第5章 黄泉返りの魔王 11
ビシッと俺たちに向けてピエールは敬礼する。
王国に常備軍はあるが、規模は大きくなくて、さらに俺の前世のそれと比べると洗練されていないという印象だったが、ピエールは俺の思っていたこの世界の水準を上回っている。
「ではよろしく頼む。ギー小隊長、ガラットーニ辺境伯のところには適当なタイミングで向かうから、そのようにしてくれ。くれぐれも我々のために他の用件を後回しにしないように伝えてもらいたい」
「承知しました!」
この場合の適当とは、適切なタイミングという意味だ。
俺たちはピエールに案内される形でシクラメンへと入市する。
立ち並ぶ建物は王国のそれとは雰囲気が異なる。
町の設計から、建物の設計まで、全てが帝国風なのだろう。
「どの建物も外に階段があるな」
「王国生まれの方はまずそこに注目されますね。帝国は雪の深い国ですので、玄関を地面と同じ高さに作ると雪に埋まってしまうんです」
「この辺りでもか?」
「シクラメンはそこまでではありませんが、帝国様式として根付いていますので、自然とそうなったのだと思います」
「ねえ、アンリ、観光してる場合じゃないんじゃなかった?」
「もちろん。目的は馬車だよ。というわけだ、ピエールくん。この町で馬車を借りる、または買えるところへ案内して欲しい。道中、色々質問に答えてくれたら助かる」
「私がご案内できるのは庶民向けのものになりますがよろしいのですか? 殿下や閣下の格に合った馬車を手に入れるには領主様に依頼するのがよろしいかと愚考いたします」
「今回は格より早さ重視だ。既製品を借りるか買うかしたい」
「承知しました。そうなると大工のところに行くか、乗合馬車の車庫か、ですね」
「どう違うんだ?」
「大工のところにはまだ買い主に引き渡されていない馬車がある可能性があります。新品が手に入るかもしれません。乗合馬車の車庫は常に交換用に余剰の馬車があります。ただ乗合馬車ですのであまりまあ、質が……」
接収が自然と選択肢に入ってるの軍隊って感じでヤバいな。
「乗合馬車のほうだな。確実に押さえたいんだ」
「そういうことであれば、はい。ご案内いたします。すぐそこですよ」
まあ、乗合馬車が行き来するとすればピサンリに向けてだろうから、車庫は南門の傍に作られていて当然か。
「ピエールくん、王国の、というよりガラットーニ辺境伯の統治はどうだ?」
「帝国時代は私はまだ幼かったのですが、格段に良くなったと思います。かつて人々は誰もが苦しみと憎しみ、そして飢えを抱えて生きていました。今はそのいずれもが解決されています」
「そうか、重税と飢えか」
「そうですね。この辺りは小麦が育ちます。しかし農家は育てた小麦のほとんどを税として奪われます。小麦を作っているのに飢えるなんてあんまりじゃないですか」
帝国国土のほとんどは寒すぎて小麦の生産に適さない。
帝国貴族がパンを食べたければ、南方から小麦を召し上げるしかない。
小麦はその保存性から備蓄しておくべき戦略物資であるから、そういう事情もあるかもしれない。
「また王国との開戦にあたってこの辺りからは徹底的に徴兵が行われました。強制徴募です。私はまだ幼かったため対象にはなりませんでしたが、父は徴兵され戦死しました」
「それでは王国に対して恨みがあるのでは?」
「それが恨みは帝国に向きましたね。負けて王国の傘下に入って生活が良くなったからかもしれません」
民衆にとっては領主が誰だとかはあまり関係ない。
彼らが一番関心を持つのは、生活が苦しいかどうかだ。
「だから志願を?」
「母はまだ元気ですから。今の生活を守るためには帝国からこの町を守るしかありません。だから志願しました」
なるほど。
実はシクラメンの経済状況は良いとは言えない。
穀倉地帯にあるシクラメンは、帝国傘下にあったころ農業が盛んな町であったそうだ。
だがそれは大森林という擁壁に守られた安全地帯だったから農業ができていたわけで、現状のように王国と帝国が睨み合っている国境線ではのんびり農業などできるはずもない。
そんなわけでシクラメンでは失業者が結構な問題だ。
戦後すぐは破壊された城壁の修復などの公共工事で失業者が出ないようにしていたが、それも修復が終わってしまった。
農業に戻ることもできない労働者たちは失業者となって町の治安悪化を招いている。
もちろん王国でも問題視していて、大量の金と食料が国家からシクラメンに注ぎ込まれている。
一番怖いのは民衆の反乱だからだ。
常備軍がいるので民衆を抑えることはできるだろうが、帝国と連動されると無理だ。その場合、シクラメンは陥落する。
そうなると王国が整備した街道を使って帝国は王国本土に攻め込んでくるだろう。
「親孝行なのはいいことだ。結婚は?」
「まだです。というか相手がおりません。シクラメン市民でありながら王国軍に志願した男というのは、中々に立場が複雑でして」
「なるほどな。士官を目指すので無ければ、そろそろ退役じゃないか? そうしたらお母上を連れて本土に渡る手もある」
「シクラメン出身でも大丈夫でしょうか?」
「北方から離れたら、まあ」
ちょっと言葉を濁してしまう。
ピサンリは反帝国感情の強い都市だ。
なにせ直接攻められてるからね。
王都はそれほどでもない。
帝国は危険な隣国ではあるが、東方ほどではない。
もしかしたらシクラメンは奪われるかも知れないが、ピサンリで止められるだろうというのが大方の予想だ。
まあ、実際大森林の街道を抜けてくる軍勢なんて囲んでボコればいいだけだしな。
隘路の出口で半包囲して叩くのは基本。
とは言え、どこに戦争経験者が混じっているか分からないし、経験者ではなくとも家族が、親族があの戦争で亡くなったという人は結構な数がいるだろう。
それでも王国軍人となったからにはシクラメンに居続けるよりは本土のほうが結婚はしやすいはずだ。
「お母上はまだご健在かな? つまり移動が苦ではないか?」
「まだ壮健ですが、ここで生まれ育った人です。離れるのは嫌がるでしょう」
ああ、確かに。
ピエールは王国に偏見が無いみたいだが、母親は旦那を王国軍に殺されているわけだから、本土に来いと言っても難しいだろう。
そんなことを話しているうちに車庫に到着した。
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今年も本作をどうぞよろしくお願いいたします。
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