LSDとぼくらのサマーアドベンチャー
鴨ナツ
1 LSD作ろうぜ!
「……なんだって?」
ぼくの隣に座るユーイチは、分厚い文庫本をぱたんと閉じると、意味がわからない、という顔を浮かべた。
「だから、LSD作ろうぜ!」
ソファに腰掛けるぼくらに背を向け、ゲームのコントローラーを叩くように動かすケンタは言う。「ユーイチなら作り方わかるっしょ?」そんな呑気な声と一緒に、正面のテレビから激しい銃撃音が響き渡る。
背後の窓から差し込む太陽の熱さに、ぼくの背中はびしょびしょになっていた。
ぼくは堪らなくなって、ボロボロになった黒革のソファから立ち上がり、カーテンをしゃっと閉める。
それから薄暗くなった部屋の中、ゲームに夢中なケンタと、本を閉じたままその背中を睨みつけているユーイチを交互に見やった。
「ショウだって、LSD作ってみたいだろ?」
部屋に漂い出した緊張感のようなものが何なのかよくわからないままソファに戻ると、不意打ちでケンタから話を振られてしまった。
「……LSDってなんだっけ?」
ぼくは英語が苦手だから、そう返すほかなかった。「GPSとかUSBみたいなやつ?」ユーイチに作り方を訊ねるくらいだから、そういう機械系の話だろうか、と僕は考える。
「全然ちげーし」
呆れた声でケンタは言う。「LSDっていうのは――」
「幻覚剤のことだよ」
ケンタが説明するより先に、ユーイチが冷たい声で答えてくれる。「作るだけでも犯罪。違法ドラッグだよ」
幻覚剤。
違法ドラッグ。
その言葉を、ぼくは内心で復唱する。そこから連想したのは、やせ細った病的な姿をした人たちが、暗がりの中で注射を打ち合う場面だった。
スーっと背筋が凍てつく感覚。
いまケンタが話している内容は、とても物騒なことかもしれない。ぼくの脳内で危険信号がピピピと点滅する。
――おいケンタ、君は正気か?
友達に誘われても、断る勇気。
毎年、終業式なんかで先生たちから口を酸っぱくして言われる『あぶないクスリの勧誘は断れ』というものが頭をよぎる。今って、そのとき?
「俺はそういうの、興味ないね」
ぼくが断り文句を言うよりも先に、ユーイチがため息を吐いた。「大体、俺は勉強で忙しいし」
「はいダウトー!」
ゲームを続けるケンタがユーイチにつっこみを入れる。ゲームの残り時間は1分を切っていた。「本当に勉強で忙しいやつは、土曜の昼から遊ねえだろ、がっ」ブラウン管に映る銃撃戦は、目まぐるしい視点移動を繰り返して進んでいく。
ケンタのゲームプレイを見ていると、ぼくはいつも目が回りそうになる。
「……そもそも、LSDって違法なんでしょ?」
ぼくは声を低くして、ケンタの背中に問いかける。「なんでケンタはそんなものを作りたいわけ?」
ゲームの残り時間が0になる。
ゲーム終了。それから表示された結果に満足したのか、ケンタは機嫌の良い表情を携え、くるりと回ってぼくたちの方に身体を向けた。
ごほん、とケンタは咳ばらいをし、
「ユーイチくんよ、君が尊敬する人物は誰かね?」
芝居がかった老人のような口調。問われたユーイチは少し嫌そうな顔をしつつも、「スティーブ・ジョブズ」と素直に答える。
「そうだ、スティーブ・ジョブズだ!」
ケンタは両手を大きく広げ、オーバーに手を振り回しながらこうまくし立てる。「今は亡きスティーブ・ジョブズ氏は言った――LSDの幻覚こそが、人生において最も重要な経験であった、と!」
そう言って立ち上がるや否や、ケンタはソファまでやってくると、ついさっきぼくが閉めたばかりの背後のカーテンを勢いよく開けた。「外を見てくれ!」
突然の眩しさに思わず目を細め、ケンタに言われるがまま、ぼくは外を見た。
外には青々とした田んぼが、うねうねと張り巡らされた住宅街の道路を跨ぐように点々と広がっている。街の向こう、山の稜線を突き抜けるようにそびえ立つ富士山は、もうだいぶ雪解けして土っぽい色になっていた。
なんというか、夏の片田舎のような景色だな、とぼくは思った。
「ほら、ユーイチも見ろって!」
呆れ顔を浮かべるユーイチに対し、大げさな動作でケンタが手招きする。「これは真面目な話だぞ」
窓に目も向けず、ユーイチはソファに座ったまま沈黙を続けた。
「ほらユーイチ、富士山が土の色してるよ」
「……」
ケンタの話について行く自信がないぼくは、ユーイチに視線を送る。お願いだユーイチ、助けてくれ。ぼくじゃ話についていけない。
ぼくのSOSが伝わったのか、ユーイチはため息を吐くと、首をひねり、窓の外へ目を向けてくれた。
「……で? お前はこの田舎の景色を幻覚で見たいわけ?」
「物分りのいいヤツだな。そのとおりだ」ケンタは自信ありげに窓の外を指差す。「でも俺が見たいのは、この景色全部じゃなくて、田んぼだ」
「え、田んぼ? なんで?」
意味がわからなくて、ぼくはケンタに訊き返す。
「どうやらスティーブ・ジョブズは麦畑の中でLSDを体験したらしい」
アメリカが麦畑なら、日本は田んぼだろう。
ケンタはわくわくした面持ちで、ぼくたちに言う。「稲がバッハの音楽を奏でるのをみんなで見ようぜ」
★
【スティーブ・ジョブズ LSD】
その日の夕方、ケンタの団地から帰宅したぼくは、家のパソコンでそう検索してみた。
すると色々な検索結果がヒットした。中には、LSDがどういった化学構造をしているのが丁寧に解説しているようなサイトもある。いくつかのサイトを回ったのち、結局LSDについてよく理解できなかった僕は、最終的にスティーブ・ジョブズのウィキペディアを読むことにした。
ウィキペディアによれば、スティーブ・ジョブズは高校生のときからLSDを使いはじめたらしい。その中でも特別だった体験が、「麦畑がバッハの曲を奏でる」というものだった。
その文章に思わずぼくは吹き出す。
「なるほどなあ……」
面白そうなことには目がない、あのケンタだ。ケンタはこの記事を見つけ、次の瞬間にはLSDについての情報を山ほど調べ上げたに違いない。
「ショウ、ご飯できるよー」
おいしそうな匂いと一緒に、キッチンからお母さんの声がした。
ぼくは適当に返事をして、急いで【スティーブ・ジョブズ LSD】についての検索履歴を消した。それからパソコンの電源をぱぱっと切る。別にやましいことをしているわけじゃないけれど、これからしないとは限らない。
そう――このとき、ぼくの中ではもう、ケンタとユーイチとLSDを作ることに躊躇いみたいなものはなくなっていた。
田んぼがバッハの曲を奏でるのを、ケンタとユーイチと眺める。
もうすぐはじまる夏休みで、それがぼくにとって一番楽しみなイベントになっていた。
だからケンタを笑うことはできない――結局、ぼくも「面白そうなこと」には目がなかったのだ。
LSDとぼくらのサマーアドベンチャー 鴨ナツ @kamonatsu
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