序章④

「楼桑国の後ろでヴァビロン帝国が糸を引いているのです。ヴァビロン帝国の圧力に抗しきれず、長年の盟約を裏切り、今夜の夜襲を掛けてきたのでしょう。王であるシリウス陛下も、兄のヴォーレン殿に幽閉されていると聞きます」

 指揮官格の兵が、吐き捨てるように言った。


「むむっ――」

 ダリウスが怪訝そうな表情で、その兵の顔を見据えた。


〝こやつ、どこぞで出おうたことがあったか?・・・〟

 左目の下にある小さな疵痕を、確かに見た覚えがあったような気がしたのだ。

 ケルンという名にも、聞き覚えがあるような気がする。


 老人の目蓋が微かに細められた。

 ダリウスは記憶を辿ったが、思い出すことは出来なかった。


「なぜそれを――」

 なぜその事を知っているのかと、歩を止めてダリウスが目顔で詰問する。

 まだほんの一部の人間にしか知らされておらぬ、最高機密情報であったからだ。


「はっ、わたしは一旬前に近衛騎士団・百人隊長に任命されましたケルンと申します。近衛の屯所で上官であるルーファ司令と、聖龍騎士団のアルカス閣下が話しておられるのを耳に致しました。けっして盗み聞きではありません、偶然聞こえてしまったのです。もちろんこのことは、誰にも他言はしておりません」

 ケルンと名乗った兵士が居住まいを正し、腰を折って答える。


 その言は真実なのだろう、彼と行動を共にしてる他の兵たちの顔が驚いているのでわかる。

 今夜の奇襲が楼桑国の仕業だと言うことはいまや周知の事実だが、その背景に関する事柄は初耳だったらしい。


〝こやつ嘘は言っておらぬようだな〟

 ダリウスは直感した。


 そうして、無言のまま眉間に深い皺を浮かべる。

 その無言が、ケルンの言葉を肯定していた。



 楼桑国では、昨年王の交代劇があった。


 三十七年の長きににわたり君臨したロルカ王が亡くなり、正嫡であったシリウス王子が順当に新王に即位した。


 サイレンとの盟約をとりわけ大事にしている、次男ながら正嫡であるシリウスが先代王の跡を継ぎ新国王になってから、まだ一年ほどしか経っていない。

 諸国の来賓列席の中で新王即位の盛大な戴冠式が行われたのは、ほんの半年前のことである。


 シリウスは同じ正室である母から生まれた妹ロザリーが嫁いでいる、サイレン公国を父王の時代以上に手厚く扱った。

 義理の弟であるサイレン大公・フリッツとも、実の兄弟以上に馬が合うようすであった。

 歳もふたつしか違わない。


 それこそこの二国は楼桑の王女ロザリーのサイレンへの輿入れ以降、まるで蜜のように親しく睦み合っていた。



 先ほど名前の出た王兄ヴォーレンは長子ではあるが正妻の子ではなく、側室との間に出来た庶子であった。

 シリウスとロザリーにとっては異母兄となる。


 ほかにも男子として産まれた庶子が三人いたが、そのいずれもが成人前に臣籍へと下っていた。


 先代のロルカ王が急な病で倒れた際に、このヴォーレンを次期国王に担ごうと画策した一団があった。

 どこにでも見られるお家騒動が、楼桑国にても発生したのである。


 策謀の張本人たちは現体制の下で冷遇されている貴族、宮廷で閑職へと追いやられていた文官や、反主流派となって冷や飯を食っている軍人等で形成された不満分子たちであった。


 この騒動がややこしくなった原因は、嫡男であるシリウスがまだ王太子の地位に立っていなかったことにある。

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