここで、一枚の画像がアップロードされる。大きな看板が印象的な、銭湯の写真だ。
全智の神「窓から見える建物、これじゃない?」
七師「管理人降臨!」
七師「見てたんかワレ!」
七師「さらっと仕事するな」
全智の神「気になったので来ました。オイラも混ぜて」
大師「これかも! マハトマ!」
全智の神「この建物、以前仕事で移動してた時に見た事あるます。亀戸の辺り」
七師「有能過ぎる」
全智の神なる大層な固有ハンドルネームの人物は、次々に画像をアップロードしていく。亀戸の一角を示す地図と、その航空写真だ。銭湯の近くには、確かにホテルが存在している。
七師「車で行ける距離だったので凸してみます」
七師「探索班きたー! マハトマ!」
七師「盛り上がって参りました!」
大師「ありがたい! マハトマ!」
凸とは、突撃するという意味のスラングである。現地に向かって調査を行う勇敢な暇人をアカチャネルでは探索班と呼び、感謝を表す『マハトマ』の言葉で讃えるのだ。
七師「凸の師、固有ハンドル付けてよ。動向追いたい」
カラス「じゃあ、カラスで」
七師「自分も合流していいですか? 錦糸町にいるので、車で拾ってもらえると助かります」
カラス「了解。黒の軽自動車です」
カラスは続いて、車内を写した画像をアップロードする。窓はスモークシールで覆われており、既に陽も落ちている時刻も相まって情報量は少ない。それでも、口先だけではなく実際に出発している事の証明にはなるだろう。
カラス「向かってます」
七師「期待してるぞカラス師」
七師「こんな夜中に死体探しに行くとか怖過ぎて震える」
大師「チャネル立てといてアレですけど、自分なら絶対行かないです藁」
七師「大師クズじゃん藁」
笑いを表すスラングを並べ、チャネルは和やかな雰囲気で進行していった。
七師「自分もあのホテル泊まった事ある。ボロいし駅からも歩くんだけど、安いんだよね。ビジネスホテルなのに、カプセルホテルと大差無いレベル」
七師「やっぱり事故物件なんじゃね?」
七師「もしそうでも、死体を放置は流石にないと思うけどなあ。臭いもヤバいだろうし、放置する理由が無いでしょ」
死体の有無など、チャネラー達にとっては瑣末な事だ。くだらない事に皆で取り組む一体感こそが、電子の海を漂う孤独なオカルティスト達の欲するものなのだから。
七師「カラス師と合流できました。これから現場に向かいます」
時は少し遡って、錦糸町駅。
七師の一人である
今年で三十二歳。酒が入っていなければ、こんな酔狂に首を突っ込もうとは考えなかっただろう。
盛り上がるチャネルを眺めながら待っていると、黒い軽自動車が近付いてくる。それは駅のロータリーで停車した。啓介は今回が初めての凸であったため、見ず知らずの他人と会うのは少し緊張する。それでも酔った勢いに任せ、果敢に車へと近付いて窓をノックした。
「すみませーん。七師の者ですけども」
「ああ、鍵開けるから待って」
中性的な声が返ってくる。思ったより若い男なのかなと啓介が考えていると、がちゃりと助手席のドアが開いた。
「ボクがカラスだよ。どうぞ、七師さん」
中に乗っていたのは、背が高く若い女だった。整った目鼻立ちのしゅっとした美人だが、瞳は死んだ魚のようにじとっとして暗い。ウルフカットに整えた黒い髪は襟足を毒々しい蛍光色の水色に染めており、額にサングラスを掛けている。服装はすらっとしたグレーのスキニージーンズに細いタートルネックの黒い縦セーターで、驚く程に大きな胸が薄い生地の下でぱんぱんに張り詰めていた。
予想と大きく乖離した人物が出てきたもので、啓介は一瞬固まってしまう。
「どうしたの。やっぱりやめとく?」
「あ、いえ! すみません、乗ります」
啓介がそそくさと乗り込んで扉を閉めると、カラスはエンジンを吹かせる。彼女の姿を横目に見ると、先程より近くなった顔が目に入った。耳には銀色のピアスが無数に施されており、首元には刺青が覗いている。そのパンクな出で立ちに、啓介は興味が抑えられない。
「あの……失礼ですが、ご職業は何を?」
ミュージシャンだろうか。はたまた、多少剣呑な事にも手を染めているかもしれない。
「都内で霊感商法の元締めをしてるよ。新興宗教の教祖サマってやつ」
「教祖⁉︎ そ、それは凄いですね……!」
「ま、嘘なんだけど」
「へ、嘘?」
「嘘に決まってるでしょ。七師さん、騙されやすい人?」
「あ、あはは……そうですよね……!」
「電網探偵。ネット上の事件を専門にしてる探偵さ」
聞いた事もない単語を返され、啓介はまた揶揄われているのだろうかと少ししょんぼりする。
「ねえ、どうして凸しようと思ったの?」
「へ? あ、ああ。これは酔った勢いの度胸試しといいますか……」
「七師さん、そんな度胸が有るようには見えないけどな。肝試しなんて、気軽にやらない方が良いよ」
「そ、そうですよね。いい歳して何してるんだって感じですよね」
啓介はいつの間にか額にびっしょりと汗をかき、身体も小さく萎縮していた。その様子を見て、カラスは薄い笑顔のまま不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの? 気分でも悪い?」
「あっ、いえ。私その、おっしゃる通りの小心者でして……!」
啓介の口調は、まるで言い訳をしているかのようだ。必死な様子の彼に、何故かカラスは興味を持ち始めた。
「面白いね。君のそれって、どういう精神状態なんだい?」
黒い革手袋をはめた手を、カラスは啓介の太腿に遣る。すりっと優しく撫でられ、啓介の身体がびくんと小さく震えた。
「へ……精神状態……?」
「辛いの? 苦しいの? それとも……怖いのかな?」
「あっ、その。そうですね。怖いのかもしれません……!」
「へえ。人って、怖いとそんな風になるんだね」
カラスは太腿から手を離し、ハンドルへと戻す。彼女の奇妙な言動に、啓介の鼓動は激しく高鳴っていた。
「ボクはね、恐怖がどんなものかを理解したいんだ。体質ってやつなのかな。生まれ付き、そういう感覚が麻痺しているのだよ」
痛々しくも聞こえる発言だ。だが彼女には、それを真実かもしれないと思わせる不気味さが漂っている。
「……それも嘘ですか?」
「本当だとも。但し気を付けたまえ。ボクは真実よりも多く嘘を吐く」
「ど、どうしてそんな事……」
「この世界は、真実よりも多くの嘘で出来ているのだよ。であればボクの振る舞いこそが、正常な状態だとは思わないかね」
カラスの言っている事が理解できず、啓介は冷や汗が止まらない。自分の頭がおかしくなってしまったのかと、行き場の無い思考が脳内を巡る。
すると彼女は不意に啓介の手首を掴み、腕を自分の下へと引き寄せる。そして、自分の胸を無理矢理に揉ませた。
「ひいっ! な、何をしてるんです⁉︎」
「君は今何を感じる? 暖かい? それとも柔らかい? ボクの胸を揉んでいるって実感は有る?」
布の下の膨らみは啓介が体験した事のない淫靡な柔らかさを持ちつつも、確かな弾力で手を押し返してくる。その表面に立つこりっとした突起と、それに付随する小さな金属の質感が、服の下の状況を容易に想像させた。
「や、やめてください! 私に何をさせたいんですか!」
「感想を聞きたいのだよ。語彙が浮かんでこなければ、『はい』か『いいえ』でも構わない」
彼女の満足する答えを返さなければ何かもっと悪い事態になるような気がして、啓介は喉の奥から声を絞り出す。
「はい、有ります! 実感有ります!」
カラスは啓介の手を自由にする。素早く手を引っ込めた啓介は気が動転しており、突然の幸運を喜ぶどころではなかった。心臓は破裂しそうな程に警報を発している。
「その感触も、全てが真実だと思わない事だよ。この世はインターネットと同じだ。0と1の羅列が、複雑に見える森羅万象を形作っている」
「…………?」
「電網探偵は、世界の電網に蔓延る嘘を殺す仕事なのさ。これは真実だとも」
これが安里啓介とカラスと名乗る女の、数奇な運命に導かれた関係の始まりだった。
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