第6話 うわさのペンギン

  寒い寒い冬の季節。誰が言ったかこんな寒い日には珍しい生き物が現れるのだという。世界でも有数の極寒の街ゼレフ。そんな寒い街にしか現れないというのだからきっととんでもなく冷たい生物なのだろう。

  その噂話を聞いたのは1度ばかりではなかった。街の中で子どもが話しているのを聞いた時は、やはり半信半疑といったところだった。何せ子どもの言うことだ。根も葉もないホラ話、取るに足らない誇張に塗れた与太話に違いない。だが道行く大人たちまでもがその話をしているところを聞くと、どうにも真実味を増して聞こえるというものだ。

  所謂都市伝説だ。口頭で広がりそれが真実だろうが真実でなかろうが盛り込まれた情報のトッピングが対象をどんどんと大きくしていくのだ。私が聞く噂話もとうとうおかしな方向へ向かいだした。なんとその生物の正体は甘いアイスクリームでできたペンギンだというのだ。私は拍子抜けした。

  私が初めて噂を聞いた時、その生物の情報は実に乏しかった。とても寒い日にしか現れない幻の生物がいる。子どもが通りすがり様に言い放ったその言葉がやけに印象に残った。そうしてあらゆる場所でその話を聞くようになったが、身体が氷でできていて既存の生物の形態をしているというのだから、私が想像したのは氷でできた白狼のような飄々として吹雪とともに鳴くクールな生物なのだった。

  それがどうだ。街の皆は誇張に誇張を重ねた結果そのような結論に至ったというのか?都市伝説なら都市伝説らしく最強を目指すべきだ。そんな可愛らしい結論に至ってしまうなど嘆かわしい…。どうせ存在しない生物ならば歩くだけで雪崩を起こすだとか人々の魂まで凍てつかせるだとかそういった特殊能力を持たせて……いや、どうも私は野蛮らしい。この街の住人の心の穏やかさが顕れた結果なのかもしれない…。

  つまるところこの結論に至ってしまった時点で私はこの噂話に心底興味がなくなってしまった。この後に待ち受ける誇張ももはや可愛らしくなっていく一方に違いない。口にしたら全ての体温を奪われて死ぬだとか口から時速200km/hの氷塊を吐くだとかそういう血なまぐさい展開をだな……やはり私は野蛮らしい。

  そうしてこの噂話のことも忘れかけたある日、それは現れたのだった。


  それは寒いこの街の中でも特に寒い日だった。雲間からは太陽の見える場所もある程ではあったが外気は刺すように冷たく間もなく雪も降り出すことが告げられている。私は噂のことなどすっかり忘れていて、例の生物が現れるかもしれないなどということは微塵も思ってはいなかった。

  私が仕事から帰る頃のことだ。オフィスから出る頃には既に雪が降っており、積もった新雪の量がこの数時間で降った雪の量の多さを物語っていた。足を取られてはならぬと気をつけながら歩を進めていると積もったばかりで足跡もつかぬはずの雪に妙な足跡があるのを見つけた。私のオフィスは少し人気のないところにある。だからこの数時間で足跡がないことは別に珍しいことではない。ついでにいえば普通の足跡だったならばまだ珍しく人が通ったのだなと気にもとめることはなかっただろう。おかしいのはこの足跡の形だ。明らかに人の足跡ではない。どこか鳥類を思わせるような…。

  その時、私は例の噂話を思い出した。アイスクリームでできたペンギン。この足跡はペンギンにそっくりなのだ。噂の真偽はわからない。だが一時私の胸を熱くさせた伝説がこの近くにいるのだとすれば…?私は再びあの時の高揚が戻ってくるような感覚がして、鼻息荒く付近を見回すのだった。

  路上には何の姿もない。だが足跡が曲がり角に消えていくのを見た。私は足跡を追った。次第に濃くなり数も増えてくる。明らかに近くにいる濃さだ。私は息を荒らげながらその足跡を辿る。やがてたどり着いたのは、開けた空き地だった。ベンチが置いてあり、その裏側から正面に回り込むように足跡は続いている。つまり、そいつはこのベンチの上にいるに違いないのだ。

  酷く寒かったはずの外気に似合わず私の額からつ…と汗が伝った。ベンチを回り込んだ時、私は伝説の正体を知る!好奇心で高鳴る胸を抑えながら私はついにそのベンチを正面から見据えた。

  そこには、何もいなかった。ベンチの目前で忽然と足跡は消えていたのだ。ペンギンだったら空には飛べない。かといってこの足跡がついたのはほんの数十分の間かと思われる濃さだ。……よくよく見ると、ベンチの上にはクリームのような色がついている。これは…よもや本当に甘いアイスクリームでできていたとでもいうのだろうか?妙な方向にこじれたというよりは私と同じように真実を目撃した何者かが伝えたのだろう。

  恐らくは溶けてしまったと思われるがその伝説の存在に近づいた私は再びそのペンギンに対する興味が湧いてしまった。再び出会える日を夢見ながら私は噂話に耳を傾ける。何しろ出現から数時間で溶けてしまうのだから、目撃情報の新鮮さは重要だ。寒い日は街に繰り出しペンギンを探しては人の話を聞いていた。


「でねでね!その時ね!」

「むむ…」

「どしたの?」

「さっきから…なんか…見てる人がいる…」

「え?」

  今日もまた噂の調査に励む。ちなみに私は少女に興味があるわけではない。

「知り合い?」

「知らないひと…」

「ちょっと声掛けてみよっか」

「そう…しよっか…」

「おーい!おじさんっ!なにしてんのっ!」

「おわっ!」

  予期していなかった。少女が私に声をかけてしまった。今まではこっそり話を聞くだけにとどめていたものだが…逆に今日は話をききにいってもいいのかもしれない。

「わ、私は別に怪しいものではないよ。とある伝説を追っているのだ」

「伝説!?」

「そうだ。ここゼレフに出現するという幻の生物だ」

「む…もしかして…」

「お、お嬢ちゃん知ってるのかい?」

「前にも…ヘンな話をしてきたひとがいた…。アイスクリームでできたペンギン…知らないかって」

「そうだ!そのペンギンだ!」

「あー!メルトペンギン!」

「そう…私たち、会ったの。それでようやく…この前のひとが言ってたことの意味…わかった」

「会ったのかね!」

「あの日は多分かなり多くの人が見たよねぇ」

「校庭中に…いて…みんなでたくさん食べた…」

「食べたのかね!」

「すっっっごく美味しかった!」

「うん…給食…食べられなくなるくらい…」

「ほほぅ…やはり食べたら死んだりはしないのか…。だがやはり実在は確定のようだ」

「おじさんも会いたいの?」

「もちろんだ!この間もあと少しのところで溶けてしまったようでな…。残念ながらその姿を見ることはできなんだ…」

「む…そういえば…うちの先生…詳しいみたいよ…」

「あーそういえばやけに熱心な話し方してたもんねぇ」

「本当かね!」

「じゃあ先生に言って話をできるようにしたげるよ!」

「感謝するよ。それじゃあ…えっと…どうしようか」

「私たちと…学校…くる…?」

「いいのかね?」

「いいよいいよ!さぁいこー!」

  私はその子に手を引かれ彼女たちの学校へ連れていかれた。

「おや、保護者の方ですか?」

  校門の近くまで来たところで1人の男に声をかけられた。

「ううん、知らない人」

「なっ…どういうことだ!あなた、私の生徒の手を引いて、どこへ連れていこうというのです!」

「ごっ…誤解ですよ。私はこの学校で話したい人がいまして…そうしたらこの子たちが詳しい人に会わせてくれると…」

「それで、この手は?」

「それは…気づいたら…」

「それは私が悪かったかもです…。ごめんなさい」

「…まあいいだろう。それで?話したい人っていうのは?」

「ああ、とある伝説について…」

「伝説?その伝説ってのはもしかして…ペンギン…じゃないですか?」

「ぬぁっ!そうです!それです!」

「ふふふ…それなら話は早い。そのペンギンについて知っている者とは…私のことですから」

「なんと!あなたでしたか!」

「あなたがお探しのペンギン…それは、メルトペンギン!その身体はアイスクリームでできている!そしてこのゼレフの街では極めて寒い日にのみ出現する…」

「あ、そこまではまあ知ってるので、どこで会えるかとか…そういうのを…」

「かぁあぁっ!」

「なっ!?」

「最後までききなさい!」

「はいっ!」

「そしてメルトペンギンたちには様々な味があってだな…これがまた絶品!」

  教師の話はその後も続いたが、特徴ばかりですぐに会える目処のつく情報はなかった。

「それでそのペンギンにはいつ会えるのですか?」

「それはわかりません」

  先程までとは一転してクールダウンした彼は淡々と語り出した。

「何しろ幻の生物ですからね。そう簡単には出会えませんよ。でもこの間の大量発生はすごかったですね。この子たちもみんな堪能しましたよ」

「ね!」

「ん…」

「それは羨ましい…。私はその時丁度仕事をしていたのでしょう…」

「まぁ諦めなければきっと会えますよ。私もこれで何度も彼らに会っていますから。」

「そうですか…。そんなに古い時代からいるものなのですか?」

「そうですね。魔法生物という扱いになるので例の事件から存在していると言われておりますが、詳しいことはまだ不明ですね。何しろ痕跡が跡形もなく消えてしまうものですから。」

「それは確かに古いものですね…。私は最近その噂話をよく聞くのでそれで初めて知ったのです」

「どうやら彼らも有名になってきましたね。私の話を聞きたがる者も増えることでしょう」

「先生ってほんとにあのペンギンが好きなんだね」

「ははは。長年教師をしてると子どもたちに話して聴かせるのにうってつけの存在だからな」

「また…会いたいな…」

「私も会いたいものだよ」

「ふむ。断言はできないが近々来そうなものですよ。何しろここ最近寒い日が続いていますからね。1年に1度しか来ないとかそういうわけじゃないんです。それこそ夏にだって発生しているという噂もありますから。しかしね、すぐに溶けてしまうからこそ目撃例が少ないんです」

「やはりそういうものなのですな」

「あなたにはとっておきの情報を教えて差し上げましょう。メルトペンギンはその性質上発生からどんどん溶けていきます。それこそ地上に着く頃にはもう溶けきっている場合が多いのです」

「…ということは…」

「ええ、きっとあなたの想像した通りです」

「なになに~?」

「む…多分…出来たてをいただくって…こと?」

「おや、ミラちゃんは賢いね」

「……ふんす」

「うーん、しかしそれでは雲の高度まで飛べってことですか?あまり現実的ではありませんねぇ…」

「ふふふ。普通はそうでしょう。しかし今は魔法科学の時代。最先端の技術を使えば…ほらこの通り」

  教師は近くの小石をとるとそれを見事に宙に浮かせて見せた。

「なっ…!」

「おや、あなたは魔法には明るくない?ステレオタイプの考えはもう捨てた方がいいですよ。特に魔法生物を追う際には」

「確かにあの事件以降は魔法を使った技術やエネルギー改革が行われたものだが…私は未だに電気や燃料ばかりを信じておりますからな」

「まぁそういう人たちが多いのは私もよく理解しております。何しろあのような事さえ起こす力ですから…。しかしね、メルトペンギンは魔法生物であるけれどヒトには全く危害を加えないんですよ」

「あぁ、やはり完全に危害は加えないんですね」

「ん?何か残念がってません?」

「あぁ、いえ…私が初めに噂を聞いた時は氷でできた白狼が出るのだと思っていたので…ギャップがありまして…」

「はっはっは。それは確かに大きな差がありますな。大丈夫です。牙はおろか爪すらない、全身を食べることのできる安全な生物ですから」

「やはりそう聞くと会ってみたい…」

「ま、懲りずにまたきてください。きっといつかは会えるでしょうから」

「ありがとうございます。またお話を聴かせてください。それと、もし会えたら真っ先にあなたにご報告させていただきますね」

「おや、それは嬉しいですね。是非ともまたお越しください。私はキール・ネイブ。あなたとは良い友人になれそうです」

「私はベンジャミン・ローリア。きっと良いご報告をさせていただくことを約束します」

「ほぇ~オトナになってもこんな風に友達ってできるんだぁ」

「なんか…いいね」

「君たちもまた話を聴かせておくれよ」

「うん!私はマーガレット!メグって呼んでね!」

「私は…ミラ。…よろしくね」

「えへへ!私たちも友達になっちゃった~」

「それでは私は行きます」

「ばいば~い」

  雪が降っている。いつまでも止まない。きっと今日もどこかでメルトペンギンが生まれては消えているのだろう。私はまたあのペンギンを追い何度も街に繰り出している。新しい友にいい報せをしたいという気持ちもあるが、それ以上に私はその可愛らしいペンギンが白狼よりもよほど尊い存在に思えてきていた。心のどこかにあった野蛮な妄想は掻き消え私もそのメルヘンな思考に染め上げられてしまったらしい。なるほど、この街の住人が心地好い穏やかな性格なのもよくわかる。なぜなら私もすっかりその幻の虜になってしまったのだから。

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