第40話 明日花とロザリアの透明な部屋3

「あれ? ここは――」

 再び明日花はロザリアのいる透明な部屋にいた。招かれていたと言うべきか。透明な壁、家具、そして二人のいる場所は格子によって分かたれている。床の真っ白が果てしなく続いている。空はある。曇りだった。

 ここはロザリアと明日花が双方話したいという気持ちがある時に作られる部屋。明日花は常にうっすらロザリアと話したいと思っているので、明日花側としては門戸はいつでも開いているようなものなのだが。

「あたしも、明日花と話したいと思って」

 ロザリアは透明な椅子に座って透明なテーブルに肘をついていた。相変わらずという感じだ、と明日花は思う。

「奇遇だね、私もだよ。アッシュ・ブラッドレインについて、だよね?」

「その前に言いたいことがある」

 そう切り出されて、明日花は多少動揺する。それは全く予期していなかった。単刀直入に入るものだとばかり思っていた。

「あのアレなんなの? さっきのよ!」

「さっきの?」

 心当たりはなかった。何か私は間違いを犯したのだろうか、と明日花は考えるがやはり思い当たる節はない。

「アッシュを撫でて死んだでしょ!意味わからないし、ドン引きよ!」

 汚いものを見るような眼差しをロザリアに向けられる明日花。それに対して苦笑いを浮かべることしかできない。

「自分の命と天秤をかけらなければならないアッシュがつらい思いをしているのがわかったから。きっと、アッシュは殺される覚悟もあって、それでも私を殺した。私は、その選択を理解しているよって伝えたかったの。声は出せなかったから」

 生き残らせてもらえるのは一人だけ。アッシュはそう言っていた。

「明日花、あんた感覚麻痺してるわよ! 普通の人間ならね、アッシュを殺してでも生き残るものなの。誰だって死にたくないから。でも、明日花は違う。殺されすぎてイカれてる。それにね、殺す寸前にそんなことされて、さらに心の傷を負うことだってあるでしょう!? まあ、どうせ時間が戻ってあの世界線はなかったことになるんだろうけど」

 明日花はそれを聞いて少し考えた後に、

「優しさが人を傷つけるってこと? たしかに、それはあまり考えたことがなかったな。気づかせてくれてありがとう、ロザリア」

 と言った。それを聞いてロザリアは顔をしかめる。

 自分の優しさで人が傷つくことがあるとは本当に一度も思ったことがなさそうなところがヤバい――ロザリはそう思わざる得ない。

「やっぱズレててあんた怖いわ」

 ロザリアはため息をつきながら言った。

「でも、これが私の強みだと思う。ロザリアにはなくて、私だけにある強さ」

「そうかもね。鋼のメンタルって感じ。……明日花、忠告しておくわ」

 神妙な面持ちでロザリアは言う。真剣にロザリアは明日花を案じているのだ。

「たしかに、明日花は心が折れない。少なくとも、ロザリアになってからは折れていたことがあるようにはあたしには見えない。ここでは人の心を棒と例えましょう。普通の人間であれば、ちょっしたことで多少は折れる。ぐにっと曲がるようにね。ゴムの棒と考えてもらえばいいわ。折れ曲がって、歳月をかけてまっすぐに戻していく。折れ曲がったまま戻らない人もいるし、戻ったとしても完璧な直線にはならないことも多い。それが人の心――だと思う。人の心を折ったことのあるあたしだからこそ、それがよくわかっている」

 いじめで心を折る女だからこそ出る説得力のようなもの。

「あんたの心は言わば鋼の棒で――折れない。多少、衝撃を受けて表面がわずかにへこむとか、それぐらいならあるでしょうけれどもね」

「ねえ、それって良いことじゃない? なんで忠告なの?」

「あたしはあんたの知識から学んだ。この世界にはあまり金属の性質についての体系だった知識はなくて、魔法にばかり偏っているから。で、金属には金属疲労がある。これはつまり――って知識の主に説明するのも馬鹿らしいけど、外圧によって見えないダメージが蓄積して、突然真っ二つになったりする、そんな現象でしょ? 明日花、あんたにはこれが起こり得る、そんな危うい存在だと思っている」

「私の心はいつか、折れるとかじゃなくて修復不能なほどぽっきりいっちゃうってこと?」

「そう言ってる」

 それを聞いた明日花は、

「あはははは」

 といきなり笑い出す。これにはロザリアも困惑の表情を浮かべる。

「なんで笑ってるの、マジで怖いんだけど……」

「だって、あのロザリアが私の心配をしてると思ったら、なんだかおかしくて。悪逆非道の血の薔薇様が私の心配って!」

「だから、血の薔薇様なんて呼ばれてないから!」

「ロザリアとしては、私の心が折れた方が都合いいと思うけどね」

 ロザリアはそれを言われて、うっ、と言葉に詰まった。

 ――そうだ、なんであたし、こいつの心配しているんだ。

 ロザリアは明日花と魂を共有することで、自分に変化が生まれていることに気づいていない。

「ねえ、私の知識を見たならわかると思うけど、鋼や鉄は溶かして鋳造すれば作り直せる。もし、私の心が折れたとしても、ロザリアが直してくれると思うんだ」

「はあ!? あたしにとってはあんたがいなければ自分の身体に戻れるんだから、そんなことするわけないでしょ!」

 ロザリアは怒ってそう言ったのだが、明日花はそれを聞いてもただ微笑むばかりで、しかもその微笑みというのが自分が困ったらきっとロザリアが助けてくれるという確信から来る濁りのない笑みだったので、ロザリアはため息をついた。

 そして、やっぱりこいつとはわかり合えないとロザリアは思うのだった。

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