序章⑥

「父さまと母さまはどうしているの。どこに行っちゃったの」

 少年はいままで忘れていた、両親のことを不意に思い出したのだろう、ダリウスの顔を不安げに見上げた。


「心配ござりませぬ若さま。殿も奥方さまもご無事でござります。ここを抜け出せばすぐにお会いできますぞ」

 ダリウスはなにかに耐えるように唇を噛みしめ、少年の目を見ずにそう応えた。


 ほかの兵達も皆下を向いてしまう。

 すでに少年の両親はこの世に生きてはおるまい、まだ生きているとしてもその運命はもはや決まっていると言えた。

 皆そう思っている。


 少年の父でありサイレン公国の領主である、大公フリッツ・フォン=サイレンⅢ世が、楼桑国の重騎士の剣で、脇腹を刺し貫かれるのをダリウスはその目で見ている。


 フリッツはダリウスに息子の命を託して、自ら剣を取って時間を稼いだのである。


 敵兵の一番の目的は、王である自分の命であることは分かりきっていた。

 自分が逃げれば、敵は血眼になって追って来るだろう。

 そうなれば、どの道逃げ切れるものではない。

 ライディンが仕掛けた今宵の侵攻に、そんな手抜かりがあろうはずがない。


〝大公フリッツの首は、必ず討つように〟

〝この一時が此度の肝です、逃げられてはなんの意味もない〟

〝この命を遂行できねば、例えサイレンが陥落したとても、指揮官殿には命に替えて責任を取ってもらいますぞ〟


宰相ガリフォンは、生きたまま捕らえてくだされ〟

〝戦後のサイレン統治に、あの者の存在は役に立ちます〟


 これがライディンからの厳命であった。


 シルバラード(ヴァビロンの帝都)を出立する間際、ライディンからそう耳打ちされたシュザイロン伯爵は、心の底からぞっとした。

 帝国でも一、二を争う豪胆で知られる将軍の心底を、こうまで寒からしめるとはライディンとはどこまでの人物なのだろう。


〝お任せください枢機卿猊下、必ずやフリッツとか申す小童の首は、わが手中に・・・〟

〝お頼みいたしたぞ〟

 緊張気味に応えるシュザイロンへ、ライディンはそう短く発して微笑わらった。


 サイレンへの侵攻はライディンが二年の歳月を費やし立案した、完璧な作戦であった。


〝必要とあらば兵はいくらでも出すが、その命は費やさぬ。そこしかないと言う絶妙な時期に、これしかないと言う効果的な手を打ち、目の醒めるような最も効率のよい行動を取る。そうして最小限の犠牲で事を完遂する〟


〝命を懸けて戦をするのは他国の兵、わが帝国の将兵は数の力で闘わずして勝つ。それが最上の勝利なり〟


 これが常日頃からの、彼の口癖だった。

 その通り、今宵の戦闘に於いても犠牲が出ているのは楼桑兵であった。


 そんな水も漏らさぬ計画であっても、現実は小さな齟齬が生じるものだ。


〝ルーク〟という彼の眼中にもなかった小さな命が、この世に残ったことがライディンの晩年に、大きな変化をもたらすことになるとは皮肉なものである。

 それどころか大陸の歴史そのものにまで、決定的な影響を及ぼすこととなってゆくのであった。



 実際に戦闘を行っているのは楼桑兵だが、公都トールン近郊や諸侯が治める主要な領地、そしてサイレン国境線には夥しい数のヴァビロン軍が展開しており、一分の隙もない布陣が敷かれていた。


 地方領主が保有する騎士団や、国境を守護するサイレン兵たちもその圧倒的な軍勢に包囲され、ほんの一部(特に善戦しているのは公国東部を治める領主・ノインシュタイン侯爵率いる『殉国騎士団』である。このノインシュタインだけは連合軍に最後まで屈服しないどころか、逆に反撃し公都奪回を目指しトールン間近にまで進軍した)で奮戦を見せている騎士団はあるらしいが、ほとんどが降伏なり壊滅なりという状態であった。


 以前のサイレン公国には、いま以上の武力があった。

 各領主が保有する騎士団の数も多く、その規模も壮観なものであったと言われている。

 サイレン家の縁戚に当たる大領主も健在で、その騎士団は無敵とまで謳われていた。

 

 しかしサイレン史上最大の内乱『トールン大乱』と呼ばれる、国運さえ傾くほどの騒動を経て、その力は徐々に衰退していった。

 それまでサイレン三家と呼ばれた直系大公家も、事実上現在のリム大公家のみとなっている。

(詳細は別巻『眞説・トールン大乱』による)


 されどその当時の戦力があったとしても、大国ヴァビロンの軍勢に対抗し得るほどのものではなかった。


 なんと言っても肝心要の〝公都トールンと星光宮〟が陥落してしまっていては、もはや話しにもならない状況である。


 前述の『殉国騎士団』の忠誠心と屈強さは、後々までサイレン国民から賞賛される事となる。


 一方それに匹敵する武力を擁する『バロウズ騎士団』は、その後サイレンの民の怨嗟を一身に背負うこととなった。


〝湖水伯〟とまで謳われたバロウズ伯爵が治めるグリッチェランドが、楼桑軍の侵入ルートとして無抵抗で敵を通過させてしまったのである。

 バロウズ伯本人は知らぬことであったのだが、彼の重臣がヴァビロンに懐柔され裏切っていたのである。


 これ以降バロウズ家は〝売国伯〟と罵られ蔑まれることとなる。


 不幸なことにこのバロウズ家はその当主の確固たる忠誠心と愛国心とは裏腹に、常に悲劇に見舞われる運命にあった。

 誠実で純粋であるが故に、結果として国を裏切らざるを得ない宿命を背負い、悲劇の中に滅び去るさだめの家系であった。

(それはバロウズ家最後の当主となる「湖水公」「バロウズ宰相」「湖の騎士」等と称された〝クリストファー・アール=バロウズ公爵〟の悲恋の物語として後々語られるであろう)


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