第3章 帰らずの迷宮 7
獣人奴隷の少女を収納した俺たちはそこで野営することになった。
まずは安全確保のために懐かしの狼たちを呼び出す。
後々のことを考えて実体化はしていないバージョンだ。
大物の多いこの8層では魔物を倒してもらうところまでは考えていない。
足止めして、俺たちに知らせてくれればそれでいい。
召喚魔法を初めて見る2人は俺の影から現れた狼たちにぎょっとしたが、彼らが大人しく敵意が無いことが分かると、その毛並みに触れ始めた。
野生の狼と違って臭くないもんね。
「こうして見ると可愛いわね」
「もふもふ」
狼たちもまんざらではないようだ。
甘えた声を出して俺たち3人に体を擦り付け、手や顔を舐めてくる。
これは狼というより犬ですわ。
まあ体の大きさとか、毛皮の感じも犬とはやっぱり違うけれど。
「ちょ、まっ、舐められると流石に臭い」
臭いに関しては不思議だね。
浄化魔法で舐められた後の臭いは消せるけど、口臭そのものが消えるわけじゃないんだよね。
「それじゃ皆、周辺の警戒を頼んだよ」
俺がそう言うと狼たちは迷宮の中に散っていく。
狼のよだれに浄化魔法を掛けて人心地ついた俺たちはとりあえず食事にすることにした。
収納魔法からテーブルと椅子を出して、皿の上に屋台で買った食べ物を並べる。
もちろん時間を止めてあったので料理はいずれもできたてのホカホカだ。
「ダンジョンでの食事って一体……」
シルヴィが唖然としているが、ネージュは当然という顔だ。
俺はどっちかっていうとネージュさんが心配ですわ。
これは普通じゃないんですよー。
でも俺が居る限りはできる限りの快適空間を提供していく所存である。
まあ、さすがに王子様と合流してからは、王子様の席になりますけどね。
食事を終えてからは寝床の用意だ。
ベッドを3つ並べた俺にシルヴィはもう諦めの境地のような顔をしていた。
「次は家が出てくるのかしら?」
「家とは言わないけど、小屋くらいなら準備できたと思うんだけどね。ただ壁があると周囲の状況が分からなくなっちゃうから……。でも風呂は用意した!」
「それはでかした!」
アホ一名追加の瞬間である。
木桶の湯船を取り出し、水魔法で水を張る。
魔法で水をほどよく加熱する。
「さすがに入浴中は無防備にも程があるから一人ずつな」
「誰が一緒に入るか! あと絶対にこっち見ないでよね」
「衣服は浄化魔法で勘弁してくれな。石鹸やタオルはここに置いておくから。俺は周辺を警戒してくるよ」
「私は一緒に入ってもいいのに」
「「ネージュ!」」
「よよ、嫁入り前の娘がそんなこと言っちゃ駄目!」
「服を脱いでたら戦えないだろ。危ないからひとりずつ!」
「分かった」
「あんた、ネージュと一緒に風呂に入ってたんじゃないでしょうね?」
「なんとか逃げ切ったよ!」
いや、ホント、マジで。
領主の屋敷の人びとも協力してくれてなんとか、ね。
とりあえず女性陣が風呂を浴びている間はその場から離れて警戒に当たっていた。
覗いてないよ。ホントだよ。
興味があるかないかと問われればそりゃあるんですよ!
だけどこんなことで嫌われたくないじゃん。
紳士を装うのです。
「終わったわよ。どうぞ、アンリ」
無駄に葛藤している間に2人の入浴は終わったようだ。
というか、周囲の警戒をまったくしてませんでしたね。
狼たちが頑張ってくれているから問題はないんだけどさ。
俺が入浴している間は2人が警戒に当たってくれた。
だから見られて興奮するタイプじゃないんです。
だけど2人が入浴した後のお湯に入るというのは、ちょっとドキドキしますね。
などと錯綜した思いを抱きながらお湯に浸かる。
肉体的な疲労は魔法で解消しているが、精神的な疲労がお湯の中に溶けていくようだ。
とは言っても女性陣より時間を使うわけにもいかない。
さっさと体を清めて、俺は身支度を整えた。
お湯と湯船を別々に収納し、2人を呼び戻す。
さて、寝るとしますかね。
翌朝、かどうかは分からない。
腕時計はこの世界にはまだ無いし、時計を収納で持ち込んでもいない。
いっそ持ち込んでもよかったかも。
時計の時間の流れを平常にしておけば問題なかったわけだし。
しかし今更そんなことを言っても仕方ない。
ここからは昼も夜も無い。
自分たちの時間の感覚で行動するしかないのだ。
寝床を片付け、朝食を食べて俺たちは出発した。
ちなみに狼たちも一緒です。
いや、シルヴィから突っ込まれたのだ。
狼たちが居れば探知魔法が無くても不意打ちを食らわないじゃないって。
なんで気づかなかったんでしょうね。
アホかな?
というわけで狼たちを先行させ、脇道なんかも様子を見てもらいつつ、さくさくと先に進んでいく。
9層、10層を越え、11層へ。
ネージュとシルヴィによると魔物の強さが一段階上がったそうだ。
冒険者が10層までで足を止めるのは、魔物の強さという理由があるんだろう。
まあ俺の魔法が直撃すれば一発なんですけどね。
12層、大物の魔物が徒党を組み始めた。
流石に前衛が2人だけでは追いつかない。
まあ、今は狼たちがいるからなんとでもなるんですけど。
今のところ地図に従って歩けば問題はない。
脇道の先がどうなっているのかが分からないのがちょっと怖いが、逆に言えばその程度のことだ。
小休止を挟みつつ、13層へ突入する。
迷宮というだけあって、通路は迷路のように入り組んでいるので、地図を見ていても迷いそうになる。
どこまで進んだかを書き込みながら進むわけだが、魔物に襲われている最中ではそれも難しい。
俺たちのようにほとんどその場を動くことなく魔物を処理できていれば問題はないが、普通の冒険者なら魔物との戦いで場所を移動することもあるだろう。
そうなれば現在位置を見失い迷ってしまうに違いない。
奴隷に地図を任せているのかもね。
地下に進むに従い、迷宮の広さは増していく。
地図が完成していないこともあるのだろうが、1層を進むのに数時間は掛かっているのではないだろうか。
それでも狼たちの支援もあって苦労することもなく14層へ入る。
「雰囲気が変わったわね」
シルヴィの言うとおり、14層はこれまでの階層とは雰囲気が異なっていた。
具体的に言うと通路が異様に広い。
15層にはドラゴンが居たとバルサン伯爵が言っていたが、おそらくこれだけの通路の広さがあればドラゴンでも動き回れるだろう。
逆に言うと13層まではとても身動きが取れないんですけどね。
少なくともダンジョンで生まれたドラゴンが地上に出てくることは無いということだ。
そうでもなければ町なんか作れませんよね。
それにしてもダンジョンの魔物はどういう原理で生まれてくるのだろう?
ネージュの大氾濫の例を考えると、魔力が集まって自然発生するということも考えられる。
ダンジョン内は自然界にはありえないほどの濃密な魔力だ。
十分にありえる。
俺の召喚魔法の実体化バージョンだって魔物を生んでいると言えなくもない。
魔物とは魔力によって生まれる存在なのかも。
だとするとドラゴンがあのように空を飛んでいたりするのもなんとなくだけど納得できる。
魔力を使って様々な事象を引き起こしているのだろう。
ブレスだって物理的にはありえない現象だもんな。
そして広い通路と裏腹に14層では魔物とは出くわさない。
地図に書いてある情報にも14層には魔物がいないとあった。
ここからはドラゴンがうろつく領域で、他の魔物はドラゴンを恐れて上の階層からは降りてこないのかもしれない。
広々とした通路を延々と歩き、ついに俺たちは最下層、15層へと到達する。
「結構疲れてきちゃってるわ。今日は14層に戻って休むのはどうかしら?」
シルヴィが弱音を吐くということは限界が近いのだろう。
俺たちは14層に戻り、野営の準備をする。
一方で狼たちの数を増やし、周囲の警戒だけでなく、15層の捜索にも向かわせる。
「さて、今日の夕食は王都のレストランのメニューだよ」
レストランでこちらが用意した食器に盛り付けしてもらい、そのまま収納魔法に収めてきたのだ。
とは言っても貴族が行くような店ではないので味は庶民的なものだ。
それでも疲れきった体にはとても美味しく感じられた。
食事を終え、風呂の用意をしようとしている時だった。
15層の捜索に向かっていた狼たちから反応がある。
狼たちとのリンクは五感を共有できるような便利なものではない。
だが強い警戒、そして救援を求めているのが伝わってくる。
「15層でなにかあったようだ。風呂は中止。すぐに向かおう」
ネージュもシルヴィも文句は言わなかった。
装備を整え、テーブルなどをすべて収納して駆け足で15層に向かう。
「食後の腹ごなしね」
「15層だ。油断はするなよ」
「分かってるわ」
狼たちが何かと戦っているのは分かる。
数がどんどん減っていく。
別の狼の一群が俺たちを追い抜いていった。
加勢に向かったのだ。
そして10分ほども走ったところでそれが見えてきた。
「ドラゴン……」
シルヴィの口から呟きが漏れる。
赤い鱗を持った巨大なトカゲのような魔物。確かにドラゴンだ。
だが――、
「小さいな」
あくまで比較としての話ではあるが、俺が大氾濫で何度も戦ったドラゴンたちと比べ、この帰らずの迷宮のドラゴンは一回りほど小さい。
背中に翼も無いし、本当にでかいトカゲみたいだ。
だがその口からは炎の息吹が漏れているし、間違いなくドラゴンなのだろう。
あえて言うならレッサードラゴンだろうか。
「待って、人が居る」
ドラゴンの巨体に目を奪われていて気付くのが遅れたが確かにドラゴンの周りには無数の人影がある。
ドラゴンと戦っている。
そして狼たちは彼らを支援していた。
狼たちがドラゴンを翻弄し、人間たちがその隙にドラゴンに攻撃を加える。
レオン王子の一行かと思ったが、よく見るとその中に見知った体型を見掛けた。
樽のように真ん丸なそのおでぶは見間違えようもない、バルサン伯爵だ。
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