第1話 姉ちゃんは釘宮病
朝起きて、着替えを済ませてからリビングに行ってみると、姉ちゃんが目を爛々と輝かせながら、テレビにかじり付いていた。
『響け、愛の鼓動! プリティエース、参上!』
「くぎゅうううううううううううううううううううう~!」
日曜の朝から放送されている女児向け(または大きなお兄ちゃん向け)アニメを至近距離で視聴しながら、わけのわからない奇声を上げる姉ちゃん。
そんな姉ちゃんを呆れた目で見ながら、
「姉ちゃん、朝っぱらうるさいよ……」
と、僕は苦言を呈した。
「そのアニメがすごく好きなのはわかるけどさ、もう少し落ち着いて観たらどう? 朝から近所迷惑だよ」
「うっせえ! 今すごく良いところなんだよ! 静かにしているか、もしくは心臓止めてろや!」
「死ねってかこら」
仮にも実の弟に、その言い草はなんだ。
けどそんな僕のツッコミも、姉ちゃんは馬耳東風と言わんばかりにスルーして、再びアニメの方へと熱い視線を戻した。
十四歳の僕より二つ上の十六歳。戸籍の上では僕の実姉に当たる現役女子高生だ。
でも元来の童顔と女子の平均身長より幾分低いせいもあって、見た目は小学生(しかも幼児体型)にしか見えない。姉弟並んで歩けば、大抵僕が年上だと間違われるくらいだ。
けど本人は至って気にしていないらしく、今も平気で黒髪のツインテールという、その筋の変態どもが喜びそうな髪型をしている。合法ロリなんて言葉が世にあるけれど、これほどまでその言葉を体現している人もそうはいないと思う。
なまじ、顔も身内の目から見てもかなり整っている方なので、共働きで家を空けることが多い両親(ちなみに今日も朝から休日出勤である)からも、変質者に誘拐されやしないかしょっちゅう心配されている。
これで中身も見た目相応に天真爛漫だったら、さぞや変態どもの心をがっちり掴んでいたのだろうけど、神は二物を与えないというか、そうは問屋を卸さないというか。
見た目はとても可憐な僕の姉ちゃんは、実は──
「エースたああああああああああん! あはあ、ほんと可愛いよエースたん。というか、くぎゅうの声と演技が最高過ぎるよマジ神だよ濡れちゃうよおおお! くぎゅうううううううううううう~っ!」
ご覧の通りというか、ご覧の有り様のガチのアニオタなのである。
それも釘宮病と言われる、かなり重度な類の。
具体的に釘宮病がどういったものかを説明すると長くなるので、ある程度掻い摘んで説明すると、釘宮さんという名の声優さん──またはその人が演じるキャラにハマってしまった人たちのことを指すネットスラングで、姉ちゃんがまさにその釘宮病というわけなのだ。
正直、僕はあまりアニメやマンガといったものを見ない方なので──姉ちゃんの影響でそれなりに詳しかったりはする──なんで姉ちゃんがここまで熱くなれるのかは全然理解できないけれど、なにか夢中になれるものがあるのは素直に良いことだとは思う。
けど、それにだって限度はある。日曜のまだ眠い時間帯に、今のような突然の奇声に起こされたり、チャンネル争いで姉の特権を行使されたり、多大な迷惑を日々被っている。
しかもそれが幼少の頃からずっと続いているのだから、その苦労も言わずもがなである。
まあ、ぶっちゃけ釘宮病がどうこうというより、姉ちゃんの破綻した人格が最たる原因だとは思うけども。
「ていうか、今日は姉ちゃんが朝食を作る番じゃなかったっけ? ちゃんと準備してあるの?」
「知るかそんなもん! 今はプリティエースを観るのに忙しいんだよ! 腹が減ってるならその辺の生ゴミでも漁ってろや!」
「最悪かお前は」
盛大に溜め息を吐きつつ、僕はこれ以上姉ちゃんに構うだけ時間の無駄だと判断して、顔を洗うためにさっさと洗面台へと向かった。
「ふう~。今回も余裕で神回だったな。さすがは『魔法少女プリティエース』……今期覇権アニメと言われるだけのことはある。あとで録画を最低十回は観ておかねば」
顔を洗って戻ってみると、どうやら先ほどのアニメが終わったようで、姉ちゃんが恍惚した表情を浮かべながら、ソファーの上でくつろいでいた。
ああなると、姉ちゃんはなかなか動かない。横から文句を言おうものなら、
『人がせっかく余韻に浸ってんのに、邪魔してくれてんじゃねぇぞゴラァ!』
なんて烈火のごとく怒るに決まっている。最悪、問答無用とばかりに鉄拳を振りかざしてくる。人の心とかないんか。
正直めちゃくちゃ腹は立つが、変に波風を立てるよりは、怒りを呑んでスルーしてしまった方が利口だ。
なので、釈然としない思いを抱えながらも、しぶしぶ自分で朝食を作ろうと台所に立ったところで、
「おっ。
と、僕の動きに気付いた姉が、そう陽気に話しかけてきた。
「うん。姉ちゃんが当番をサボって作ってくれないせいでね」
「まあまあ。そんな不満そうな顔すんなよ。別にいつものことじゃん?」
「うん。お前が言うな」
そばにある皿を猛烈にぶつけたくなった。
確かにいつものことではあるけれど、ちょっとは反省の色を見せろよ。
「でもさ、こういう時って、つくづくオカンがいてくれたなあって思わん? 前みたいにオカンが主婦に専念してくれたら、わたしらだっていちいち当番なんて決める必要もなかったのに」
「それは仕方ないよ。母さんも僕たち家族を支えるために働いてくれているわけだしさ」
数年前までは父さんだけの稼ぎで生活していたのだけれど、あまりのブラック労働に体を壊してしまい、その後退職してどうにか無事に転職できたまでは良かったものの、前よりもずいぶん薄給となってしまい、それで専業主婦をしていた母さんも働かざるを得ない状況となってしまったのだ。
事情が事情なので父さんも母さんも責められないし、扶養されている側の僕らが責める権利なんて微塵もないが、それでもやはり、不満がないと言ったら嘘になる。
でも、やっぱり協力し合っての家族だと思うし、外で頑張ってくれている父さんと母さんの負担を減らすためにも、僕たちがしっかり家事をやるべきだとも思っている。これで父さんと母さんの助けになるのなら、家事くらいで文句を言うつもりはない。
あるとすれば、ちょくちょく家事をサボる姉ちゃんに対してくらいだ。
目下、それが一番の悩みの種でもあるんだけれどもね。
「で、湖太郎は一体なにを作るつもりなん?」
「んー。とりあえず、簡単にトーストと目玉焼きでも作ろうかな。姉ちゃんもそれでいいでしょ?」
「オッケーオッケー。働かずに食えるご飯ほど美味い物はないしな! がはは!」
「ちょっとは本心隠せよ」
我が姉ながら、頭痛がしてくるほどのダメさ加減だった。
「あ、そうだ。そういえば湖太郎ってさー、明日って暇なん?」
ふとなにかを思い出したようにそう訊ねてきた姉ちゃんに、僕はフライパンとトースターの準備をしながら、
「明日って、学校の創立記念日の?」
と、後ろを振り向かずに聞き返した。
僕と姉ちゃんは中高一貫の学校に通っているので、当然明日の創立記念日だって互いに休みとなる。土日と休みだったので、明日も合わせれば三連休だ。
「そうそう。月曜の日な」
頷きながら、僕のいる台所へとやって来る姉ちゃん。
「まあ、これと言って予定はないけどさ」
「だったら明日、わたしに付き合ってくれよ。家のことで大事な用があるんだよ」
「大事な用?」
なんかあったっけ? だれの誕生日でもないし、法事もなにもなかったはずだと思うんだけど……。
「おう。そりゃもう、とんでもなく大事な用だ。これを済ませないと、明日の朝日が拝めなくなるくらいにな……」
「んな大袈裟な……」
「これを済ませないと、わたしが家事をしなくなるくらいにな!」
「それは元からだろうが」
むしろ家事をすること自体、稀になってきているじゃねぇか。
「なあ行こうよ~。湖太郎がいないとダメなんだよ~」
「ああもう、引っ付くな鬱陶しい!」
べたべたと某猫型ロボットに甘えるメガネの少年のごとく纏わりついてきた姉ちゃんをひっぺ剥がしつつ、僕はこれ見よがしに嘆息をつく。
「……わかったよ。どうせ暇だし、家の用事なら僕にだって関係のあることだしね」
「サンキュー湖太郎! 断っていたら思いっきりぶっ飛ばしていたところだったぜ!」
「満面の笑みで物騒なセリフを吐くな」
しかも冗談とは思えないから、なおさら
「よし。じゃあ明日はちゃんと空けておけよな!」
「わかったわかった。だからちょっと離れててよ。朝食が作れないから」
「おっと、それは悪かったな。でもお腹も空いてるし、なるべく早めに頼むぜ。チャーハンとギョーザ」
「トーストと目玉焼きつっただろうが」
人の話をちゃんと聞け。
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