第5話 夢見たペンギン

 大好きなぬいぐるみがあった。

 それは大きなペンギンのぬいぐるみで、当時の私は腕を回しても抱えきれないほどの大きさだった。

 流石に今ではそんなことはないだろうけど…もうそのぬいぐるみはここにはない。

 私が家を出た時に、持ってこずにそのままにしてしまった。

 そのペンギンは普通のペンギンとは違ったため非常にかわいがっていたのだった。

 そのペンギンは、頭が丸いアイスクリームになっていた。

 そんなペンギンはいないことはわかっていたけれど、もしもそんなペンギンがいたら…なんて想像を常にしたものだ。

 今は…そんな想像を思い起こす程の余裕もなかったりするけれど。

 私がこどもだった時、そんなペンギンが出た、なんて噂が立ったのだけれどもどうせただの噂にすぎないことだったろう。

 ……なぜ今そんなことを思い出したのか。

 私が5年ぶりに実家に帰ることになったからだ。

 私が家を出たのはとある些細なことがきっかけだった。

 両親との喧嘩。

 夢を持った私は後先も考えずに都へ出ることに決めた。

 親はそれをばかげていると協力してすらくれなかった。

 私を応援してくれていた妹に会えなくなるのは寂しかったけれど、それでも私は家を出て都へ向かうことに決めたのだった。

 そうして3年後、打ちひしがれた私がそこにはいた。

 夢破れ、ただ日々を繋ぐためだけに働き、ただ一人眠る。

 あの頃の情熱はどこに行ったのだろうか。

 何も果たせず、何も得られず、実家へ帰る。

 本当は心底嫌な気分だった。

 しかし私をずっと応援してくれていた妹が結婚するという報せを受けたら、行かない訳にはいかなかった。


「はぁ…」

 列車の中でため息を吐いた。

 どうにもならなかった都での生活を思い起こし、理想だけで親に反発したあの日を思い起こし…そうして涙を流した。

「なんて言おう…絶対怒られるよ…」

 悲しみと不安と罪悪感と…とにかくあらゆるものに押しつぶされそうになりながらも、そんな私をお構い無しに実家へと向かう列車は進み続ける。

 ガタンゴトン…ガタンゴトン…。

 泣き疲れた私を揺りかごで寝かしつけるように列車は優しく揺れる。

 次第に私は涙を拭くこともせずに眠りについていた。

「はいゼレフ~ゼレフ~ここで降りるお客さんは忘れ物に注意して………」

「はっ!」

 目覚めると目的の街に着いていた。

「おりまーす!」

 私は急いで列車を降りた。

 ドアが閉まり列車は走り出す。

 雪が降っていた。

 ホームはすっかり雪に覆われ非常に寒かった。

「うぅ…久々にここくるとやっぱ寒いな…」

 都よりかなり冷え込む。

 ゼレフの街は世界的に見てもかなり冷えるのだ。

「だから来たくなかったのにぃ~…」

 ほんとはそんな理由じゃないのだけど、何につけても八つ当たりをしたくなっている。

 誰にともなく吐いた文句は虚空に消えていった。


 家に向かうまでに見た景色は、懐かしさや後悔が入り交じったものだった。

 本当は見たくもなかった…でも来たからには…。

 街並みは随分変わったけれど、思い出は消えることは無かったようで……

 幼少を過ごした街角やまだ潰れていない商店、みんなでいったレストラン。

 その全部にあの日の私を見つけられた。

「あのペンギン…どうしたっけ…」

 虚ろな目で過去の自分を眺めていた私は、記憶の中の自分が常に抱えていたぬいぐるみに思いを馳せていた。


 遂に実家の前まで来た。

「………うぅ…」

 心臓がどうしても落ち着いてくれない。

 嗚咽が漏れ出す。

 …ここで泣いてどうするんだ。

 私は祝うために来たんだ。

 …どう思われていようと、あの子を祝いたいんだ。

 私は思い切って呼び鈴を鳴らした。

 キランキラーン。

 爽やかな音を立ててクリスタルが共鳴する。

 しばらくすると家の中からお母さんが出てきた。

「……あんた」

「………ただいま」

「なにがただいまよ…今まで連絡もよこさずに…」

 お母さんはぽろぽろと涙を零した。

「……ごめん」

 俯きながら謝る私を、母は震えながら抱きしめた。

「さあ、入ろう」

 そうして家の中まで私の肩を抱きながら歩いた。

「あんたー!ミコが帰ってきたよー!」

「なんだとー?!」

 家の奥から父の声が聞こえたかと思うと、ドタドタと足音が近づいてきた。

「ミコー!今までなにやってたんだー!!」

 大声を上げながら私の許に駆けてきた父は、私の目の前で息を切らせながら足を止めた。

「…ただいま」

「あんたはもう…そればっかりね!」

「なんで連絡を1度も返してくれなかったんだ!」

「…だって……だって…」

 私はそれ以上何も言えずに泣きじゃくった。

「………そうかそうか…」

 お父さんもお母さんもそれ以上何も言わずに私の頭を撫でてくれた。

「……頑張ったんだろ?ならもう何も言わないよ」

 私がずっと…ずっと心配していたことが全部杞憂だったと知った。

 バカにされると思った。

 怒られると思った。

 それが怖くて連絡もできなくて、帰ることも出来なかった。

 それなのに私の帰る場所は…こんなにも暖かった。

「ごめんなさい…私…私…」

「いいよいいよ何にも言うな」

 私は玄関先だというのにわんわん泣いた。


 ようやく落ち着いた私は久々の実家でくつろいだ。

「あ、お母さん、そういえばあの子は?」

「あの子も今は一人暮らしでね。あ、今は婚約者の方と2人か。気になったなら行ってきたらどう?」

「あの子に会いたいしちょっと行ってくるね」

 私はあの子の家を教えてもらい向かうことにした。


 あの子の家は実家から少し歩いたところに建っていた。

 呼び鈴を鳴らして声をかけた。

「シア!私だよ!お姉ちゃんだよ!」

「えっ!お姉ちゃん?!」

 ぱたりと扉が開かれる。

「うわあ!お姉ちゃんだー!ねぇねぇロイくん!アイクも!私のお姉ちゃんだよ!」

「ん?2人いるの…?」

「あ!そうかわかんないよね」

「どういうこと?」

「ふふ…驚くと思うよお姉ちゃん」

「どうもこんにちは」

 1人の青年が顔を出した。

「この人はロイくん。私の婚約者!」

「どうも、シアの姉のミコノ・フィアノです」

「ロイ・テディスです。妹さんと仲良くさせていただいてます」

「いい人そうね」

「すっごくいい人だよ!」

 無邪気に笑うシアの目の下にはうっすらとクマやシワがあった。

 …この子もあれから随分苦労したに違いない…。

「なんかシアちゃんお姉さんの前だと子どもっぽくなるね」

「え~そう?」

「なんか嬉しいね」

「お姉ちゃん大好きだもん!」

「私もシアが結婚するってきいたらどうしても帰ってきたくなってね」

「忙しかっただろうにごめんね」

 あぁ…この子は私が夢を叶えたと信じて疑っていない…幸せそうなこの子に今現実を突きつけるのは…どうだろうか…。

「そんなことないよ」

 私は深く言わずに誤魔化した。

「あ、そういえばもう1人いるんだっけ?」

「あ、そうそう1人っていうより…1匹?」

「ペット?」

「まあそんな感じ!」

「なぁんだ」

 私はほっと息を吐いた…のだがまたすぐに息を呑むことになる。

「ちょっと…それって…」

 シアが私を案内した先にあったのは…いや、いたのは…確かにあのぬいぐるみのペンギンだった。

「驚いたでしょ?アイクって名前で…メルトペンギンなんだ」

「メルト…ペンギン…?」

「ゼレフの寒い日にたまに現れる幻のペンギンですよ。シアちゃんは捕まえてずーっと飼ってるんです」

「捕まえるなんて人聞きが悪いよ。私に寄り添ってくれたアイクは私の親友なの」

「やっぱりいたんだ…」

「知ってるの?」

「知ってるのって…私が小さい頃に持ってたぬいぐるみ、知らないの?」

「あ…あー!」

「ていうか、生きてる…んだよね?」

 そのペンギンは確かにぬいぐるみではなかった。頭のアイスクリームを揺らしながらクーラーボックスの中で踊っている。

 触ってみるとひんやりと冷たかった。

「ひゃっ!」

「あはは、冷たいでしょ。食べることもできるんだけど…アイクにはやめてね」

「流石に妹のペットを食べる気は無いよ」

「僕は昔よく食べたんだけどそれを言ったら驚かれたよ」

 ロイくんが苦笑した。

「まあアイスクリームとして見るとものすごい絶品らしいから」

「へぇ…ちょっと興味があるな」

「だからだめだってば!」

 シアが頬を膨らませた。

「でも驚いたなぁ。私の大好きなペンギンが実在しているなんて」

「お姉ちゃんも探してみたら?今日みたいな寒い日にはもしかしたら会えるかもしれないよ?」

「確かに…でも寒さが勝っちゃってあんまり外には出たくないかな」

「もう子どもの頃みたいにはいかないもんね」

「うん…」

 なんだか気まずい。

 私は嘘をついているから。

 忙しいわけでもないし大人になったわけでもない。

 私の時間はもう止まってしまった。

 目の前が輝いていて、きっとこの子の大好きなお姉ちゃんだった頃のあの時間は。

 今はもう抜け殻みたいな私がそこにいて、花開かずに落ちた蕾のように……何にもなれずに朽ちてしまった。

「お姉ちゃん…どうしたの?」

「え?」

 シアが心配そうに覗き込んできた。

「な…なんでもないけど…なんで?」

「だって…すごく悲しそうな顔してたから…」

 シアは不安そうに私を見つめている。

「あ!そうだ!あのぬいぐるみ!あれどこ行ったのかなぁ?」

「……あのぬいぐるみは…」

「知ってるの?」

「…ほんとは内緒なんだけど」

「なに?」

「お母さんとお父さんが持ってるの」

「えっ!なんで?!」

「お姉ちゃんが都に行きたいって言った時のこと…憶えてる?」

「……忘れるわけないわ」

「あの日お父さんもお母さんも、お姉ちゃんのことすごく酷く言ったでしょう?」

「……」

「お父さんもお母さんも…本当は応援してたんだよ」

「嘘だッ!」

「本当だよ」

「私には…私には…!あんなことを言ったくせに!」

「2人のやり方は間違っていたと思うよ…諦めさせたかったんだ」

「それじゃあ最初から私は…」

「もういいんだよ」

「シア…」

「お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから」

「シア…あんた…知ってたの?」

「だってお姉ちゃん…あたしにも連絡くれないんだもん」

 シアは笑顔のまま涙を流した。

「ごめん…シア…私…」

「もういいよっ!お姉ちゃんは帰ってきてくれた!それが1番嬉しいことだよ!」

「ありがとう…シア…!」

「それで、ぬいぐるみなんだけど…」

「あ!そうだ!」

「お父さんとお母さんはお姉ちゃんが都に行くことを止められなかったから、せめてお守りにって、いつも大事にお祈りしてるみたいなんだよ」

「そうなんだ…」

 私は自分が情けなくなった。

「そういえばさっきぬいぐるみのこと忘れてるみたいだったじゃない?」

「ペンギンだったかなーってくらいしか憶えてないよー!私には気づかれてないと思ってるみたいでだいぶ前からしまいこんじゃってるからね!」

「ほんとに頑固なのよね…」

「お姉ちゃんもねっ!」

「う…言い返せない…」

「まあだから…これからはお姉ちゃんも私たちのこと…頼りにしてよ」

「…うん…ありがと」

「よし!じゃあまた式で会おうね!」

「うん!暗い話しちゃってごめんね!本当におめでとう!」

「ありがと!」

 私はシアの家を出た。

 辺りはすっかり暗くなっていて、街灯の灯りと月明かりだけが道を照らしていた。

 スポットライトのように点々と照らされる道が、なんだか魅力的だった。

 照らされた道にはさらに雪も舞い、より幻想的に見えた。

「綺麗…」

 私は足を止めその景色に見入った。

 寒さのことなどすっかり忘れて。

 しばらくみていると、その舞台上に何者かが現れた。

「…え?」

 ちらちらと雪の中に雪より大きい何かが見えた。

「なんだろ…」

 だんだんと地面に近づいてくるそれはようやく姿が見えるようになった。

「あ!これは…ペンギン?!」

 それはペンギンだった。

 でもただのペンギンじゃなかった。

「頭がアイスクリーム…あのペンギンだ!」

 私は急に鼓動が速くなるのを感じた。

「ど…どどうしよう…捕まえる?逃げちゃうかな?でももう少しみてたいかも…」

 あたふたしている私を差し置いてそのペンギンは踊り出した。

「か…かわいい…それにこの色も私のぬいぐるみと同じピンク色だ…リボンがついてるところまで同じなんて…」

 まさにそれはあの日のぬいぐるみだった。

「私…夢でも見てるんじゃないかしら?」

 頬を引っ張ってみると、ほんのりと痛かった。

 夢じゃない。

「私も持って帰りたい…」

 恐る恐るペンギンに近づいてもペンギンは逃げなかった。

 思いのほか簡単にそれは捕まえることが出来た。

 捕まえられてなお手の中でも踊っている。

「いや…でも…」

 私はペンギンをもとの位置に戻した。

「そうだった…私には私のメルトペンギンがいたんだった」

 私は出会ったメルトペンギンに手を振って振り返らずに歩いた。

 もう何も怖くない。

 私には愛する家族がいたんだから。

 街灯がなくなり薄暗くなり始めた道にも月明かりがあるように、真っ暗だと思った私の道は、優しい光に包まれていた。

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